8月14日 陸前高田 震災遺構「下宿定住促進住宅」のあと。
案内看板にあった他の震災遺構を見に行くことにした。
車で数分行くと一番近い「タピック45(旧道の駅「高田松原)」があった。
大きな駐車場の端に車を停める。
一帯がきれいに整備されていて、端の方にそれっぽい建物が見えてきた。
白い建物の手前に赤さびた鉄骨があった。
これも津波で破壊されたものだった。
一部鉄骨の木造平屋建てだった物産館は津波で鉄骨だけが残った。
震災前の写真があった。
物産館を過ぎ、隣のタピック45(旧道の駅「高田松原」)へ進む。
横から見ると屋根が独特な形をしている。
海側になる裏側に回ると三角屋根が階段状になっているのが見えた。
タピック45の横の屋外ステージを照らす照明灯。
階段状になった屋根に座ってステージを眺めたんだろうか。
その照明灯もぐにゃりと根本で折れ曲がっていた。
「タピック45」 耳慣れないそのネーミング。
名前の意味を調べてみた。
「高田」(Takata)と「松」(Pinetree)、それとインフォメーションセンター(Information Center)の頭文字に
国道45号線から付けられた愛称とあった。
「道の駅 高田松原」
建物に書かれたその名前の横に記された津波の高さの看板。
少し離れた所に「奇跡の一本松」がある。
私も当時、ニュースで何度も聞いたことがあった。
迫りくる津波の中、そこの近くで働いていた三名の方たちがこのタピック45の裏から最上部まで上り難を逃れたと書かれていた。
周辺一帯は広く開けていて、すごくきれいに整備されている。
被災地であることから誰でも分かることだけど、これまで見てきた自然の広さや人間が作り上げたそれらとは明らかに違う。
この場所は、犠牲者への追悼と震災を後世の伝えるため、そして復興への思いを込めて「高田松原津波復興祈念公園」として整備されている。
広くきれいなこの景色の大きさが悲しさの大きさのように思えた。
「高田松原津波復興祈念公園」の公式リーフレットに園内マップがあったので引用させていただきました。
引用 https://iwate-fukkokinen-park.jp/map
来た方向を見ると、さっき立ち寄った「下宿定住促進住宅」が見えた。
車を置いて、津波伝承館や他の震災遺構を見に行くことにしました。
続く
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