私たちは、「なんでこんなことやってるんやろ?」と思った時、自動的に人のせいにしたり、場を呪ったり、いろんな対処をしています。でね。「なんでこんなことやってるんやろ?」という言葉を、心が発した場合は、「やってられん!」でしかないのですが、同じ言葉を、精神が発した場合には、「私の生きる意味は何だろう?」になります。1か月ほど前、テツガクする若者が「生きる意味ってあると思います?」と言うので、「自分があ . . . 本文を読む
カントさんは真面目な人だったから「自分のためじゃなくて、みんなが喜ぶようなことをやろう!」って言いました。それにシュタイナーは反対したんです。「いや、みんなが喜ぶようなことじゃなくて、自分がやりたいことをやろう」って。一見、すんごいエゴイストの言葉みたいなんだけど。みんなが喜ぶようなことは、一見正しい。たとえば、隣人に親切にしましょうとか、親孝行しましょう、とか。尊敬する王様や社長が「みんなで幸せ . . . 本文を読む
「わかる」という字は「分かる」と書くように、モノゴトを細かく分けて整理したら、わかる、という風に考えてきました。銀行のシステムダウンだったら、ネットワークの問題なのか、プログラムの問題なのか、はたまたハード機器の問題なのかを切り分けて、問題個所を突き止める。進路や就職の問題だったら、お金が問題なのか、社会保障が問題なのか、はたまた、社風の問題なのか、適性なのか、自分のやりたいことなのか、大事なこと . . . 本文を読む
物質が豊かになることを大事にする世界と、精神的な充実や人としての成長を大事にする世界の、両方の世界に橋を架けたいと、夢みたいなことを、ずっと願っている。その思いに正直になると、どうしても思いと現実が折り合わない。そしてそれを、自分の乗っている船のせいにしてしまう。もしくは「現実は甘くない」なんてことを言いたくなる。イケてないなぁ~。乗り心地はいいし、人にも恵まれていた。乗組員としての仕事はちゃんと . . . 本文を読む
誰かが、真摯に話を聞いてくれたら、自分でもそれまで考えてなかったようなところまで探しに行けるから、新しい考えが出て来ておもしろい。昨日、あれこれしゃべっている中で、3年ぶりに会う相手が、「私、今さら自分探ししてるかもなぁ~」って言いました。あれ??それって、3年前に私が辞める時、めちゃくちゃいろいろ一緒に話した後に「うまく言えないけど、それって、自分探しの一種みたいなもの?」って聞かれて、「うまく . . . 本文を読む
自由の哲学9章に「思考世界からの直観によって正しく考えることができる」みたいなことが書いてあります。字面的な意味はわかるけど、「直観」ってのが、自分のどの体験のことかイマイチ自身なかったんだけど、ひらめきのことか。鈴木さんの訳では「悟り」って書いてあるコレ。何か書いている時に、時々、勝手にアタマに浮かんでくる、手繰り寄せて言葉にする前から正しいと知っているコレ。ひらめき、さとり。直観。この「直観」 . . . 本文を読む
先日「自由の哲学」を読む4回のクラスをさせてもらって、ビックリしたことがあります。参加してくださった方の、参加目的が、必ずしも「自由の哲学」を学びたいというわけじゃなかった、ということです。これはもう、青天の霹靂でした!!それまで、自分を縛っていたあれこれ。たとえば、「まだ私、わからない所だらけだから」とか、「書いてあるように生きて初めて語る資格が…」とか。「他の哲学者の自由に対する . . . 本文を読む
自由の哲学のクラスをやってみて、「なんでこのクラスに参加してくださろうと?」と聞いてみたら、なんと「一緒におしゃべりしたいから」というお答えが!いや「この本を学びたい」という声もあったけど…(^^;)。おしゃべりしたいのか~、それは困った。その日はお伝えしたいことがいっぱいあったから。でも、口下手で、うまく伝えられなくて、参加してくださった方がいっぱいフォローしてくださって。そんなん . . . 本文を読む
4回シリーズで、「自由の哲学」を読む会をセットした。最初は、回数を限らず、第1章から大切な言葉をたどって、毎回、筋トレみたいに自由に向かっていくつもりだった。だけど、「エンドレス」を恐れる声を聴いて4回にした。確かに、私みたいに7年もかかって読もうとする人は稀だ。子どもなら、ぴかぴかの1年生が思春期になる年月の長さだ。そんなことを、カンタンに人に期待してはいけないね(^^;)。たった4回で何ができ . . . 本文を読む
「自由の哲学を読む」というブログのタイトルどおり、
今年から哲学マダムスのグループで
自由の哲学を読んでいます。
何度読んでも、新たに味わい深くなる、昆布系の本。
この自主的な読書会。
「先生」に頼れないから、
各自でちゃんと読んでくることが前提の会です。
先生が居たら、手ぶらでそこに行って、
話だけ聞いて帰ってくる状態になります。
だから、これはいい感じだな、と思っていた。
それぞれ、 . . . 本文を読む
今じゃ、何の病気でも
「ストレス起因説」で説明されるほど、
気持ちの問題が大手をふって流通している。
だけど、何百年か前、
「神様のお告げだから」と都合よく振り回された私たちが、
「神様なんかホントにいるんだろうか」、と疑問をもった時、
「見える(五感でキャッチできる)ものだけしか存在しない」
と、神様よりも人間を高らかに信じたのが素朴実在論。
(自由の哲学第7章を読んでいる)。
今思えば . . . 本文を読む
『自由の哲学』の7章を3人で読んでいました。
ギリギリ「文殊の知恵」が出る人数(^^)。
最大20歳差くらいあることがわかったんだけど、
まるで年齢差を感じさせない哲学マダムス。
10年後20年後、こういう感じなのか、
(そうなれたらいいな、と思うけど、どうかなぁ)と、
その人たちの在り方含め、勉強以外の話も勉強になります。
自由の哲学7章のテーマは「認識に限界はあるか?」
シュタイナーの . . . 本文を読む
もう何度目になるだろう。
また改めて『自由の哲学』を読んでいる。その都度、わかるところが少し増える。 気になるところが変わる。
一人では、つい読みやすい本に走ってしまうけど、
一緒に読む仲間がいると、励みになる。
互いに楽しく厳しく前向きに切磋琢磨しながら、
自分なりの言葉でそれぞれ読み解いていく。
「次は最初に一人1章ずつ担当して復習し . . . 本文を読む
昨日、
「前例の有無が可否の判断基準として機能していない今、
いろんな事に挑戦できるいるんじゃないか」
ということを書かせてもらいました。
んで、私たちも新しい方法に挑戦すべく、
今回初めて、web会議で「自由の哲学」の読書会をしてみました。
これからweb会議とか増えると思うので、
ドドドドド素人の私たちの失敗に学んでください。
恥をさらしてみます(^^)。ちなみに、使ったのはzoom。
. . . 本文を読む
今日は、自由の哲学の読書会でした。
先生に学ぶのではなくて、参加する人が自分で読んできて、
「ここがわからんかった」「これ、どういう意味?」と、
疑問を出し合って、一緒に考えながら読むので、
脳みそがクタクタになります。
帰ってから頭痛したくらい。マジで(^^;)。
一人で読んでてわからなかったことを、
誰かに質問したら自分に答えが降りて来たり、
わかってるつもりだったことを答えようとして . . . 本文を読む