井上紀三郎 「話を聞いてくれる相手がいないってのは辛いもんでね、彼女もそうだったんじゃないですかねえ。」
真宮貴子 「………。」
紀三郎 「ちょっとしたことでも、誰かに話を聞いてもらうことで気が落ち着くってことあります。
しかも離婚の相談に来る依頼人ってのは、精神的に不安定です。
藁にもすがりたい思いで弁護士の所へ来る人が殆どなんじゃないでしょうかねぇ…。」
貴子 「(食い気味に)私は…」
紀三郎 「もちろん弁護士だって一人を相手にしている訳じゃない多忙の身です。
しかしこの依頼人ってのも実に身勝手なもんで自分一人を見ていてもらいたいんですな。
しかも交渉が上手くいかないと弁護士のせいにする。逆恨みだってしかねませんよ。」
貴子 「私は、依頼されたことはきちんと………」
紀三郎 「そうです。依頼人の態度がハッキリしないんだから弁護士だって動きようがありませんよ。これ“正論”です。
しかしこの…正論ってのが益々相手を傷つけるんですなあ…。」
(ドラマ“離婚弁護士”より抜粋)
老成した紀三郎の経験に基づいたもっともなご意見に、ぐうの音も出ない弁護士貴子。
夫の浮気相談で訪れた依頼人。
離婚したいのか?
愛人と別れさせたいのか?
判断を下せない彼女に、なすべくもなく。弁護士の多忙な業務の中、ただ愚痴ばかりの彼女に付き合いきれない貴子。
ついに依頼人はその苛立ちの矛先を貴子に向けるようになる。
寝食忘れ、粉骨砕身、親身になって依頼人の為にしたことが、逆に恨まれる…。
“あんなに一生懸命お付き合い、お世話したのに…”
私自身、そんな経験多すぎてすごく心に響く紀三郎の話。
頼られない、あてにされない、信用置けない…
こんな人は誰からか恨まれることはきっとない。
SNSに深い意味もなく“いいね”って押す。
年賀状に“今年こそ飲もう!”って平気で毎年書く。
実のない人は世の中本当に多い。
しかしそれが嫌われず恨まれず何となく生きる術、賢い選択なのかもしれない。
だけど、やっぱり私には空しいね…。