風景印の旅
京急線沿線に住んでいるため、あちこちの街に出かけて行くことができるのですが、
魅力的な街がたくさんあるので、正直、どこへ行こうか、いつも迷います。
鉛筆を転がして決めたいところですが、我が家に鉛筆はないので、(笑)
東西南北という順番で回ることにしました。
(厳密にはこの通りではないけれど。)
今回が「南」の番で、三浦市(神奈川県)へ行くことにし、
風景印を配備している「初声郵便局」周辺を回ることにしました。
初声郵便局
テーマ : 和田義盛像、農産物、農村風景(『新・風景スタンプ集 関東・甲信越』日本郵趣出版より)
切手 : 「野菜とくだものシリーズ第2集 すいか」(52円切手)
「初声」。
「はっせ」と読みます。
和田義盛が文治2年(1186)、平家討伐に出陣し大勝を収め、
領民を交えた酒席で戦勝の舞「初声」を舞ったことからついた地名です。
郵便局のある初声町(三浦市)は和田義盛ゆかりの地であり、義盛と縁のある寺社があるため、
風景印には来福寺の寺宝・和田義盛像が描かれています。
よって、散策のテーマを「和田義盛ゆかりの地めぐり」と決め、歩くことにしました。
和田義盛について
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。
鎌倉幕府の御家人で、初代侍所別当。
三浦氏の一族で源頼朝の挙兵に参加。
鎌倉に頼朝の初期武家政権がつくられると初代侍所別当に任じられる。
治承・寿永の乱では源範頼の軍奉行となり、山陽道を遠征し九州に渡り、平家の背後を遮断した。
平家滅亡後は奥州合戦に従軍して武功を立てた。
頼朝の死後、梶原景時の変での景時弾劾追放では中心的な役割を果たし、
比企能員の変や畠山重忠の乱などの御家人の乱では北条氏に与した。
しかし、二代執権・北条義時の挑発を受けて挙兵に追い込まれ、幕府軍を相手に鎌倉で戦うが敗死し、
和田一族も滅亡した(和田合戦)。
(ウィキペディアより)
見学場所
1.和田山 来福寺 <義盛の菩提寺>
真宗大谷派
本尊 : 阿弥陀如来
寺に伝わる由緒記によれば、来福寺は最初鎌倉の名越に建てられました。
その後初声町和田に移りましたが、台風の被害を度々受けたことから、
現在の地・南下浦町高田に移ったとあります。
こちらには、風景印に描かれ、三浦市の文化財に指定された義盛の木像(非公開)が祀られています。
2.神明白旗神社 <義盛を祭神として祀る>
創建 : 弘長3年(1263)
祭神 : 天照大神、和田義盛、建御名方命など
義盛の死後、和田の村人たちが自分たちに尽くしてくれた義盛の恩に報いるため、
白旗神社を建てたと言われています。
大正7年に矢作の神明社と合祀されたため、神明白旗神社と呼ばれるようになりました。
3.五劫山 天養院 法泉寺 <義盛が信仰した薬師三尊を祀る>
浄土宗
本尊 : 薬師三尊
創建 : 永禄2年(1559)
ご本尊の薬師三尊は最初、天養院のそばにあった安楽寺のご本尊でした。
義盛が合戦で負傷した時、薬師像に傷ができ、そこから血を流したという出来事があり、
それがあってか、義盛は全く痛みを感じなかったということから、身代わり薬師とも呼ばれています。
三浦市文化財に指定されています。
4.和田義盛旧里碑 <義盛の本拠地屋敷があったとされる>
三浦市一族の子孫である三浦英太郎氏によって大正10年3月に建てられた碑です。
ここに義盛の本拠地屋敷があったのだそうです。
お世話になったサイト
- 三浦半島身近な図鑑 そらいろネット
- 三浦半島ポータルサイト Enjoy 三浦半島
- ウィキペディア
- 三浦市公式HP「三浦ファンが語る!三浦自慢」
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