南九州遠征4日目(最終日)は吉都線で一日撮影していました。
朝一で都城を出て、日の出前6時24分に高崎新田に到着。
この辺りの日の出は6時50分頃で、関東よりも25分ほど遅いです。でも、その分日の入りも遅いわけですから、夕方の撮影には有利でした。
日の出直後に上って行った620レ(D51160)から撮り始め、1690レ(D51453)、622レ(C57124)、1692レ(C5552)と2時間余りで立て続けに4本撮影しています。
写真は4本目の1692レです。622レと同じ場所で撮影、柿の木好きには絶好のアングルでした。
吉都線 高崎新田~東高崎
1692レ C5552
その後も吉都線を撮影、午後3時過ぎだったと思いますが、都城駅へ戻ってきました。
都城駅構内でC57やC55をスナップ...
写真は出発待ちの629レ。隣のDF50552は日豊本線のローカル1523レかな?
629レの発車シーン、この旅行で最後に撮影した列車でした。
日豊本線 都城
吉都線の629レ C5552
この後、都城から西鹿児島まで7レ特急富士(宮崎から自由席、都城16:51発)に乗り西鹿児島へ、西鹿児島からは記憶が曖昧ですが、多分あかつきで新大阪まで戻り、新幹線で帰京したと思います。
以上全て1973年11月24日撮影
筑豊にC55が一杯走っていた頃には九州へ行ったことが無く、1973年夏が人生初めての九州でした。
北九州で撮影したのもこの時限り、全て9600でした。C55の全盛期を見てみたかったです。
電関人得意の目に焼き付けですが、ブログに書いた通りに、
唯一見たのが原田の側線に祟づむ55号機(若)でした~(^^♪
晩年、C55は吉松の2輌(52,57)だけでしたね。吉都線と日豊本線の都城~宮崎間の運用でした。
撮影回数は52号機の方が多く、57号機は余り出会えず残念でした。
有り難うございます。柿の木ショットは自分でもお気に入りです。
C55もC57も貨物を牽く姿よりはやはり客車を牽く姿の方が良いですね。
カラーは何れもネガなので、本当にこんな色だったのか、ちょっと自信はありません。(^^ゞ
どちらかと言うと52号機よりも57号機の方が好きなのですが、相性の良かったのは52号機で...(^^ゞ
柿の木アングル、カラーで撮った写真もありますが、画角がちょっと違います。再現像したらまたアップしましょう。
当時は、線路に降りて撮る事は日常茶飯事でしたね。今は絶対に駄目ですが。
変形デフ52号機。
やはり真打でしたか!?
晩年はC55の運用は吉都線のみだったのでしょうか?!
52号機、私も撮りましたが貨物だけでした。やはり客レは良いですね。
最後の絵は夕方の赤みを帯びた光線と迫力の発車シーン、これ以上の条件はないですね。
柿の木アングルは、カラー化したいですね。
2,3枚目の写真は、今では撮れない、ホーム外の駅撮り。特に2枚目は、機関車の前に人が立っているなんて、今の子達は信じられないでしょうね。
半世紀前は、枯れ鉄が枯れ始めた頃(笑)懐かしい写真をありがとうございました。