この写真も再掲ですが、デジタル複写で画質は良くなっています。
この辺りの疎林や畑は、現在は霊園になっていて、線路際の木も伸び、風景はすっかり変わってしまいました。
後方から2、3輌目の貨車の上の方、かなり遠方ですが日光の男体山がうっすらと見えています。
EF58は機番が読めませんが、ナンバーが切り抜きではなくプレートなので、もしかしたらこれも122号機かも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/a1/e70a48f9e37b4ed3180709673e445241.jpg)
荷38レ、EF58機番不明
1984年1月28日撮影、原板は120(66)ポジ(ER)
この辺りの疎林や畑は、現在は霊園になっていて、線路際の木も伸び、風景はすっかり変わってしまいました。
後方から2、3輌目の貨車の上の方、かなり遠方ですが日光の男体山がうっすらと見えています。
EF58は機番が読めませんが、ナンバーが切り抜きではなくプレートなので、もしかしたらこれも122号機かも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/a1/e70a48f9e37b4ed3180709673e445241.jpg)
荷38レ、EF58機番不明
1984年1月28日撮影、原板は120(66)ポジ(ER)
霊園になっているということは、東大宮寄りでしょうか。
良き時代ですね。
こんなところからも撮れたんですね。
ヒガハスで高台?から撮れるポイントがあるとは知りませんでした。
綾瀬川を渡り宮浜踏切に差し掛かる辺りです。
踏切付近から良く撮影している場所ですが、こうして見ると全く印象が違いますね。
サイドで少し高いところから撮れる場所はここしか有りませんでしたが、今はもう撮れずに残念です。
墓地が出来なかったとしても、木が繁って見えないでしょうね。(笑)