本日の呟きつつ、続き…です
最近、やっと左肩が上がるようになって来ました。 あの事故はホント痛かったし、かなり危なかった! でも、やっぱり頭の中でいくら身魂磨きとか思ったりしても、結局やっぱり、あーして痛みを伴った経験を踏まないと真の進化は行われないのでしょう。
これに日々の内省的Meditation(瞑想(迷走?))も重要なファクターとなります。
大切なのは、一日がきっちり24時間と思われているロータリー(循環)が、じつは正確には23時間56分04秒という螺旋の進歩があると認識して、繰り返しの日常と思われる毎日の中に “何を” 組み込むか?ということではないかと思います。
つまり、占星学でいうところの黄道十二宮を25920年かけて一周りする春分点歳差に行き着きます。
私は、散歩やケイシー・リーディングや占星学、大森先生の正食医学、姓名学の研究、ひふみ神示等を日常に組み入れています。 それが私自身の “進歩・進化” を促すと思っています。
さて、いつものように独断と偏見を振り撒いたところで、本題に入りたいと思います。
大森先生は昔姓名学を研究される際、日本の太古の神々の名前を研究されたようなのですが、そうしましたらほぼ100%近く大吉数だったと仰っていました。 で、昨日アップしました東北から顕れると云われている “国常立尊” を調べて見ましたら、38画という数少ない小吉数でした。 ちょっと意外でしたね。 もっと大吉数の数霊が出てくるかと思っていたのですが。
ちなみに、こちらの画数の代表格は、坂本龍馬や福山雅治さんとかです。 あと、私の尊敬する大森英桜先生も本名の総格が38画でした。 その意味では、私の中では大吉数といえますね。
参考までにこちらの数霊はと言いますと、山下式より
【三十八画】:文学・技芸の方面には相当に上達する力があるが、大成は望めない。 その他の方面では、たとえ大をなさんとしても、宰領の才幹を欠き、衆人の辛抱を得がたく、平凡・薄弱・微力で、目的を貫徹し得ず、不平と失意に終わることが多い。
となっております。
というのも、前回採り上げたひふみ神示に出てくる “国常立尊” のこれからの時代の役割としての意味が結構重要だったからです。
【ひふみ神示 〔扶桑之巻・第八帖〕】
平坂の岩戸(言答)ひらけむ音のきこゆる。 神に怒りはないのであるぞ、天変地異を神の怒りと取違ひ致してはならん。 太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ。 また総てげ喜びにましますが故に怒りはないのであるぞ、若し怒りが出た時は、神の座から外れて了ふのであるぞ。 救ひの手はは東よりさしのべられると知らしてあろが、その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよく判りて下されよ。 今の方向では東北(ウシトラ)から救ひの手がさしのべられるのぢや、ウシトラとは東北であるぞ、ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、地(千・智)の元の天地の元の元の元の神ぞ、始めの始め、終りの終りぞ、弥栄の弥栄ぞ、イシヅヱぞ。
と、あり。結構大きな役割の神様のような印象を受けたからです。
ちなみに日本のアダム(Adam)とイブ(Eve)である伊邪那岐・伊邪那美も、ニックネーム的な “伊邪那岐(35画)”、“伊邪那美(37画)” とそこまで大吉な数霊ではなく、中の上吉ぐらいの数霊です。 ですが、コレに正式な “神” を付けると・・・両者とも伊邪那岐神(45画)、伊邪那美神(47画)の大吉数になります。
ちなみにAdamは、カバラ数秘学では、“1” の生命を放射する太陽で、Eveは “5” の知性を現す水星です。 両者とも吉星ではあります。
話し戻しまして、もしかしたら、同様に “神” を付けた “国常立尊神” が正式名称なのかも知れません。 そうしましたら、48画の大吉数になります。 こちらは、他の画数とのバランスもありますが、会社重役や相談役に向いている画数です。 代表的な方は、京セラの稲盛和夫会長とかですかね。
いつものように脱線しまくってしまったので、次から本題に入りたいと思います。
続く・・・