武富士の元会長が贈与税回避の目的で住所を海外に移転した場合に,転居当時課税できないとされていたときでも課税処分を科せされるかどうかという点が問題となった行政処分取消訴訟について,最高裁は,原告の武富士側の主張を認め,国に対して課税処分の取り消しを命じる判決を言い渡しました。
これにより,国は還付金を含めて約2000億円を武富士元会長側に還付することになりましたが,利子分だけでも400億円近く支払うこととなることから,物議を醸しています。
追徴課税の取り消し確定=2000億円還付へ―武富士元会長贈与訴訟・最高裁(時事通信) - goo ニュース
租税法律主義を厳格に解釈した判決
この問題,主観的には,ほとんどの方々が「そんなの課税して当然。返すなんてありえない。」なんて思われたかと思います。
事実,主観的には,武富士会長側も贈与税回避の目的もあった点自体は争っていませんし,裁判長が補足意見で「ものすごい不公平感があることはよーく分かる。」などと言っていますから,そうであれば,なおさら「最高裁の判決っておかしいんじゃないの?」なんて思われたのではないかと思います。
しかし,最高裁判決は,感情論を抜きに考えると,実は「憲法を厳格に解釈した」といえるのです。いわば,「国だから何をやっても許されるわけではない」という警鐘をならしたといえます。
今回の事件のキーワードは「租税法律主義」です。先ほどの裁判長の補足意見も,その続きがあって,「不公平感は分かるけど,租税法律主義からは仕方がない。」と言っているのです。
租税法律主義とは,憲法84条に定められた規定で,税金を課すには法律がなければだめ,というものです。これは,憲法83条の財政民主主義を受けた規定で,要するに「一部の官僚の独断で国民に対して税金という負担を課してはならず,必ず民意である国会による議決を経なければ課税してはならない」という国民主権の思想をベースにしている規定なのです。
さて,今回のケース,これを踏まえてもう少し具体的にいいましょう。
今回のケースのポイントは,ざっくり言うと次の点があげられます。
1 海外転居時に法律で非課税とされていたことを,後で適用したり,通達の解釈だけで課税したりできるか。
2 転居の事実が主観的に課税回避であった場合,それをもって居住地は海外ではなく国内であるとみなし認定してよいか。
これについては,次のとおりとなります。
まず,1については,最高裁判決では具体的に触れていませんが,前提として,「通達による課税は,法律で明確に枠を決めている場合以外はまかりならん」とされていますので(ぱちんこ事件),当然,海外転居時に法律がなければ,あとからさかのぼって税法を適用させるということはもちろんのこと,通達で法律にない解釈を加えて課税処分をすることも租税法律主義に反することになります。
それを踏まえて,2の問題が出てきました。
高裁では,税法の直接適用はできないという前提において,「住居」という解釈で課税処分を有効にしました。すなわち,課税逃れで海外に住所を移した場合,実際日本での生活がメインであれば,「住居は日本」という主観から判断したのです。
ところが,最高裁は,税法を厳格に解釈しました。すなわち,課税逃れ目的か否かという主観は排除し,「実際の生活スタイルがどうであったか」という客観的事実だけで判断することとしたのです。そして,本件では,会長の生活スタイルとして,財産も家財道具もある程度海外にあり,実際結構な日数海外にいたと言えるので,客観的な事情から「住居は海外」と認定したのです。
これは,「法律の不備を感情だけで国民に押し付けてはならない」ということで,租税法律主義を厳格に守るという最高裁のスタンスだと言えます。
この判決に対する批判として,前述の感情論が挙げられると思います。
しかし,感情で課税の範囲を通達などで変えられてしまうとなると,逆に国が国民に対して事実上の増税を簡単に行えるということになりかねません。なので,ここはやはり「民主主義たる立法によるコントロール」が必須となるのです。たとえ,悪質であったとしても,その当時,法律がない以上,これはもはやどうにもなりません。
また,「還付金を税金で返すのはおかしい。せめて,元本還付でよいのではないか。」という意見もあります。
しかし,これも気持ちは分かりますが,アンバランスです。追徴課税などするときは利息を付けている訳ですから,それを返す時は利息を付けるというのが筋ですし,逆に自分たちが不当な処分を受けた場合のことを考えると,還付金には相当の利息をつけて然りということになります(ただし,一定の制限を設けるという考え方はありかもしれませんが,これも現状では立法がない以上,仕方ありません。)。
そう考えると,やはり租税に関する立法というのは,相当大胆かつ慎重に行なわなければならないといえます。そして,前述のとおり,最高裁も,この判決について「めでたし,めでたし」とは言っておらず,むしろ「国会や官僚,しっかりしろ!」というニュアンスの内容が含まれている訳ですから,これを受けて「一部の金持ちが得をしない税法」を改正していくべきです。
消費税増税等だけが議論の対象となっていますが,まずは「逃げ得を許さないような制度」をきちんと築き上げることが大切なのではないでしょうか。今回の最高裁判決は,そうした視点ももった内容であったと言えます。
よろしければ1クリックお願いしますm(__)m→人気blogランキングへ
これにより,国は還付金を含めて約2000億円を武富士元会長側に還付することになりましたが,利子分だけでも400億円近く支払うこととなることから,物議を醸しています。
追徴課税の取り消し確定=2000億円還付へ―武富士元会長贈与訴訟・最高裁(時事通信) - goo ニュース
租税法律主義を厳格に解釈した判決
この問題,主観的には,ほとんどの方々が「そんなの課税して当然。返すなんてありえない。」なんて思われたかと思います。
事実,主観的には,武富士会長側も贈与税回避の目的もあった点自体は争っていませんし,裁判長が補足意見で「ものすごい不公平感があることはよーく分かる。」などと言っていますから,そうであれば,なおさら「最高裁の判決っておかしいんじゃないの?」なんて思われたのではないかと思います。
しかし,最高裁判決は,感情論を抜きに考えると,実は「憲法を厳格に解釈した」といえるのです。いわば,「国だから何をやっても許されるわけではない」という警鐘をならしたといえます。
今回の事件のキーワードは「租税法律主義」です。先ほどの裁判長の補足意見も,その続きがあって,「不公平感は分かるけど,租税法律主義からは仕方がない。」と言っているのです。
租税法律主義とは,憲法84条に定められた規定で,税金を課すには法律がなければだめ,というものです。これは,憲法83条の財政民主主義を受けた規定で,要するに「一部の官僚の独断で国民に対して税金という負担を課してはならず,必ず民意である国会による議決を経なければ課税してはならない」という国民主権の思想をベースにしている規定なのです。
さて,今回のケース,これを踏まえてもう少し具体的にいいましょう。
今回のケースのポイントは,ざっくり言うと次の点があげられます。
1 海外転居時に法律で非課税とされていたことを,後で適用したり,通達の解釈だけで課税したりできるか。
2 転居の事実が主観的に課税回避であった場合,それをもって居住地は海外ではなく国内であるとみなし認定してよいか。
これについては,次のとおりとなります。
まず,1については,最高裁判決では具体的に触れていませんが,前提として,「通達による課税は,法律で明確に枠を決めている場合以外はまかりならん」とされていますので(ぱちんこ事件),当然,海外転居時に法律がなければ,あとからさかのぼって税法を適用させるということはもちろんのこと,通達で法律にない解釈を加えて課税処分をすることも租税法律主義に反することになります。
それを踏まえて,2の問題が出てきました。
高裁では,税法の直接適用はできないという前提において,「住居」という解釈で課税処分を有効にしました。すなわち,課税逃れで海外に住所を移した場合,実際日本での生活がメインであれば,「住居は日本」という主観から判断したのです。
ところが,最高裁は,税法を厳格に解釈しました。すなわち,課税逃れ目的か否かという主観は排除し,「実際の生活スタイルがどうであったか」という客観的事実だけで判断することとしたのです。そして,本件では,会長の生活スタイルとして,財産も家財道具もある程度海外にあり,実際結構な日数海外にいたと言えるので,客観的な事情から「住居は海外」と認定したのです。
これは,「法律の不備を感情だけで国民に押し付けてはならない」ということで,租税法律主義を厳格に守るという最高裁のスタンスだと言えます。
この判決に対する批判として,前述の感情論が挙げられると思います。
しかし,感情で課税の範囲を通達などで変えられてしまうとなると,逆に国が国民に対して事実上の増税を簡単に行えるということになりかねません。なので,ここはやはり「民主主義たる立法によるコントロール」が必須となるのです。たとえ,悪質であったとしても,その当時,法律がない以上,これはもはやどうにもなりません。
また,「還付金を税金で返すのはおかしい。せめて,元本還付でよいのではないか。」という意見もあります。
しかし,これも気持ちは分かりますが,アンバランスです。追徴課税などするときは利息を付けている訳ですから,それを返す時は利息を付けるというのが筋ですし,逆に自分たちが不当な処分を受けた場合のことを考えると,還付金には相当の利息をつけて然りということになります(ただし,一定の制限を設けるという考え方はありかもしれませんが,これも現状では立法がない以上,仕方ありません。)。
そう考えると,やはり租税に関する立法というのは,相当大胆かつ慎重に行なわなければならないといえます。そして,前述のとおり,最高裁も,この判決について「めでたし,めでたし」とは言っておらず,むしろ「国会や官僚,しっかりしろ!」というニュアンスの内容が含まれている訳ですから,これを受けて「一部の金持ちが得をしない税法」を改正していくべきです。
消費税増税等だけが議論の対象となっていますが,まずは「逃げ得を許さないような制度」をきちんと築き上げることが大切なのではないでしょうか。今回の最高裁判決は,そうした視点ももった内容であったと言えます。
よろしければ1クリックお願いしますm(__)m→人気blogランキングへ
最近、判決に対する批判の中には
判決を最後までしっかり検討せず
結果のみをとらえ、その是非だけで
すべてを語る意見が見受けられますが、果たして最高裁が何をメッセージとして伝えたいのかしっかりと国民は掴んだうえで批判をしなければならないと考えています。
最高裁の判決って,「事案に即した処理」と「法律をきちんと守る」という点とのバランスを見ているんですよね。それが,どうしても前者だけで判決の当否を判断されることが多いのが,ちょっと残念です。
こうしたバランス感覚を養うことが,これからはもっと求められるのかもしれませんね。