そうですねー、最近特に意識して日々過ごしていることはモノゴトを ”丁寧につなぐ” ことでしょうか。 仕事や現在やっている研究なんかもそうですが、考え方なんかもそう意識しています。
私は昔から自分自身でも気づいてはいたのですが、何事にしてもモノゴトを急ぐあまり一つ一つの手順が粗くなる性行がありました。 ですが、まーそう特に問題も無かったし、でテキトーに流していました。
しかし理由は分かりませんが、最近、深層意識層から囁きかけてくる小さな声からコレを意識させられているのを感じます。 “丁寧につなげ!“ と。
長い年月かけてこうなったので、修正にもかなりの時間、恐らく今回の人生を一杯でも難しいかも知れませんが、輪廻転生を確信している私にはそんな事は全く関係ありません。 ”悪い” と感じたクセは日々一つ一つ直して行くのを意識しようと思っています。
さて、では本題に入りたいと思います。
キリスト教圏では、厄日の代表的なモノとして 「13日の金曜日」 が採り上げられますが、ケイシー・リーディングでは果たしてどう解釈されているのでしょう。 しかし、こちらに(13日の金曜日)に関する直接的なリーディングは見つからなかったので、そちらに関して推測も含めた考察をしている 『ホリステック・ヒーリング』 より、少しばかり抜粋してこの問題を考えてみたいと思います。
こちらに関しても、あくまでひとつの視点ですから鵜呑みにされず、自分の頭で考える題材とされて下さい。
そういえば、一つ思い出したのですが、私は7年の周期で物事が大きく動く傾向があります。 多少のブレはありますが、21歳の時(7歳×3倍)に留年して、28歳の終わり頃(7×4倍、Saturn Returnにも対応)に4年勤めた板前を辞めて、35歳(7×5)で渡米して、今年42歳(7×6)で実家に戻って再出発しようとしています。
さて、ひとつのサイクルが終わり、新しいサイクルが始まろうとしていますが、そのサイクルというものについて簡単に抜粋してみたいと思います。
【ホリスティック・ヒーリング 〔第12章 周期性――7の法則〕】
〔Q〕:「事物のサイクルとは何なのか?」
〔A〕:「ある影響に関する自分の軌道内で同調がターンするところのことだ。 なぜなら、如何なるサイクルに於いても――サイクルとは――その始まりが終わりだからだ。 サイクルとは変化、乃至は変化が変化として明確に向けられる対象の力、エネルギーを使い果たすことだ。
体の中にある生命であれ、心の中にある生命であれ、星の中にある生命であれ、如何なるものの中にある生命であれ、変化、サイクルとして現れている形態の中にある生命であれ、それがサイクルなのだ」
周期性の法則によると、7期からなるサイクルなら如何なるものでもその第6期は、反応、変化、変革、あるいは 「クリーゼ(危機)」 がハッキリと現れてくる。 従ってこの時期を、一般人は直観によって 「縁起の悪い」 時期と見做している。 週の6日目である金曜は、縁起の悪い日とされている。 金曜は 「絞首刑執行人に日」 だ。 言い伝えによると、主イエスは金曜日に磔にされている。
時間、日、周、月、年、あるいは年の集まりという一定の数であれば如何なるものであっても、その6番目つまり 「金曜」 の時期から数えて7番目の時期は総て危機(クリーぜ)が特徴だ。
これから “13(Thirteen)” がなぜ 「縁起の悪い」 数と見倣されるのかが解る。 “13” は2番目に危機的な、あるいは2番目の 「金曜日」 の時期の象徴なのだ。
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そして、ケイシー・リーディングの原文より ”13(Thirteen)” に関するリーディングを抜粋して、考察は次回に続きます。
(Q) Regarding numerology: Is there any special significance to the fact that #13 appears so frequently in my work? If so, what?
(A) Thirteen numerologically becomes very much in the same position as Saturn does astrologically - or Uranus. These become either very good or very bad. But, as we have indicated respecting numerological or astrological or environmental or hereditary influences in the activities of an individual, they are rather signs; and should be used as same rather than DEPENDED upon as being that which BRINGS this or that into the experience! Rather does number thirteen indicate that such and such changes are ever within the reach of the entity, or that opportunities are constantly presenting themselves; and they must be weighed in the balance of that which is set within the mental self as a standard - from the moral, the mental and the spiritual aspects of the entity's activities.
続く・・・