女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

いつも、差別する人々。

2011-01-18 | 日記
私の住む町は、地区あり、在日韓国朝鮮人あり、差別しあうまちです。
仕事がなければ、どうすると思いますか?!

金を国からもらうために、親と子が別居するんですね。
そうすれば、国から金が下るので、酒びたりの生活ができるんですから。

在日特権、特権は、一般の人よりたくさんのお金が下ります。
つまり、只で贅沢にくらせるまちであり、その金でさけびたり、パチンコ生活です。

しかし、団体行動する人々ですから、国は(やくざ組織とつながりのある人々に)文句はいえないのです。
それが、この町の特権階級です。

自動車学校は只です。
しかも、年金は払わないのに、たくさんおりるそうです。

組合が強いので、おろさないとあばれまくりたいへんなのです。
この現実にわたしは、驚きました。

橋下知事も知らない現実を垣間見てきました。
特権階級は、つまり、わたしたちをも、差別します。

悔しいのでいいます。
そんなやつらに、かねをやるぐらいなら、困っている人々になぜ行かないのか?!

まあ、在日、の強い地域ですから、その他の人々は逆差別をうけるんです。
この話はほんとうです。ちゃんとした人にきいたからです。

私は、この町では買い物さえ、差別されましたが、もういいんです。
ゆるせないけど、もうあきらめました。

在日特権階級、特権階級は、この町のすべてを支配しているように、いばってますから。

毎日恐ろしい人々の間で、びくびく震える毎日送るのは、体によくないらしいですが。
でも、私はこの町をすきでした。でもある人々の差別で、嫌いになりました。

たぶん、これからも、この特権階級の人々は、優雅にしあわせにくらすでしょうね。

稲垣吾郎ちゃん、やりましたね?!

2011-01-18 | 日記
稲垣吾郎 非道の数々でアウェー感も前進
2011年1月18日(火)06:00
 ◇2010年毎日映画コンクール・男優助演賞

 子供を的に矢を放つわ、慰み者にした女の舌は抜いてしまうわ…およそ人間とは思われない非道の数々。「乱心」の2文字で片付けられては政道立ちゆかぬと差し向けられた刺客の面々。三池監督がメガホンをとった「十三人の刺客」で、非道の限りを尽くす将軍の弟をインパクト十分に演じた稲垣吾郎(37)が男優助演賞に輝いた。

 国民的人気グループのメンバー。ファンが抱くイメージもある。刺客に狙われる暴君はしゅんじゅんしてもおかしくない役どころだが、三池作品のファンだったという稲垣は「幸運が舞い降りた」という表現で出演依頼に興奮したと明かす。

 「監督からは“楽しんで好き勝手にやってくれ”と言ってもらいました。初めての時代劇。悪役とあって現場ではアウェーの空気も感じましたが、大変さを感じる以上に本当に面白かった」

 所作や殺陣以上に気を配ったのは殿様に見えるかどうか。加えて「将軍の弟が抱えるジレンマ、孤独といったものがにじみ出てくればいいと思った」と役に入ったが、内面を表出する演技は見事だった。「賞は1つの認定証のようなものでうれしい。誰よりも喜んでくれるのはSMAPのメンバーだと思う」としみじみ。活動屋たちに刺激を受け、映画のだいご味に触れた吾郎ちゃんは“役者”として一回りも二回りも大きくなった。


☆15年ほど前の、「夜曲」のときの演技も輝いていました。頭のいいスタイルのいい人で、いまでも素敵ですね。

縄の誘惑(4)

2011-01-18 | 日記
私が、人妻の女王として名古屋のある店に勤めだしたのは、27のときでした。
しのぶという源氏名として、ハーフのモデルとして勤めました。

実際は、読者モデルの只の人妻で、何の価値もない女でしたが、体だけは美しかったと記憶しています。
少しばかりの、興味と少しばかりのお金の魅力に取り付かれたのです。

しかし、金銭で割り切る事務的な関係は、たのしいものではありませんでした。
客の望みをその場で判断していく頭の回転はいるし、言葉遣いもかえなくてはなりませんでした。

女王様という、作られた女になるのは苦痛を伴う作業でした。
しかも、身に着けるものも、黒のボンテージとか、私には衣装などはどうでもよかったのです。

只男の欲望の代償として、金銭を受け取る。
辱めを受けて喜ぶ男を見るたびに、戻れない世界に行ってしまう恐怖と戦いながら私は演じたのです。

あっという間に、だんなと、私の借金はなくなり楽な暮らしになりましたが、なんとなく不満のある毎日でした。
仕事ではなく、本当のマゾにであうことができなかったのです。

演技ではなく、本当の奴隷に出会いたかったのです。
私の豊満な胸で、苦しめてころしたかったのです。

私は、そのためだけにうまれたといってもいいぐらい、いい肉付きをしていましたし、その体におぼれてゆく、
男たちをみるのが、すきだったのかもしれません。

神聖のサデストになるべく、生まれついたと思うときさえありました。
男の苦しむ姿が、わたしのこころのあるところに、ひびき、ますます快感になりました。

男をいじめることに、こんなにも生きがいを感じるのはきっとわたしひとりではないかともかんじていました。
もっとも、本当のマゾに出会うことは、いちどしかなかったのですが、私はじぶんで、じぶんのからだに、
おぼれてゆきました。

なぜなら、皮に包まれた自分を鏡越しに見ると、そこには別の生き物が自分をみているようで、ときめきました。
化粧をほどこし、皮の美しい、衣装につつまれたわたしは、美しいそして女王として誇りをもてるほどでした。

長い髪を黒光りしたうつくしい、衣装に、揺らすと、自分でも惚れ惚れしてしまうナルシストにもなっていました。

愛される価値のある体で、このからだでとりこにした男たちは、離れて行くよりも、堕ちていく堕落していくのがあたりまえで、おそらく、くるってしまうのであると確信しておりました。

愛とは何であるのか?
それはたぶん、理性さえくずしてしまう、感情のみだれであり、おぼれてゆく神経回路のいたずらではないかと。

狂わせるほど、男を夢中にさせるのが、私の生きがいでした。
そして、実際におぼれてゆく男たちが、いたのも事実です。

美しいものは、それだけで罪であり、それは男の理性を奪い、くるい、さけび、仕事さえ犠牲にする。
しかし、それは私の考えすぎであり、映画の中の世界で、本当か虚実の世界か、わからないときさえあったのです。

事実は、男は確実に狂い、私を追いかけて、ついに私のすべてを破壊してしまいました。
それでも、私は後悔していないのは、17のときに見た、美しいものは、壊されて輝く。

あの写真を見たときのときめきを、ずっと抱いてきたからなのでしょう。

今でも恍惚とした縄の中にいる、男たちをわたしはわすれることができません。
人間は、闇の部分で半分はいきている。

そうして、理性の部分で苦しんで、いきている。
それは、この老婆の歳になり改めて、感じて生きているしだいで、ごさいます。

私の話は、まぼろしか、夢のいたずらか、すべてはわからないのでございますが、今でもかすかにのこり火のように、
くすぶり続けるのは、どうしてなのでしょうか。

おわり。

縄の誘惑(3)

2011-01-18 | 日記
生きることに絶望した老婆にとって、こんな話などきかなかったことにしてほしかったのですが、
やはり話しておかなくては、なりません。

私のはかない人生で、楽しかったことのひとつに男をおもちゃのように扱い、快感に狂う時代があったことを。
私は、美人という要望ではなく、どちらかというと、個性的な顔をもち、172センチの体は、いまよりはるかに、
バランスのとれたものでした。

大柄な体の割りに、手や足はおおきくはなく、長いひたすら、すらっとした容姿でした。
顔は、すきずきですので、私のおもちゃにとっては好きな顔だったのでしょう。

思い起こせば、美人でもかわいくもない私になぜ、おとこが服従したがったのか、たぶんです。
わたしの、体の美しさだったのではないでしょうか。

こしのくびれと、大きな胸は、男にとって顔の造作よりも、うつくしいものだったのではないでしょうか。
今では、この老婆はみにくいからだになり、おもかげなどはないのですが、そのころは、美しい体を、
持ち合わせておりました。

日本人にはない、大きなおしりの肉付き、そしてこしのくびれ、大きなおわんがたの胸がわたしのすべてでした。
足は、すらりと長く、陸上で鍛えたももはかたく美しくのびていました。

人間は、美しいものを壊す。
そして、うつくしいものに、服従する。

そういう生き方もあるとおもいました。
わたしは、恵まれていた体で、たぶん男を魅了していたのではないかったのでしょうか。

すこしだけですが、違った生き方ができたことに、まんぞくしています。
写真家に、その美しい体を撮ってもらったのも、いい昔のおもいでなのですが。

女には、すばらしい嗅覚があります。
それは、自分を大事にして、優位に立たしてくれる男をすばやく、嗅ぎ付ける能力です。

その男は、私にとっては、偶然の産物ではなく、私に出会う必然性がかならずあったはずです。
どんなに、その後、家庭をもちしあわせのふりをしても、私との服従関係から逃れられずはずなどありえないのです。

それは、本気でわたしは、その奴隷を愛していたぶり、かわいがってその男の望みどうりに人生を変えてしまったからです。
今でもその男は、私の事を忘れずにいてくれると思うのは、一番大切なときを共有した快楽の塊をのこしてしまってそのかたまりを、今でも解凍しながら、生きているのではないかと思うのは、私の妄想でしょうか。

いや妄想でなく、事実ではないかとおもわれるのです。
年月をかけて人生で、会得したものは、人間の記憶は一番刺激を受けたことを、わすれさることはできない。
たとえ、いまがしあわせでも、前に受けた刺激がつよいなら、それ以上のものを望むということを。

私の美しい体を、床の上に転がりもがき快楽にもだえて、見上げたことはその男は、一生消し去ることはできないのです。
倒錯した世界は、その世界を知る人のみが、共有できる空間なのですから。

知らないままで終わるなら、そのほうがはるかに幸せに感じると私は信じています。
わたしは、いまでも、普通の世界では喜びは、感じられない女なのです。

それを、私の体に叩き込んだのが、奴隷の男なのです。
服従さして、男をひとつのものとした扱う、快楽を覚えてしまった私に普通の世界はありえないのです。
つづく


縄の誘惑(2)

2011-01-18 | 日記
人間には、明らかにふたとおりのわけかたがある。
奴隷と、主人という関係、S、Mの関係である。

女は、だんなに服従していきていくのか。それとも、みんなのおもちゃになるのか。
それぐらいしか、昔は生き方が選べなかったときもあった。

女という形のある生き物は、たぶん奴隷としていきていたほうがはるかに、快楽に近い道をみいだせるのだ。
女郎おんなたちも、今の風俗の女性たちも、むりやりではなく、必然的に、男のおもちゃになる運命だったと思う。

お金というものにしばられるのは、妻であっても、風俗の男の遊び物(快楽の道具)であっても、
女の価値は、私は、支配されるべき美しさにあるのではないかと思うのである。

美しいものを、大切に道具をみがくようにもちたい、そうして守りつかいつづけてゆきたい。
それが、女のしあわせであり、男の奴隷になるのが、安全で心地よい道を信じていた。

しかし、私はそれは、ひとつのみちであり、間違いであることに気がついた。
私が、主人であり、男が私のおもちゃになることも、ないことではないときがおとずれてしまった。

私のかわいい、おもちゃである男に知り合ったのは、20代の半ば、ふとしたきっかけでおとずれた。
わたしは、人妻であったが、この男性の倒錯した世界は、驚きにしか感じられなかった。

私には、本当にこの人をめちゃくちゃにする快楽をあじわってしまった。
その男性は、私の足元にすがりつく、犬だった。

長い足にまとわりつくかわいい犬だった。
けっして、私の命令には逆らわない、かわいい奴隷だったのだ。

最初からそんなことは、しらなかったが、その男が風俗のSMクラブにかよっていたようだった。
女王様に、みさげられ、罵倒され、なぐられ、あしげりにされ、縄でしばられることに、快楽を得るおとこだった。

力の加減は、まったく理解できなかったが、からだにあざがのこってもいいぐらい、ハードな人だった。
あまりに、わたしが、けりをいれて、鞭でしばきあげたので、いちど、しんでしまったように、
「失神」してしまい、おどろいた。

しかし、その男は、その快楽をわたしに、要求してきた。もっとなぐってほしい。
もっと、みさげてほしい。ぼろぼろに、僕を傷つけてほしい。

いぬのように、首輪をつけて、長い足でけりあげてほしい。死なない程度ならはげしくと、
まるで、人をいたぶるのが、ほんとうにくせになり、男はそれに喜びを感じていた。

もちろん、縄にもよろこびをかんじるひとだった。
亀甲しばりは、その男を荷物のように、床に転がして、上からみあげて、つばをはきかけると、
また、眼をつぶり、われをわすれて、快感にふけっていた。

縄で、がんじがらめにされる快楽は、はかりしれないが、その男の社会的信用などかんけいなく、
私の、おもちゃとして、おくりものとして、ラッピングされたその男は、かわいく見えた。

外では、素敵な会社員で、夜は、私のおもちゃ。
わたしのおもいどうりにいく、かわいい、玩具だった。

たまに、無視してやると、本当に悲しそうにする子犬のような男だった。
たぶん、わたしは、今でもその男を一番愛していたと思う。

私の一生の、おもちゃになろうとしていたに違いない。
私の過去は、本当に、まじめすぎてそんな男などは、未知の小説の中のことで現実にありえないと感じていた。

しかし、わたしにはたしかに、くるしみ、いたみ、そくばく、縛りに、喜びを覚える男をはっきりと自覚した。
人間は、ふたとおりしかいない、それは、奴隷とそれを支配する人間。

私は、奴隷には、なりたくはなかった。
容貌のおとろえたいまでも、男を縛り上げ、打ちのめす快感は、忘れようとしても、わすれることができない。

奴隷の、快楽の顔も、わすれることができないのだ。

つづく。