一昨日の元旦 Nさん墓参にて 件のお寺へ
本堂にてお参りしていると ちょうど ご住職と遭遇
一服していらっしゃいと お声がけくださる
その折 ご住職から賜ったお話・・・
うなぎの蒲焼きに 串を つけるな
???
(以下、「」はご住職 『』は私)
「ホラ、鰻の蒲焼きって、串がついて出てこないじゃない」
『はい・・・まぁそうっすネ・・・』
「でもさ、串に刺して焼かんことには、美味い蒲焼きって
できないじゃない?」
『そうですネ、まさか手でひっくり返すわけにもいかないし・・・』
「それで、お客さんが食べる時には、その串、取るわけだから、
お客さんには“見えない“わけよ」
『はぁ、至極ごもっとも・・・』
「でもさ、“串”がないと、鰻は焼けないわけで・・・」
『!なるほどです!!!』
(ご住職、オッ俺の言うこと分かったかナというお顔をしている)
『僕に置き換えると、僕は日頃、専門職として、利用者さん(お客さん)に
鰻(サービス)を食べて(提供して)いただいてます。
一方で、僕は事前に鰻(サービス)を串(支援理論・技術)
に刺して焼く(支援方法を考える)。
焼き方は、その人のお好み(その人に合った等身大)で』
「そうそう」
(ニコニコされている)
『そうすると、僕が目指すところ。それは、串がない状態でお客さん
に美味しく蒲焼きを食べていただく。利用者さんが無理なく自然に
支援を利用・活用できる、僕自身の技術を高めていくってことッすネ!』
先のお話
元は 真言宗は密教(悟りはそもそも、人の内面に隠れているという教え)
日本の仏教は 真言宗 天台宗から 枝分かれしていった
その枝分かれたひとつ 浄土真宗
南無阿弥陀仏と お唱えさえすれば 救われるという教え
それは当時の時代背景
戦乱続きで、庶民が一般的な教義を学ぶ余裕がなかった状況と
関連があるのではないか
真言宗は いわば 宇宙(この辺りが超難解・・・(>_<)
だから 比較的 どんなことも円く収まる
かたや 天台宗は 顕教(見えて分かりやすい教え)
天台宗の祖 最澄さんは秀才
真言宗の祖 空海さん(弘法大師)は天才
というような流れから 出てきた
あっという間の半刻
ひょんなことから 元旦早々の至福に遭遇
例年になく 幸先が良いゾ 😊