お茶でもどうぞ2

「お茶でもどうぞ」の後継です

長久保赤水資料館

2022-08-06 19:09:33 | 日記


毎日まいにち僕らは鉄板の~ と言う子供向けの歌がしばらく前に流行り
ましたが、その替え歌として、冒頭だけですが、毎日まいにち草むしり~~~
と、変えられそうです。
今朝もしっかりやりました。朝ご飯の前にです。

 

何と言う草か、名前は分かりません。 イネ科の草ですね。雑草ですから沢山の
種類があります。これは増えやすいですよ。ちょっと茎などが細くて目立ちにくい
ので、ハッと気がつくと親草の周囲にゾーっとするほど、多くの子供の草が芽を
出していることがよくあります。

 
 クヌギの木のドングリを拾っておいたら、すべて虫が入ってしまいました。

そんな毎日でも詰まらないです。一番手っ取り早く気分転換できるのはドライブ
ですね。今日は北の方の海辺に行って来ました。こちらは、大洗海岸があるので、
海辺はかなり混んでいるようで、常磐道は交通量が多いようです。
そして、駐車場という駐車場は全て有料になり、たいへん混み合っていますから、
この時期には近づかないことにしています。


 
  北の海は静かでした

北茨城市と言う所に、江戸期に地図を作った長久保赤石(ながくぼせきすい)と
言う人がいました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E8%B5%A4%E6%B0%B
日本地図というと、やはり江戸時代に今の千葉県出身で全国の地図を作った
伊能忠敬と言う人が有名ですが、こちら茨城県にも地図を作成した人がいました。
その長久保赤水の生誕の地と資料館を、北茨城市という町に見に行って来ました。

 

彼の家は既に無く、かつては彼の家の敷地であった所は、今はまったく関係の
無い人たちが住んでいます。別な所には今の代より何代前なのは聞きません
でしたが、子孫はくらしているとか。そこは見学しても迷惑でしょうから行き
ませんでしたが、市役所が運営している資料館があるので、そこを見てきました。

  

資料館の入り口付近に、上のような説明板がありました。これは古代に書かれた
「常陸風土記」の一部の現代語だと言うことはすぐに分かりましたなので、
どこかのサイトにでているだろうと思って調べてみたところ、ありました。
古代に呼ばれていた多珂郡という地名の由来が書いてあります。
 http://saki-archives.com/2013/takanokori.html 
なお、昭和の時代ではこの多珂郡は、多賀郡という文字になっていました。

幸い古代の地名などの由来が書いてある「常陸風土記」は奈良時代に編纂された
と言うことですが、現代でも大部分が残っているので、多くの地名の由来を知る
ことが出来ます。
博物館は展示物が多く、とても為になりました。彼が作った地図の写しを買って
きてみました。