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女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

未来の子供たちへ。

2011-01-01 | 日記
大人になることは、思いやりのある人間になることしかし、うそは大切だから。
本当のことは、いってはいけない?!

そこが、「」とか「朝鮮人」とかは、思ってもいわないこと。
当たり前なのだが、言ってしまうと人間関係が崩れてゆくから。

もし、あなたが、気がついたなら、そっと(知らないふり)でいこう。
人間には、どうしょうもないことがある。

人間の姿かたち、生まれとか、貧乏とか、金持ちとか、なおせないものがあるし、消せないものもある。

だから、思いやりの気持ちで、みんなを、かんじてみてほしい。

もし、あなたと違う考えでもよくきいて、相手を理解しよう。

「悪口は、いわない、きかない、それから、つくらないこと」

一人でも、自立していける人間になれるように、勉強していくこと。

幸せは自分できずいてゆくもので、あたえられるものではない。

運が悪い人と、嘆くよりも、努力してほしい。

片足のない人や、暗闇で生きる人や、心を閉ざして生きる人や、みんな仕方のないことで、わざとしたわけじゃない。

私は、おばあちゃんの年齢になるいまでも、人よりも自分が不幸と感じることが多いが、それは間違いで。

人のことよりも、まず自分を磨いて、尊敬される人になろう。

金持ちになれなくても、優しい人間には、なれるはずです。

私は、なれなかったけど、それで後悔して生きています。

人は、生まれるとことか、生まれる環境をえらべないので、その環境で懸命にいきてほしい。

おとなになるのは、「みてみぬふりができること」
それが、「やさしさ」と気がついてほしい。


橋のない大阪の町。

2011-01-01 | 日記
橋とは、人と人の絆であり、つながりであり思いやりでもあるのです。
私は、はじめはいい町であり、素敵な町だとおもってました。

しかし、暮らすうちに人の人の橋のない心の隔たりを感じてしまう、そんなときがたくさんありました。

人と人の隔たりとは、差別のことです。
差別は、してはいけませんと、大阪の人々はいいますが、本当は差別はあります。

私は、手痛い差別を受けた一人です。
一人で何にもできない、しかし人を嫌いになることはできました。

心を許さない、心の探りあいなのです。

岡林信康の「手紙」をきいてほしいのです。

私はそんなにわからない女でもないし、ひたむきでもない。
しかし、一緒になれない相手がいても、死んだりはしません。

私は、最初で最後の人を愛することができただけでも、十分ですから。
しかし、生きていくためには、これからの人生人間関係が必要です。

大阪の大きな差別の壁が、私には苦痛でしかないのです。
隠して生きるのがあたりまえで、都合の悪いことは、うそを突き通す。

それが、私にはみえみえで、すごくいやになります。
その話題を、避けていく人の顔が怖いからですね。

でも、橋は永遠になくても、わたしはいきていかなくてはいけません。

私は、心の橋はいりませんが、少しだけ用心していく道をみつけたつもりです。

人の隔てる怖い話題は、言わないし、ききません。
だから、私も人に気を使い生きいこうとおもいます。

安全な道を探し、危ない橋は渡らないつもりです。

岡林信康の「手紙」の中の純粋な人間ではないのです。


あけおめ?!

2011-01-01 | 日記
人間として超えてはいけない年齢を迎えてしまいました。
半世紀ともうすぐおわかれです。

ついに、私は半世紀以上いきたわけです。

老化現象は確実に、私をあの世へと向かわせますね。
認知症かもしれないし、判らないけど勉強しても覚えられません。

何度もやってすこししか、頭に入らないので余計目がつかれます。

年齢とともに、正月は、たのしくはありません。

「正月は、冥土のたびの一里塚、うれしくもあり、うれしくもなし」

☆冥土があるのか知りませんが、たぶん骨の粉になり肉体も、心もすべて自然にもどること。
 海が満ちるときに、死ぬそうですね。(今年は有名な人が、癌で死んでゆきますね。)