いつからだろう、自分に対してなんかモヤモヤとした嫌悪感的なものを抱きつつも、それでも前向きに頑張ってきました。
それは頑張っても頑張ってもすっきりすることがなく、逆に明確にイヤになってきました。
今日の聖教新聞の記事を読んでそれがなんなのかハッキリしました。
「勇気の泉11」
1967年(昭和42年)5月、アメリカを訪問した山本伸一に、現地の幹部が尋ねた。
“どうすれば先生のように、相手にぴったりの激励の言葉をかけられるのでしょうか”
答えは一言だった。
「私は真剣なんです!」
真剣―――この二字のなかには、すべてが含まれる。真剣であれば、勇気も出る。力も湧く。知恵も回る。
また、真剣の人には、ふざけも、油断も、怠惰もない。だから、負けないのである。
そして、そこには、健気さが放つ、誠実なる人格の輝きがある。
伸一が、一人ひとりに的確な励ましを送ることができるのも、“もうこの人と会うのは最後かもしれない”という、一期一会の思いで、瞬間、瞬間、魂を燃焼し尽くして、激励にあたっているからである。
相手が“どういう気持ちでいるのか”“何を悩んでいるのか”など、一念を研ぎ澄まして洞察し、発心と成長を祈り念じて、魂の言葉を発しているのだ。
(『新・人間革命』第12巻「新緑」の章)


それは頑張っても頑張ってもすっきりすることがなく、逆に明確にイヤになってきました。
今日の聖教新聞の記事を読んでそれがなんなのかハッキリしました。
「勇気の泉11」
1967年(昭和42年)5月、アメリカを訪問した山本伸一に、現地の幹部が尋ねた。
“どうすれば先生のように、相手にぴったりの激励の言葉をかけられるのでしょうか”
答えは一言だった。
「私は真剣なんです!」
真剣―――この二字のなかには、すべてが含まれる。真剣であれば、勇気も出る。力も湧く。知恵も回る。
また、真剣の人には、ふざけも、油断も、怠惰もない。だから、負けないのである。
そして、そこには、健気さが放つ、誠実なる人格の輝きがある。
伸一が、一人ひとりに的確な励ましを送ることができるのも、“もうこの人と会うのは最後かもしれない”という、一期一会の思いで、瞬間、瞬間、魂を燃焼し尽くして、激励にあたっているからである。
相手が“どういう気持ちでいるのか”“何を悩んでいるのか”など、一念を研ぎ澄まして洞察し、発心と成長を祈り念じて、魂の言葉を発しているのだ。
(『新・人間革命』第12巻「新緑」の章)


