丁度50年前、1973年11月21日から4日間、南九州へ蒸気機関車の写真を撮りに行っていました。
既に公開済みの写真ばかりですが、ブログには初公開の写真も有ります。全てAI搭載ソフトウェア(PhotoLab6またはPhotoLab7)で再現像・レタッチしていますので綺麗になっています。
今日から4日間、50年前の写真が続きます。
1973年11月21日は羽田から宮崎まで空路でした。夕方の大淀川橋梁から撮り始めています。
3本撮影した中から1枚、日南3号の後に下る1527レ、C57187です。夕方の斜光線で列車が鈍く光りました。

日豊本線 宮崎~南宮崎
1527レ C57187
駅へ戻って、既に真っ暗だったようですが、ホームからC5789を撮影していました。キャブの灯りと光るナンバープレートが印象的です。
露出不足のこの写真、以前もキャブの辺りは何とか見えるように現像出来ていたのですが、他は潰れていました。今回AIの力を借りて、ほとんど真っ暗でノイズに埋もれていた罐の全体像が何となく見えるようになりました。
左端に写っている看板の文字も、拡大すると「感電事故防止、上るな!機関車の上に」と読めるようになりました。ソフトウェアの進化は大したものです。

日豊本線 宮崎 C5789
原板はいずれも66判カラーネガです。
当時バルブ撮影はほとんど当てずっぽうというか勘で撮っていましたから、撮れていれば御の字でした。
C57の浮かび上がるナンバープレートが印象的です。
ネガカラーなので、本当にこんな色だったのか、ちょっと自信がありません。(^^ゞ
C5789はこの一コマしか撮って無くて、露出は外れでした。今ならデジタルで綺麗に撮れるでしょうね。
50年前は、枯れ鉄になった頃です(笑)
すごい技術がデジタライズの世界にもやってきてくれてうれしいですが半面必ず悪用する輩も出てくるから厄介ですね。
しかし罐上部の仄かなエッジとパシフィック機のシンボルでもあるほっそり煙突から仄かに上がる煙が、仕事の後ほっとつくため息のようでジンとしました。。。
比較的早くに宮崎へ来た罐は、区名札が砲金製に変更されていましたが、末期に来た113号機などはペンキ書きの差し込み式でしたね。
187号機は相性が良く何度も出会いましたが、89号機はこの写真とあと1枚だけでした。
枯れ鉄さま
比較的早くに宮崎へ来た罐は、区名札が砲金製に変更されていましたが、末期に来た39号機などはそのままでしたね。
187号機は相性が良く何度も出会いましたが、89号機はこの写真とあと1枚だけでした。
何事にも裏表が有るのは仕方有りませんが、正しく使えば役立つものも、悪用されると大変なことになりますね。
89号機、出来ることならばデジタルカメラで撮り直したいシーンでした。