ちなみに私はこーゆーキャピキャピ、ピチピチのカワイイ子猫ちゃんたちが大好きで、ネコにはあまり興味ありません。
さて、自ら墓穴を掘るプロローグから入ったところで、本題に入りたいと思います。
では、人間の運命を切り開く “意志力” を強化するのにはどうすればいいのか?という問いに対して、ケイシーやシュタイナーは “足” の運動を奨めています。 つまり、簡単に言えば “歩く” ことでしょうか。
そちらに関してOnenessよりアップしてみたいと思います。
【Oneness 〔不思議で神秘的な人間の意志〕】
ヴァルドルフ学校の教育者A.C.ハーウッドは匠にも次のように述べています。
「思考を創造的にするのは思考そのものではなく、思考にもたらされた意志の活動です。 知的思考はそれ自体本質的に分析的、要素還元的であり、それゆえ破壊的であり、意識的なものなのです。
しかしながら、思考の過程には常に意志の活動が付随しています。 この意志の活動は魂の能力の内では最も意識しがたいものであり、私たちが創造的に思考する時には、この創造の瞬間を意識することはありません。
私たちは一種の瞬間的な眠りに陥り、それまで知らなかった何かを夢見る。 そしてアイディアのヒラメキは突然に生じてくるのです。 実際、多くの人々は睡眠中に最も実り豊かなアイディアを受け取っているのです」
心臓は血液を送る働きを持つポンプに例えることができます。 これと同じく、四肢系統に指示を送り指令するをする意志をポンプとしてイメージすることができるでしょう。 思考中、私たちは過去に知りえた事柄すべてを持ち出しますが、これらの考えを総て組織し、現在と未来に関連する意味深い何がしかに纏め上げるよう司令しているのが意志であると言える事です。
このことを理解するに当たって、ゲーテの例を挙げてみたいと思います。 彼は部屋を行ったり来りしながら秘書に口述を書き取らせていました。 こうする事でしか彼はモノを書けなかったのです。 ヘミングウェイも座っては何も書けないのでした。
そのため暖炉棚の上にタイプライターを据えてしまい、彼は部屋をうろつき廻れるようにしたいたのです。 このような例を見るなら、創造的な思考過程を活性化し、促進したのは彼らの足の動きであったと示唆することが出来るように思われます。
アインシュタインもまた同様のことをしていたという話を聞いた事があります。 難解な方程式に躓くと彼は散歩に出かけ、寛ぎ、その間はその問題をすっかり忘れるようにしていたのです。 そして、散歩から帰るとしばしばその答えが得られていたというのです。
意識の座は脳と神経系にあるという考えがデカルトを有名にしました。 ところがケイシーとシュタイナーの発想はこれとはどうも対立するようです。 彼らは、身体総てが我々の意識の器であるというのです。
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ちょっと忙しいのでこの辺で、つづく・・・