ふっとい魂って、強くて柔らかい魂だと思います。うむ。
強くて、柔らかい。
一見相反するような性質だけれど、でも、きっとそうだな。
人によってはそれぞれに分かれる。うむ。
たとえば強い傾向の魂の人。
でもその人は、他の人に寛容で優しくするのが苦手かも。
どうしても闘っちゃうんだよね。
どうしても抑えつけちゃうんだよね。
たとえば柔らかい傾向の魂の人。
でもその人は自分を抑えちゃう傾向があるかも。
NOっていえないから相手に舐められる傾向があるかも。
すぐすみませんって謝っちゃうから誤解されちゃうかも。
私達の人生って峠道みたいだよね。
右のコーナーもあり、左のコーナーもあり。
ゆったりしたカーブもあり、用心用心の急カーブもある。
自分を守りなさいよ。という右コーナーの出現。
大人の対応で受け流して、自分を守るケースもあれば、
相手にきちんと自分の意見を伝えて、自分を守るケースもある。
やりたくはないけれど「出るとこに出る」という勝負の場合も。
強い魂の人はそういうの得意だよね。
相手が強いほど燃えるって。あ、そうなの。
でも柔らかい魂の人はそういう場面苦手かも。
なるべく自分を引っ込めている間に嵐が通り過ぎないかなって思う。
でもやっぱり。
そういう人も。
今回の人生では「強さ」を挑戦している(みたい)だから。
どうしても、自分を守るために強くなきゃ。という場面に遭遇するね。
どうして、自分ばっかりこういう目に遭うの。という時は、
きっと「今回の挑戦はいかがでしょう」という時だね。きっと。
舐めてかかって来る人とか、意地悪して来る人とか。
彼らと出逢うことが、人生の右コーナだよ。きっと。
あなたは左コーナー(人に寛容に接する。忍耐をもって接する)は得意なのだから、
今回の人生では、右コーナー(自分を守る強さ)にチャレンジだよね。
日本ではNOとは言えない人でも、
外国に住むとNOとはっきり言えるようになる。
多くの在外日本人がそう言っているからね。
きっと、NOって言えるのって実はそんなに難しくないんだよ。本当は。
だからあなただって、もし生き馬の目を抜く外国に住むことになったら
数年もしないうちに「NO!」って主張できるようになるよ。きっと。
だからそれは生まれつき固定されていることじゃなくて、
自分で変わることが出来ることなんだよ。きっと。
今回の人生で「強さ」に挑戦したい魂って、
生まれて来る時に、そういう両親を選んでいる人もいるかも。
という私の心の中の小説です。
それは、あなたはダメよ。と否定されて育てられるところがスタートライン。
自己肯定感が低い環境からスタートする。
そこから、自分自身を守れるか。って自分の強さを学ぶ人生。
へえ。そうなのですか。なるほど。うむ。
右コーナーって苦手に思うかもしれないけれど、
練習で誰でもスイスイ曲がれるようになるよ。
本当だよ。
外国に何年か住む日本人が変わるのはその例だよ。
あとお母さんが子供を守る時に強くなるのもそうだよね。
誰だって腹の括り方で「強く」なる。ホントだよ。
だから職場や近所や家族親戚で、
・あなたを舐めてくる人
・あなたを否定してくる人
・あなたを責めてくる人
が出現したら、ああ、これが私の人生の右コーナーか。
と、腹を括ってください。
つづく
おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
==========
謝罪って難しいテーマですよね。
→ 相手に不正がある場合は、きちんと社会に訴えるべきであるのが大半であろうと思います。
それは同じ被害者を出さないためです。
「私さえ我慢すればいい。特に大きな被害はなかったし。高い勉強代だった。」と無かったことにしたい方もいるかもしれません。
ただ、その場合は、やはり次の被害者が出る可能性はあるので、社会的に不正被害が起きる場合は、きちんと自分が声を出すことが必要なこともある。
全部とは言いませんが、あなたの声が大切なこともあることを知って頂きたいです。(このコメント投稿の方に対してではなく、全般的な話として)
被害者の遺族が「このようなことが起きて欲しくない」ということの提起で訴訟を起こされるのも、同じ意味だと思います。
どうしても今の法律や社会体制で裁けないこと。
そういう事例については、私は天の網を信じています。
相手からの謝罪があればラッキーですが、なくても私は自分の心の傷は自分で癒やします。
というところを
・相手は私に謝罪する義務がある。
・私は相手からの謝罪を受ける権利がある。
と闘い出すと、人生の風景は右コーナーから左コーナーに移っています。
(闘うなという意味ではありません。薄皮を通り越して風景が変わっているということです)
魂が未熟な人は相手に謝罪をするケースは稀でしょうが、
相手が誤解して傷つける言動をした場合は、誤解とわかった時点で謝罪することも少なくないと思います。
でも相手の謝罪はあってもなくても。私は自分で私の心の傷を癒やす。
ずっとずっとあとで、その意味がわかるかもしれない。自分の自分の心を静かに癒やすことの意味。
・強い魂
・柔らかい魂
なるほど。
==========
色んな目にあって色々恨んでたら身体が弱くなってしまって、それからは恨んだり憎んだりしてる時間がもったいなく思い止めました。
でもそう思えたのも、まるぞうさんの話だったり、もしかしたらあの世があってこの世の価値観は全て逆であるかもしれないと知ったからです。それがなかったらまだ絶望の恨みの中に居たと思います。
今日は透き通った晴れの日ですね。
→ コメントありがとうございます。
自分を傷つけた相手と闘うのは否定しません。しかしそれは心の傷が癒えるまで待って頂きたいと思います。
まだ右コーナーが終わっていないのに、左コーナーを攻める複合コーナーは上級者すぎなので。
・私は相手に傷つけられて心が痛い。
・相手が謝罪してくれたらこの痛みの半分は消えるのに。
・なのに相手はノウノウと暮らしているのは許せない。
その気持はわかります。うむ。
でもそのまま進むと更に人生のコーナーはこんがらがる。もうちょっと待って。
・相手の謝罪があったらラッキー
・でもなくても私は大丈夫。自分の心は自分で癒やす。
と腹を括って、まず相手から心の距離をおいて、まずご自分の心を守って頂きたいです。
癒やしの天使が自分の心のそばで寄り添ってくれているのを信じて頂きたいです。
裁きの天使が見当たらないのは、きっとどこかに行っているのですね。どこに行ってるのだろう。
という私の個人的な心の小説風景です。
=========
Twitterを見ると、やはり枠パスで未接種の人達も不満心が出ている人もいると、同じような気持ちになったり、あと、もし責められた時に、今まで親などに認められなかった思いが不満となって、論破してやりたい、と気持ちになることも想定すると、今回の左コーナー右コーナーのお話は切実です。有難うございます。そうはなりたく無いものです。
→ 一見すると社会の不寛容が広がっているように見えること。これから増えていくことを懸念いたします。その意味。
その不寛容の波に呑まれて自分も不寛容になっていくのか。
その不寛容さの中で、強さと柔らかさを磨いていくのか。
時代は人をどちらになるのか。各個人に選択を任せている。
強制的に人生峠道の難易度が全員ワンランク上がる。
他人を責める傾向の人は、ますます他人(社会)に不寛容になる。
自分を責める傾向な人は、自分は生きていても仕方ないと嘆く。
右コーナー左コーナーそれぞれ曲がりきれずに崖から落ちないように。
強い魂の人は、他人に寛容である柔らかいハンドリングを。
柔らかい魂の人は、自分を強く守るハンドリングを。
人生の峠道。社会の表層の不寛容さに惑わされずに、真ん中の道を保ちたいです。
===========
母から離れられなかったのは、幸せそうな母の笑顔を、いつか見たいと思っていたからでした。でもそれは母にしか出来ないことですね。
→ 優しいコメントと思いました。ありがとうございます。
==========
相手に責められても 「うんうん、わかった、大丈夫だよ」と言えるか否かって
自分の心に余裕があるかないか、が大きいと思います。
→ これから社会全体が余裕のない状況に突入していく可能性を考えています。
その余裕のない状態で、相手に寛容でいられるのか。
その余裕のない状態で、きちんと自分の心を守れるのか。
峠道はますます狭く急カーブになっていくのに備えたいです。腹を括って備えたいです。
==========
今日は前にこちらでも話題にされていた小野神社にお参りに行きました。相変わらず清々しい佇まいに心洗われました。最近、東京多摩地区での不穏な事件が続いておりますが、晴れ渡った空と紅葉の下、日本に生きることの幸せをあらためて感謝いたします。
→ ありがとうございます。本当に。
==========
わたしはいまだかつてインフルエンザのワクチンすら一度も打ったこともなく、マイナンバーカードも申請していません。これからもコロナワク接種もマイナカード申請もするつもりはありませんが、じわじわと行動範囲が狭まっている実感があります。わたしのような人間はこれから益々立場が悪くなるんだろうと正直辛くなります。
→ オーストラリアのような津波が日本にも来るかもしれない。来なければラッキーです。しかしそんな津波が来たとしてもしたたかに生き延びようと腹を括りたいです。
https://twitter.com/GAIAFORCETV/status/1458314325421015044
==========
私は、自分勝手に自分の気分で半世紀
生きてきて、やっと、自分のしてきたことが大変なことをしつずけてきたと、
わかりました。やっとです。
大切な身内は、被害者です。この状態になり、やっとわかりました。
→ 私も同じ体験です。
直接会える人には、やはり直接謝罪をするし、会うことが難しい方には、心の中で謝ることしかないと思います。
こちらの罪悪感もフラッシュバックのように起こるでしょうが、その罪悪感には抵抗せず(抵抗しないことは本当に辛いですが)その都度心の中で静かに、謝罪の心でその痛みを受け入れるしかないと思います。
それは。相手が受けた心の痛みと同じ痛みが自分の心の中で再生終わるまでは、フラッシュバックは続くと思いますが。でも抵抗せずに受け入れたいと思います。
===========
ちょっとした質問なのですが,まるぞうさんは現金派ですか,それともクレジット派ですか?
もしクレジット派の場合,現金は手元に置いてありますか?
私はここ数年,あらゆる支払いをクレジットカードで済ませてしまっているため,現金を持たない生活をしていることに気づきまして,お尋ねさせてもらいました。
→ 私はクレジット派です。クラウド家計簿の管理が簡単だからです。
数万円は財布にいつも用意していますが、もう少し多めに10万円くらいは自宅においておいた方がいいかもしれないと思いました。
そういった非常時はお店も小銭はないかもしれないです。
「一万円札で払われてもお釣りはないんです。銀行も閉まったままだし。」って言われるかもしれないので、1000円札などの方が実用的かもしれないです。
==========
自分の心の中の「もやもやしたもの」が言葉という形をとることの効果ってすごいですよね。(気持ちの可視化?)
→ 人生で起きる悩みって、こんがらがっているから複雑に見えるだけで、1つひとつ解きほぐしていくと、実は原因はシンプルなことに分解されるんじゃないかな。って思います。
だから、まず、右コーナー(自分を守ること)と左コーナー(他人に寛容なこと)に分けるだけでも、随分スッキリするのかな。というのがこのシリーズのきっかけです。
=========
今回の記事って、まるぞうさんは、主に口下手な方に対して書かれていらっしゃるのでしょうか?
→ 私の記事は私に対して書かれています。
もし何かお役に立つ方がいらっしゃれば嬉しいですが。たった一人でも川辺に座って歌っていると思います。
==========
この話で主人公の女の子が優しいのが伝わってくるのが好きです。母親との生活の不満を祖母に伝えたいけれど、病気の祖母の健康を気遣って、自分の状況を言わないでおく優しい女の子です。
→ 「毒親」という用語は、自分を守ることを知らなかった人が自分を取り戻すのには、役に立つことが多いと思います。本当に。
ただし、いつの間にか薄皮を通り越して左コーナーに風景が変わる前に、ハンドルを真ん中に戻せるといいなと思います。
==========
精神世界を信じ良心的な人ほど自分が悪くなければいい方になるはずだといいう錯覚に陥っているんです
→ 人生の峠道は思いもかけないように右に左に曲がっていますので、表層の見かけに惑わされず、真ん中の道を歩いていきたいと思います。
===========
強い者は折れやすい。柔らかい人は弱く見えても、風にしなるように強いかも知れませんね。まずは自分に優しくですね。
→ コメントありがとうございます。
実は社会には、魂が強くて柔らかい方はたくさんいらっしゃると思います。
私がドキュメンタリー番組が好きなのは、無名のそういう方を時々拝見することが出来るから。
無数の無名のそういう方たちによって、この社会は廻っているのだ。と心が暖かくなります。
==========
まるぞうさんと皆さんが各々の想いを分かち合う場じゃないかなここは。私は有り難いなって思ってます。
→ 自分が生きてきた個人的なメモが誰かのお役に立つことがあるのならそれは嬉しいです。ありがとうございます。
==========
私が今まで得た経験や知識や知恵の中でお役に立てることが何かひとつでもあれば良いのですが、私になにか出来る事はありますか。
→ ありがとうございます。
実は質問を頂くことが一番ありがたいです。
(他の読者の方も)もしあれば。よろしくお願いいたします。
ちなみに。来たるべき不寛容の時代に備えて。浮き彫りにしたかったことがあったのだと思います。
==========
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謝罪って難しいテーマですよね。
→ 相手に不正がある場合は、きちんと社会に訴えるべきであるのが大半であろうと思います。
それは同じ被害者を出さないためです。
「私さえ我慢すればいい。特に大きな被害はなかったし。高い勉強代だった。」と無かったことにしたい方もいるかもしれません。
ただ、その場合は、やはり次の被害者が出る可能性はあるので、社会的に不正被害が起きる場合は、きちんと自分が声を出すことが必要なこともある。
全部とは言いませんが、あなたの声が大切なこともあることを知って頂きたいです。(このコメント投稿の方に対してではなく、全般的な話として)
被害者の遺族が「このようなことが起きて欲しくない」ということの提起で訴訟を起こされるのも、同じ意味だと思います。
どうしても今の法律や社会体制で裁けないこと。
そういう事例については、私は天の網を信じています。
相手からの謝罪があればラッキーですが、なくても私は自分の心の傷は自分で癒やします。
というところを
・相手は私に謝罪する義務がある。
・私は相手からの謝罪を受ける権利がある。
と闘い出すと、人生の風景は右コーナーから左コーナーに移っています。
(闘うなという意味ではありません。薄皮を通り越して風景が変わっているということです)
魂が未熟な人は相手に謝罪をするケースは稀でしょうが、
相手が誤解して傷つける言動をした場合は、誤解とわかった時点で謝罪することも少なくないと思います。
でも相手の謝罪はあってもなくても。私は自分で私の心の傷を癒やす。
ずっとずっとあとで、その意味がわかるかもしれない。自分の自分の心を静かに癒やすことの意味。
・強い魂
・柔らかい魂
なるほど。
==========
色んな目にあって色々恨んでたら身体が弱くなってしまって、それからは恨んだり憎んだりしてる時間がもったいなく思い止めました。
でもそう思えたのも、まるぞうさんの話だったり、もしかしたらあの世があってこの世の価値観は全て逆であるかもしれないと知ったからです。それがなかったらまだ絶望の恨みの中に居たと思います。
今日は透き通った晴れの日ですね。
→ コメントありがとうございます。
自分を傷つけた相手と闘うのは否定しません。しかしそれは心の傷が癒えるまで待って頂きたいと思います。
まだ右コーナーが終わっていないのに、左コーナーを攻める複合コーナーは上級者すぎなので。
・私は相手に傷つけられて心が痛い。
・相手が謝罪してくれたらこの痛みの半分は消えるのに。
・なのに相手はノウノウと暮らしているのは許せない。
その気持はわかります。うむ。
でもそのまま進むと更に人生のコーナーはこんがらがる。もうちょっと待って。
・相手の謝罪があったらラッキー
・でもなくても私は大丈夫。自分の心は自分で癒やす。
と腹を括って、まず相手から心の距離をおいて、まずご自分の心を守って頂きたいです。
癒やしの天使が自分の心のそばで寄り添ってくれているのを信じて頂きたいです。
裁きの天使が見当たらないのは、きっとどこかに行っているのですね。どこに行ってるのだろう。
という私の個人的な心の小説風景です。
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Twitterを見ると、やはり枠パスで未接種の人達も不満心が出ている人もいると、同じような気持ちになったり、あと、もし責められた時に、今まで親などに認められなかった思いが不満となって、論破してやりたい、と気持ちになることも想定すると、今回の左コーナー右コーナーのお話は切実です。有難うございます。そうはなりたく無いものです。
→ 一見すると社会の不寛容が広がっているように見えること。これから増えていくことを懸念いたします。その意味。
その不寛容の波に呑まれて自分も不寛容になっていくのか。
その不寛容さの中で、強さと柔らかさを磨いていくのか。
時代は人をどちらになるのか。各個人に選択を任せている。
強制的に人生峠道の難易度が全員ワンランク上がる。
他人を責める傾向の人は、ますます他人(社会)に不寛容になる。
自分を責める傾向な人は、自分は生きていても仕方ないと嘆く。
右コーナー左コーナーそれぞれ曲がりきれずに崖から落ちないように。
強い魂の人は、他人に寛容である柔らかいハンドリングを。
柔らかい魂の人は、自分を強く守るハンドリングを。
人生の峠道。社会の表層の不寛容さに惑わされずに、真ん中の道を保ちたいです。
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母から離れられなかったのは、幸せそうな母の笑顔を、いつか見たいと思っていたからでした。でもそれは母にしか出来ないことですね。
→ 優しいコメントと思いました。ありがとうございます。
==========
相手に責められても 「うんうん、わかった、大丈夫だよ」と言えるか否かって
自分の心に余裕があるかないか、が大きいと思います。
→ これから社会全体が余裕のない状況に突入していく可能性を考えています。
その余裕のない状態で、相手に寛容でいられるのか。
その余裕のない状態で、きちんと自分の心を守れるのか。
峠道はますます狭く急カーブになっていくのに備えたいです。腹を括って備えたいです。
==========
今日は前にこちらでも話題にされていた小野神社にお参りに行きました。相変わらず清々しい佇まいに心洗われました。最近、東京多摩地区での不穏な事件が続いておりますが、晴れ渡った空と紅葉の下、日本に生きることの幸せをあらためて感謝いたします。
→ ありがとうございます。本当に。
==========
わたしはいまだかつてインフルエンザのワクチンすら一度も打ったこともなく、マイナンバーカードも申請していません。これからもコロナワク接種もマイナカード申請もするつもりはありませんが、じわじわと行動範囲が狭まっている実感があります。わたしのような人間はこれから益々立場が悪くなるんだろうと正直辛くなります。
→ オーストラリアのような津波が日本にも来るかもしれない。来なければラッキーです。しかしそんな津波が来たとしてもしたたかに生き延びようと腹を括りたいです。
https://twitter.com/GAIAFORCETV/status/1458314325421015044
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私は、自分勝手に自分の気分で半世紀
生きてきて、やっと、自分のしてきたことが大変なことをしつずけてきたと、
わかりました。やっとです。
大切な身内は、被害者です。この状態になり、やっとわかりました。
→ 私も同じ体験です。
直接会える人には、やはり直接謝罪をするし、会うことが難しい方には、心の中で謝ることしかないと思います。
こちらの罪悪感もフラッシュバックのように起こるでしょうが、その罪悪感には抵抗せず(抵抗しないことは本当に辛いですが)その都度心の中で静かに、謝罪の心でその痛みを受け入れるしかないと思います。
それは。相手が受けた心の痛みと同じ痛みが自分の心の中で再生終わるまでは、フラッシュバックは続くと思いますが。でも抵抗せずに受け入れたいと思います。
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ちょっとした質問なのですが,まるぞうさんは現金派ですか,それともクレジット派ですか?
もしクレジット派の場合,現金は手元に置いてありますか?
私はここ数年,あらゆる支払いをクレジットカードで済ませてしまっているため,現金を持たない生活をしていることに気づきまして,お尋ねさせてもらいました。
→ 私はクレジット派です。クラウド家計簿の管理が簡単だからです。
数万円は財布にいつも用意していますが、もう少し多めに10万円くらいは自宅においておいた方がいいかもしれないと思いました。
そういった非常時はお店も小銭はないかもしれないです。
「一万円札で払われてもお釣りはないんです。銀行も閉まったままだし。」って言われるかもしれないので、1000円札などの方が実用的かもしれないです。
==========
自分の心の中の「もやもやしたもの」が言葉という形をとることの効果ってすごいですよね。(気持ちの可視化?)
→ 人生で起きる悩みって、こんがらがっているから複雑に見えるだけで、1つひとつ解きほぐしていくと、実は原因はシンプルなことに分解されるんじゃないかな。って思います。
だから、まず、右コーナー(自分を守ること)と左コーナー(他人に寛容なこと)に分けるだけでも、随分スッキリするのかな。というのがこのシリーズのきっかけです。
=========
今回の記事って、まるぞうさんは、主に口下手な方に対して書かれていらっしゃるのでしょうか?
→ 私の記事は私に対して書かれています。
もし何かお役に立つ方がいらっしゃれば嬉しいですが。たった一人でも川辺に座って歌っていると思います。
==========
この話で主人公の女の子が優しいのが伝わってくるのが好きです。母親との生活の不満を祖母に伝えたいけれど、病気の祖母の健康を気遣って、自分の状況を言わないでおく優しい女の子です。
→ 「毒親」という用語は、自分を守ることを知らなかった人が自分を取り戻すのには、役に立つことが多いと思います。本当に。
ただし、いつの間にか薄皮を通り越して左コーナーに風景が変わる前に、ハンドルを真ん中に戻せるといいなと思います。
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精神世界を信じ良心的な人ほど自分が悪くなければいい方になるはずだといいう錯覚に陥っているんです
→ 人生の峠道は思いもかけないように右に左に曲がっていますので、表層の見かけに惑わされず、真ん中の道を歩いていきたいと思います。
===========
強い者は折れやすい。柔らかい人は弱く見えても、風にしなるように強いかも知れませんね。まずは自分に優しくですね。
→ コメントありがとうございます。
実は社会には、魂が強くて柔らかい方はたくさんいらっしゃると思います。
私がドキュメンタリー番組が好きなのは、無名のそういう方を時々拝見することが出来るから。
無数の無名のそういう方たちによって、この社会は廻っているのだ。と心が暖かくなります。
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まるぞうさんと皆さんが各々の想いを分かち合う場じゃないかなここは。私は有り難いなって思ってます。
→ 自分が生きてきた個人的なメモが誰かのお役に立つことがあるのならそれは嬉しいです。ありがとうございます。
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私が今まで得た経験や知識や知恵の中でお役に立てることが何かひとつでもあれば良いのですが、私になにか出来る事はありますか。
→ ありがとうございます。
実は質問を頂くことが一番ありがたいです。
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ちなみに。来たるべき不寛容の時代に備えて。浮き彫りにしたかったことがあったのだと思います。
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本ブログは引用元をあきらかにしていただければ、ブログやSNSでの拡散は許可いたします。
昔の人に多かったと思います。
うちの母もそうでした。父が30代で亡くなった事で、片親だから子供が不良になったと思われたくないという想いが強すぎて、一時は書いてた日記勝手に読まれたり、あと不満面をその日記に書いてたら親戚一同の前に、やめてといってるのに持ってきて「親に対してこんな事いってるどう思う?」とそれは心の声を不満解消で日記に書いたのだから見せるつもりでもなく、心の解消法につけてたのにと酷い!と思ったけれど、子供の時はそれをうまく表現する言葉をもたない。その態度が又反抗的とみられて親戚の叔父に鉄拳制裁。昭和の時代は今よりずっと鬱=甘え、体面でも喘息で死ぬ奴はいないみたいな時代だったから。精神医療にも理解なく精神論ばかりで結構理不尽な扱い多かったと思います。当時も結構暗闇心深かったけれど友人と遊んで楽しければ、その友達が思春期になるにつて、ちょい悪いになると、とういった友達に影響されてやら、又説教で。
昭和は自由もあったが理解はあまりなく結構なバイオレンスだったと思います。そしてうちの母は毒親といっても絶対に認めないタイプで、おそらく電話かけてきて、あんたも気をつけろタイプだと思います。でも、いい所も年齢いくほど気づいてきて、子供はお金の工面の心配はないけれど、身内の死の連鎖では色々費用や労力も含めて大変だったのだろうなと大人になってわかるし、昔の人だからこそできる器用な面や粘りの部分は年齢たつほど尊敬面も見えて理解できるようになりました。ただ「心配心」は間違いなかったと思うけれど、日記を勝手にもっていって大勢の親戚に見せて、その内容が悪いと親戚連中に複数対1で説教と鉄拳制裁、その日は食事抜きはいまだに、大人になり親や親戚に感謝や理解が生まれても、あれはいまだに酷いだろうと思ってたりもします。
心配かけるような事した自分も自分ですが、ヤンキーとまでもいかない、ちょっと素行不良かな?程度のグレでしたから。母もその時は言い過ぎと思ったこともあったらしいです。でも両親そろっていれば、父が叱り、母がなだめのバランスが取れるけれど、母曰く、叱りつけた後、手の平返したように宥めたりできない、また「親に子供は逆らわないもの、自分らもそうだった」「親というものは立場の強いもの。文句があれば1人立ちしてからにしなさい。親が簡単に謝る必要はない」が言い分でした。本当に母のミスで怪我させたみたいな時は謝ってくれますが、考えの違いで謝ってくれたことはありません。歴史の教科書の記憶違いでも教科書みせても、コロナもそうですが、この頃、このキャスターがこう言ってるでしょうと証拠見せても、謝らないし「聞きたくない」で話題は変えられます。
コロナに関しては確かにあるのでしょうけれど、それより「データ」ですね。利権や別の目的のために間違ったデータを元に対策してや新薬試しても意味ない気もしますし、実験体でないのだから。まずはデータと薬造る製薬や医師、分科会あたりにも調査もいって本当にデータと実態の乖離がないか、成分に問題ないか、そこまでいかないから、権威ある立派な肩書ついた医師やら研究員が語ってくれても、肩書が立派なほど、近年は「御用学者」に見えて、本来、判断基準となる、どの情報も信じにくいのが困ります。
それなのに「自己責任論」とか、そちらも確立されてて、ずるいなあ…とは思いがちです。
私も別に感謝に謝罪してもらいたいわけではありせん。暴君に憧れているわけでもないし。ただ著しい損害を受けた時に逃げず、宙ぶらりんにして余計不安な生殺しのような酷い状態で放置せず、きちんと対処してもらえれば。
簡単に感謝の言葉も謝罪の言葉もいらないとは思います。自分も、つい挨拶代わり、とりあえず社交辞令的に使ってしまう面もありますが。受け取る側では、本来は本心からそう感じて思ってないと謝罪の言葉にはこだわらないです。ただ、きちんとその後の責任とってくれて、対処してくれたらいいだけです。怨みなくても、その後立てなくて仕事いけない生活費分やらケア分の労力や金銭的負担も全部こっちもちになっちゃいますからね。
立場的に強くなれるようなポジションには生涯つくことはなさそうですが、万が一、間違っていた時に、立場的に強くても、きちんと謝れるようにはなりたい、心がけたいなは同じく思えました。すごく長文なりましたから非承認でも構いません。
毒親の原因でパニック発作や鬱状態の人達にあなたは悪くないんだよ、と思ってほしいということだった記憶が。
本当の毒親は、私毒親だ、と思わないそうです。親と距離を取って離れて暮らしてる娘にワイドショー見て、ほら毒親ってやってる、あなたも毒親になるんじゃない?気をつけなさいよ、と電話してくるそうですよ。
だから、毒親だ、と思えるだけで、全然大丈夫。ちゃんと相手のことも自分のことも見れる人。大丈夫。
>これまであまり知られていませんでしたが、免疫系だけでないウイルスに対抗する手段も持っています。
>それが、APOBEC(アポベック)
というヒトの細胞内にある酵素です。
>ウイルスが侵入すると細胞は危険信号のサイトカインを発します。サイトカインで誘導される酵素の一つです。
>ウイルスの遺伝子に変異を起こして、エラーを起こさせウイルスを自滅させる働きを持ちます。
>国立遺伝学研究所と新潟大のチームから、日本人をはじめとした
アジア・オセアニアに酵素活性が強い人が多いことが報告されました
https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-china-idJPKBN2HX0J7
>中国大連市、コロナ集団感染拡大
移動制限など対策強化
上記のような日本人にも多いらしい酵素のお話もありますが、
大連でまた流行りだしてるのでまだまだ気が許せないですね。
良薬は「父」に苦し
毒を食らわば「母」まで
なんて所でしょうか(笑)
薬親ってどうでしょうか。。
薬にも毒にもなるということで。。
人間なんですもの。
液体というか、グラデーションというか、心も身体も人間だって
固定してないはず!と信じてます。
と質問しようか、と思ったのですが、まずはググってみたら、既に今も不寛容な時代突入なんですねー。
https://president.jp/articles/-/29277
眞子様のバッシングとかも含まれるのかしらん?別にそこまで叩かなくてもいいのにと思います。叩いたところで、お姫様の行動は日本人全員の責任やん、みたいな。
ちなみに私の周囲には寛容な人が多いです。地域の自治会長さんも寛容です。思うのですけど、地域の神事が行われてる田舎ってけっこう寛容な気がするのですが。
いや、そりゃモロ田舎のおばちゃんもいっぱいいるから、私なんて、地域の掃除に参加するたびに聞こえよがしに「あの子は子供がいない子」という言われ方(笑)をします。(←私は結婚してますが子供がいませんー)私がオバちゃんに向かって、ふざけて「🐈も死んじゃっていないよー^^」とおどけると、傷つけるつもりだったオバちゃんはギョっとしますけど、そんな程度です。
眞子様バッシングほどの追い詰め方をするような人はいないなあ、と。
だから、不寛容な時代はもう来てるかもしれないけれど、周囲の人が寛容でいられるためにも、氏神参拝は大事なんだろうなあ^0^と思います☆
幼くて馬鹿でした。心ある善良な皆様なんて言う人がいるとそんな私を思いおこします。天使も悪魔もそんなかっちり出来上がった人なんているわけない。人に過度な期待するなよって思う。自分かえりみればわかるでしょ。身近に自分の正否を人に尋ね歩く人がいます。なんで人に確認する?
そんな簡単に命預けないでよ小学生じゃあるまいしってイライラするし腹が立ちます。転惑の件でも然りでした。日本人て子供っぽい。子供の国が今後どうなるのかな。
子供の頃に暴力から自分を守れなかった悔しさから、大人になってからは目上の人や男性に突っかかるようになってしまった時期がありました。あと、子供の頃の自分と似た弱々しい人にイラッとするようになりました。自分は努力して強くなろうとしてるのにズルい!と。
色々振り子が振れた結果、元々の弱い自分を否定して、違う人間に変わろうとしてきたことに申し訳ない気持ちになりました。
本当は弱いままの自分で問題がなかったことに、遠回りした結果気付くことができました。(弱いままではわからなかったことです)
いざとなれば強くなれると知っていると安心して弱々な自分でいられます。人からヨワッチイ奴と思われても気になりません。むしろ期待されずに済むので楽チンですよ。
あと、強弱両方自分の中にあるとわかると他人を大目に見られるんですよね。
兄者直々のご解説
ありがとうございますっ
みきぷる様も
勘のワルい私にご慈悲を
ありがとうございましたっ
まるぞうさん可愛いです~。
読者様の質問に横からすみません。
薫兄者のコメントの意味は、「ム-ミン」の中のキャラクターのひとり、スナフキンのよくある風景を、まるぞうさんの、その姿から思い浮かべ、述べられたのでは?と思います~。
トンガリ帽子をかぶってね。
私個人は本当に恵まれていて、自営業だし、主人にも来年の第6波なのか、ひどい風邪の流行が来るのか分からないけど、それ次第では保育園を退園か自粛して家で子供を見ながら出来る分しか働かないと宣言しています。親の妨害(面積を減らしたらお金が)と言うものを無視すれば良いだけなのですが、息子や実習生を守る、ただ未接種で幸せそうな人を見るだけでも意外なところから怒りが飛んでくることだってあると想像しています。
コロナ病棟で働く人を差別する人、去年初期に介護施設で働いていて感染した人に嫌がらせする人がいて、田舎は顕著に現れます。
その人達に、免疫が下がっていて、本人が大変な状況かもしれないことも思って話を聞ける自分でありたいです。
真理ですね(笑)
https://earthquake.tenki.jp/bousai/earthquake/
きょうも微震ですが、だいたい揺れてるの最近このあたりですし。
あるていど思わす面あるから、気分悪いな、ああ気分悪いなー。悔しいなー土地に感謝はあるし、するけれどやっぱり悔しいなーです。
まるぞうさんのコメントはすべて仰る通りです。同じ被害者を出さないために。しかしそれを実行に移す気概がある人はなかなかいませんね。昔ですがある病院の看護師が介護助手をしていた身内に暴力を振るった事がありました。理由は糖尿病患者に食事介助をしたことが原因です。その日は検査のために食止めであった。しかし給食の職員、看護助手達はその伝達を受けていなかった。で激昂した看護師から殴られたと。
すぐに身内が派遣元の局長に連絡し、翌日病院へ同行していただきました。幸いこの局長はすぐに快諾して下さいました。病院側はレコーダーを前に当の看護師はご不在で事務長と看護師長が待ってました。
私もレコーダー持参で参りましたが。
〉おたくの病院の看護師が看護助手を殴るってことは即ち患者も殴るんだろうね当人の話が聴きたいのだがお休みですか?
〉只今調査中でありまして云々。居るとも居ないとも言わない。当人が不在では話になりません。
〉では、私が探します。病棟ですか?
身内に暴力を振るわれた○○さん、どちらにいらっしゃいますか?各病棟を回りました。身内は横でハラハラしています。
事務長と看護師は終始だんまりでした。申し訳ありませんとは言わないままでした。
〉きちんとした説明と謝罪を下さい。
一週間後看護師が家まで謝罪にきましたが家には上げませんでした。身内は私にもういかいからと言い残し看護師を連れて外へ出ました。謝罪されたかどうか確かなことはわかりません。身内は悪くなくても謝る人なので。
私はこういうこわい人です。その頃は今と違ってネット社会ではなかったしパワハラなんて言葉もなかった。で、今もってしてもですよ?直接かけあう人って私みたいな気の強いのでない限り、職を失うかもという不安もあるわけだし、何もしないで泣き寝入りする人が殆どじゃないかと。
逆にね潔く謝罪する人につきましても、半分がとは思えません。それは現実的とは言えない気がしたのです。
誤解から責めた人が誤解だと判明した時点で謝罪するのはわかります。そんなことはお互いにしょっちゅうありますよ。しかし実社会の上下関係では難しいことだわ。スルーされて誤魔化されちゃうこともあるわ。それが魂の未熟成熟に関わるのか私にはわかりませんが。過去に一度だけ自身の真実を見逃さなかった方が衿をただしてお詫びされる姿をお見受けしたことがありました。自分もきちんとお詫びできるひとになりたいなぁ。長い話すみません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E9%87%8E
この写真、風流で綺麗なのにと思います。残念無念。文学は興味ないけれど正岡子規とかも名前でがちですね。
今日は藤井さんが又、将棋?
あーもう苛立つけれどどうしようもないし。しんどいなと思います。
ひよこさん
かわいい🥚
兄者、不勉強ですみません。
どなたか解説をお願いします。
お返事有難う御座います。
ん?と思い、時間を置いて何度か読み直しさらに自分に問いかけてみたのですが、やはり、ん?でして、今の私には自分を傷つけた相手と闘う気持ちはありません。今はただただ穏やかに過ごしたいだけです。そう思わせてしまう文章でしたか?
それとも私が表面で認識していないことを、まるぞうさんは注意喚起してくれたのでしょうか?
>その余裕のない状態で、きちんと自分の心を守れるのか。
そういう時こそ、感謝♪やんけ~
きっつーい時でも、大自然やご先祖様に感謝すると、逆に自分が癒されます^^
きっつーい事が起こらないと、大地に感謝しないから、きっつーい事が起こるのかも、と自分的には思います。
そんなにしてまで自分の感謝を欲して下さる方々がいらっしゃっることが本当にありがたいことだと思うんです♪
ああ、そうだったのですね。良かった。ほっとしました。私は何を怖がっていたのでしょう。
そういえば、最初から備忘録と書かれていらっしゃいますもんね^^
ちゃんと読めよ、と過去の自分にツッコミです☆
愛情がないというか…
私自身もいわゆる独親に育てられ、私も毒親になってしまいました。
言葉を受け取る人の問題なのかもしれないけど。
毒親って不安の毒でおかしくなっている親だったり、過去の悲劇の後遺症が酷い親だったり。
毒親以外のいいネーミングないのでしょうかね。