goo blog サービス終了のお知らせ 

女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

天国って、面白いの?!(10)

2011-01-26 | 日記
人間が恋に落ちると、どんな行動をするのか?
人間と、猫とは、お互いの細胞がまじりあい、新しい生物ができるのか?

つまりです。猫のすがたのわたしは、恋をして文鳥☆研究員に報告する義務でした。
しかし、任務をわすれるほど、本気になるのは猫の方でした。
 
不細工な容姿の猫は、もてないのでいつも恋はあきらめておりましたが、
猫の姿の自分は、きれいな美しい艶姿の猫なのです。

もしかしたら、猫としてわたしをみとめてほしい。
”まさまさ”のそばにはいけないので、そっと猫の手で手紙をしたためました。

「あなたの涙は、わたしのなみだです。
あなたの悲しみは、私の悲しみです。

あなたの喜びはわたしの、よろこびです。
あなたのそばに、いつも私がいます。」

猫の私は、もやもやの手の肉球に邪魔されながら、書いたのです。
たまに、ひげが揺れたりして、恋文を書くのが大変でした。

恋文は、やがてとどいたのかもしれません。
人間界には、ありがちな住所でしたが、本当は屋根裏にすんでいたのです。

寝るときだけは、人間の体から離れて、そっと屋根裏でねていたんです。
もちろん、猫の私の抜け殻はベットにあるのですから、誰にもわかりませんね。

屋根裏では、たまにねずみとかけっこしたり、のびのびとあそんでおりました。
猫の方が、はるかに人間の私よりも、楽でした。

さて、猫が本当に、人間と恋に落ちるのでしょうか?!
それとも、人間の男前が、猫をすきになるのでしょうか?!

まあ、かなわぬ恋は、美男子とブスの恋なのでしょうね。
写真を送っても、無駄でしょうし。

たぶん、おりきにもなれないじぶんでした。
また、恋文をかきました。

猫球の手が邪魔になるのもわすれて、せっせとかきつづけました。
たまに、おまけをいれました。

美しい入浴剤とか、あめとか、その他色いろですね。
おまけつきだと、たぶん期待してあけてくれそうでね。

何にもないよりも、印象に残るので、わざとおまけをいれるんです。
つまらないものでも、あけてくれるための、手段ですね。

あめひとつでも、印象にのこるのですからね。
みんなもラブレターには、おまけを入れましょうね。

バレタインデーに”まさまさ”はたくさんのチョコをもらいそうです。
だから、私はあえてずらして、あげるんですね。

数少ないプレゼントの日をねらい、送るんですね。
わたしの、猫ごころをこめて、愛をこめて、送りました。

つづく。






天国って、面白いの?!(9)

2011-01-25 | 日記
コンサートの”まさまさ”は日常の毎日を、吹き飛ばすぐらいに楽しんでました。
じぶんのよろこびが、たくさんの人々へと、伝わるのが楽しくてしょうがありませんでした。

それから、猫はそのコンサートに、なぜか変な感じでいくようになりました。
”ごろごろ”のおりきのひとが、つれてってくれたからです。

人間の形の私は、しっぽを隠しながらそっと人間界でもおしゃれな格好をしていきました。
ときに、黒のドレス。
ときに、チャイナ風ロングドレス。

どれも、尻尾が出ないように、ちゃんと大きなパンツで美しい毛並みをかくしたものでした。
もちろん、たまにうれしいと、「ごろごろ」となってしまう自分に、やばさを感じていました。

猫である自分は、どうしても美しい毛並みを見せたいと思いましたが、なんせ猫ですので。
人間と恋に落ちるのは、ありえないと感じていたのです。

最初に、言ったように、「美しい心の人には、見える」それは事実なんです。
猫の毛並みと、パッチリとしたアイラインがはいったおめめと、そしてかわいい耳が、
見える人には、みえますし、たぶん見えない人のほうがはるかに多いはずです。

心の美しい人には、見えるとは、はどういうことでしょうか?
人に対して、優しい人で自分のことよりも、相手のことを考えられる人のことをいいます。

つまり、無償の愛のあるひと、見返りを求めない愛のある人のことです。
これは、難しくはありません。人のために喜ぶことができる人のことをいいます。

見える人には、見えるのは、心の目が透き通った人には、みえるのです。
顔の美しさとは、また違う心の美しさ、いいですかほんとうなんですからね。

”まさまさ”にはみえたんでしょうか。
さて、コンサートの最中に、みえたのです。

銀色に輝く毛並みの美しい猫が、猫の手で、うちわを振っている姿が、
あまりのおどろきぶりに、わたしもにやりとしてしまいました。

みえたのです。
一度ターンしかけた、あしをみだれさせて、ころんでしまいました。
しかし、踊りの上手い彼のこと、ダンスの演出にしかみえないほどでした。

猫は、おもいました。
「みえたんだ。私の美しい毛並みとかわいいおめめが」
それなら、彼はうつくしいこころで、まっすぐなひとなんだとおもいました。

猫の手は、はげしくうちわをふりつづけました。
そうして、大きなしっぽも、ふりふりしてゆれておりましたおおきな、パンツの中でね。

石の効果はありました。じつはですね。
その石は、美しい心にかえる魔法の石なんですから。

その石は、文鳥☆のしいくががりでも、優秀な人のみに配られる石なんですからね。
猫は、ひそかにがんばって、飼育ががりを毎日していました。

来る日も来る日も、がんばってひたすら、この任務にかけておりました。
さて、この任務は、人間に恋して、それについて調査することでした。

たとえばです。
人間は、いつ恋におちるのか?

恋に落ちた人間は、どんな行動をするのか?
それが、任務なのでした。

続く。

天国って、面白いの?!(8)

2011-01-25 | 日記
みなさん、話が大変それてしまい、ごめんなさい。
”まさまさ”は、石をしっかりとうけとり、ある町まで猫にあいにきたんです。

テレビでみるよりも、はるかおしゃれで、素敵な人でした。
遠くから、私を見ておりましたが、たまにあの声でなにかを、うたっていました。

おんちらしいのですが、そのときはかなり上手でした。
たまに、自分のおりきの人をつれてきていました。

ぜんたいてきに、黒が似合いオーラはあるけれど、悲しいオーラでした。
運命を悲しいくすすんでゆく、そんな自分をかなりうらんでいるようでした。

生まれながら、必然的に選んでゆくこの運命は、彼にとっては苦痛そのものでした。
なぜなら、野球選手になりたかったからです。

スターとしては、かなりすごかったのですが、心の中は満たされない日々をおくってました。
途中に”もりもり”がオートレサーに転向したときは、彼はうらやましかったのにちがいありません。

自分も野球選手になるのだけが、運命を変える方法でしたからね。
お金をたくさん稼いで、運命を見返してゆく、それが彼の夢でした。

星は、美しく光ります。
はかない運命のように、うつくしくひかります。

それは、何年も越えてゆくかなしみのかたまりをうちけすように、美しい光なのです。
”まさまさ”はかんがえてました。

せめて、悲しい運命なら、悲しい苦しい人々を、たのしませてあげようと。
それは、日常の苦しみを喜びにかえることが、彼の夢でした。

ダンスも、歌もとても、かんがえて、選んでました。
人々の、幸せは、じぶんのしあわせになり、よろこびになるようになりました。

普段笑わない人を、たのしくわらわしたり、踊りを積極的にとりくんでみたり、
それが、コンサートという、ひとつの祭りでした。

「だれひとり、悲しんでいる人がいない空間」を作るのが彼の目標でした。
そうして、自分の悲しみを、人の喜びへと昇華させるスターになっていきました。

たとえば、ディズニーランドでは、並びつかれることぐらいで、怒っているひとはいませんよね。
たのしいわくわくを、みんないだいて、テーマパークにおとずれるのですから。

コンサートは、いわば、みんなの幸せの空間にすることが彼の本当の望みでした。
そして、本当の苦しみを忘れ去る空間を、製作している彼でした。

つづく。

天国って、面白いの?!(7)

2011-01-24 | 日記
自由な鳥は、決してたのしくはないものです。
かごの鳥のほうが、守ってくれる人がいるからです。

自由とひきかえに、強い風にさらされる危険と寂しさが存在するのです。
あなたは、どちらをえらびますか?
わたしは、危険と引き換えの、自由の道を選びますね。
なぜなら、私はその自由な危険性のある道におちている、ときめきがすきなんですから。

守られている鳥よりも、自然の鳥のほうが美しいのは、えさを探すために必死に絶え間なく注意をはらい、
努力して、安心する寝床はないけれど、恋に対しても必死に何度もアタックするオスのようで強いのです。

強い人間は、一匹狼でも生きていけます。
やくざ組織は、弱いものです。
そうして、何の組織でもつよくはないのです。

一人とんでゆくことのできる。群れを必要としないものは、自信と強さがあふれていますし、
わたしは、今回というよりも、誰のために生きるわけではない人生を一人で生きているわけなんですね。

人間界では、差別という区別が存在します。
私は、誰とも組を作るような人間ではありませんし、これからも一人で生きていく猫なんです。
野良猫のように、しぶとく強くいきていくのです。

話をもとにもどしましょう。
”まさまさ”は、確かにお金は稼げますが、失う怖さのために人をあいせない人なんです。
”くみくみ”を愛せなかった男です。お金のために素敵な”くみくみ”をすてたんですね。

これは余談ですが、わたしも素敵な恋はしたことがないのですが、たぶんです。
人を思う気持ち以上に、私には、普通の型よりも人生を楽しむ技をもっているのではとおもいます。

一人を楽しむのは、孤独ですがたくさんの道を選べますし、たくさんの恋をします。
最低一度に、3人ぐらい恋はできますし、一人の人に縛られたら、恋は限定されますね。

私は携帯電話をもたないのです。なぜなら、一人として縛られる対象はいやだし、留守のときの説明が嘘臭いからです。
留守電にできないので、もたないわけなんです。連絡は取れないほうが、あきらめることができるからです。

私の連絡方法は、メールではないのです。もちろん℡でもありません。
手紙というシンプルで、素敵な方法です。

ひちめんどくさい方法が最適なのです。なぜなら、簡単な方法でないほうがよりたのしいからです。
相手に連絡を簡単にとれては、恋の重みと醍醐味がございません。

本当に、好きならストーカーなり、何らかの方法で相手はやってきますし、もう少しいえば困難な恋ほど、
すてきなんですからね。
達成できない恋は、向こうはたいていあきらめますよね。でもすきなら、あきらめないものらしいですよ。

それは、あるいみストーカーであり、ある意味無理な恋であるから、危険でどきどきするんです。
ドキドキすることは、脳みその官能のスイッチが入ることで、ある意味「快感」なのです。

「快感」は、限界を超えないと起こらないもので、マラソンなら”ランナーズハイ”とでも言いましょうか。
怖すぎて、「快感」はジェットコースターから落ちるような感じですね。

無重力のなんともいえない、ゆれと落ちるかんじで、アトラクションでいえば、横揺れたてゆれのユニバーサルスタジオに、
ある乗り物で、早い乗り物、ゆれ落ちるかんじの、乗り物ですね。

本気なら、そのスタジオにいけばわかります。あの感じはこわいけど、ある意味、
「快感」なのです。

つよくなればなるほど、怖さは、気持ちよさになるのですから。
乗り物は、そういう意味では素敵な快楽への招待になるのです。

死んでしまうぐらい、怖くなくては、「快感」の道へは、達成できませんね。
怖いことが、強いほど、気持ちよくなるのは、人間の道なのかもしれません。

つづく。





天国って、面白いの?!(6)

2011-01-23 | 日記
愛する”まさまさ”はそのころ、コメンティターをしておりました。
なれない仕事に、つらい日々だったに違いありません。

チンチラの私は、そのすばらしい顔がくもるのをみるたびに、心が痛みました。
つらいいじめのようなものがあったに、ちがいありません。

”まさまさ”は、”ごろごろ”とよく飲んでいたようです。
そのころの、”ごろごろ”は、よくお芝居にのめりこんでいたようです。

”にゃ曲”は、そのころ”ごろごろ”のおりきのかたといきましたね。
”ごろごろ”は、マップのなかでは、浮いた存在でしたね。

右利きで、テンパーで、流し目の男前とよばれておりました。
わたしも、どちらも、すきでしたが、”まさまさ”のかわいらしさに、のめりこんでいたのです。

不思議ないしは、”まさまさ”にとどいたようでした。
たぶん、その”まさまさ”は、よくお忍びである町まできておりました。

チンチラ猫の私は、それはもう、まいにち、テレビにかじりつき、たまに猫の姿を、
わすれるほど、夢中でした。

女はきれいになるときがあるのです。
人妻なら、30代半ばに、はかないけれど、美しいときめきがあります。
その揺らぎの中に、いる人間のように、私も輝いておりました。

チンチラ猫でありながら、人間界では人の妻なのにです。
思い出してもはずかしいのですが、恋をしたのでございます。

いまのちりゆく美しさとは違う何かに、出会う年齢は、30代です。
日常の一こまに、隠された耐えていき抜く美しさは、はかりしれないものです。

美しいものを愛するのも、壊してしまうのも、同じ行為なのです。
猫の私は、考えました。

そうです。会いたいいちどだけでも、あっていいたい?!
人は、恋をするのは、必然で、偶然の代物ではないと。
それは、運命の糸がかならずまっすぐではないと、証明されるかのように。

常識では考えられない、ことは人をすきになることです。
かなわない恋ほど、激しくもえて、せつなく人を美しいものに変えてしまうのです。

人のものとは、これほどに美しく、奪いがたく愛してしまうものなのです。
かなわない恋のほうが、素敵なものかもしれません。

現実に好きな人と生活してしまうと、嫌いになってしまうものなのです。
わずらわしいのと、相手に対して、ときめきがない。
どうでもいい。

そんな生活より、奪いがたい逢瀬のひと時のほうが、どんなにすてきなものか。
私は、いまでも、そう思います。

かごの鳥のじぶんよりも、不幸な自分のほうが、すきなのは、いつでも自由にとびまわり、
くるしんだり、喜んだりするうちに、美しくなるからです。

つづく。

天国って、面白いの?!(5)

2011-01-23 | 日記
猫の涙をご存知でしょうか?!
金色に輝く、美しいしずくなのでございます。

そのしずくが、水面をてらし、月の光に輝いて、まるで猫の姿がうつくしい人間に錯覚するほどでした。
いつまでも、猫はうらみ続けていました。人間界にくるのではなかったと。

「つきとすっぽん」
あなたがつきならば、すっぽんになりこの池にはいり、つきの水面のあなたを、そっと寄り添いキスするのに。
私は、猫です。だから、永遠に人間には、なれない、不運なものをいだいていきていくわけなんです。

うちに帰り、チンチラ猫は、手紙を猫の手でかきました。
「あなたを、すきです。
あなたの運命は、すばらしいものです。
みんなをしあわせにする、素敵な星のような人です。
だから、その笑顔をわすれずに、いきてほしいんです。」
チンチラ猫は、魔法の石を愛するマップノリーダーの”まさまさ”におくりました。

それからで、ございます。不思議な恋のおはなしがはじまるのです。
その石は、人間に見えないものを、もつと猫の姿がちゃんと見える石なのです。

たとえ、ねこであろうが、人間を好きになるのは、勝手でございます。
人間界の姿が、不細工なのは、しかたがないにせよ。

プラトニックラブは、進行していきました。

けだるい猫の心は、やがて思わないように、展開していきます。
おたのしみにしてくださいね。

つづきます。

天国って、面白いの?!(4)

2011-01-22 | 日記
ところで、チンチラ猫である証拠を人間の形のなっていてもあらわれているものがあります。
それが、アイラインを上下にひいてあることなのです。
チンチラ猫は、おめめのアイラインが特徴だからです。

この世間のとうりのあなたも、もしかしてそうかもしれないのです。
文鳥☆飼育担当である限り、人間にすがたをかえて、地球という☆でいきていけるのです。

恋い猫はつくれないのですが、恋はひそかに人間の容姿でできる、プラトニックラブです。
チンチラ猫があろうことか、人間の男に恋をしてしまったことがございます。

人間の容姿ですが、所詮猫でございます。
かなわぬ恋なのですが、猫の目からみても、素敵なにんげんでした。

その人間は、面食い社長の経営するプロダクションで、マップというグループのリーダーでした。
なにせ、猫のチンチラにとって、初めて恋するにんげんでした。
人間界のテレビをみるたびに、深みにはまりました。

好きだけど、私は猫の身分で、アル指令のためにたまたま人間の姿なのです。
だけど、心のきれいな人にしか、私の美しい銀色の毛並みと、ぱっちりのおめめと、ふさふさのしっぽはみえないのです。
人間の容姿で、悲しいことに、ぶさいくでした。

猫界の容姿なら、私はかわいいく、猫アイドルだったのに、チンチラシルバーの上等のほうの猫でしたからね。
かなしいけど、かなわぬ恋は、進行していきました。

人間界のCDをかいました。それから、マップに関する本をよみあさりました。
猫界のわたしにとって、猫の手も借りたいほど、いいおとこでした。
それは、かわいいひとでした。

チンチラシルバー瞳で、いつも写真をみつめると、どうして猫なんだろうとためいきばかりでした。

せめて、人間界の美人にうまれたら、猫の姿はみえないので、恋だけでもできそうなのに。
それでも、人間界のお友達に、さそわれて、マップの一人、ゴロゴロのところのお芝居に行きました。

「にゃ曲」という、お芝居にもはまりました。
私は、所詮猫です。だから、猫のままにいきていかなくてはなりません。

私の食べ物は、かつおぶしとごはん、たまにかんずめでした。
内緒で、たべていました。

趣味は、ごろねと、たまをころがしてあそぶことでした。
人間界でいうと、義介工業の、ちびさんのやくどころそっくりのしぐさでいきておりました。
あくまでも、にんげんのすがたでね。

家の中は、みえませんから、自由にごろ、ごろすりすり、または爪とぎは、気持ちのいいものでした。
たまに、ねずみをみると、つかまえるくせが、とても治らないので、ばれないかはらはらしたのです。

大きな尻尾が、みえそうになると、スカートをはいてごまかしたりしていました。
猫の姿になり、そのマップの近くに、すりよりないたら、きっとかわいがってくれる、猫美人でしたね。

それでも猫の恋はつのりました。
文鳥☆の飼育係としては、ねこのままでいかなくてはいけません。

恋をしたり、人間にあいされたり、やさしい誠実な人には、ねこのすがたになり、
人間としては、かなわないこいなのです。

少しだけ、この猫は月を見つめて、尻尾のばして、ひげをたてて、なみだしていました。
水面に浮かぶ姿は、なぜか、美しい毛並みをした、ねこそのものです。

つづくでしょう。

天国って、面白いの?!(3)

2011-01-22 | 日記
私の記憶では、チンチラ猫の形状になったのは偶然で、たまたまその星のあきばしょが、
文鳥係の、チンチラ猫しかなかったわけでございます。

性格は猫そのもので、気まぐれで好きなときにしかなつかないのでまるで、人間のめすのようです。
あるときなどは、この猫は雄猫に、少しだけ恋らしきことをしたわけなんですが、何せ人間の容姿で、
猫なのですから、上手くいくわけがありません。

おそらくです。その雄猫は気づきながらも気色悪いので、「シャアー」といいながら、
にげてしまったわけです。
そいつが、わたしなのです。おわかりでしょうか。人間のすがたなのですあくまでも。

猫のように、さむさには、弱すぎてたまにこもりますし、寒さのために動かないときもありなんです。
こたつのように、布団で春までまちのぞむなんて、当たり前のことでした。

デブ猫のように、人間本体はふとり一時は、人間界の「デブ」とよばれていました。
もちろん、「デブ」でも、一向に気にしていませんでしたが、やはり肥満は猫にもわるいので、
やせる猫努力をするひたすらかわいい性格なんですが、なんせ、猫ですから、きまぐれすぎて、
3日ともたないのです。

しかし、あるプールにいき、その猫は恋をしてしまいました。
筋肉マン、きじトラの雄ねこになんです。
その筋肉マンおすねこも、形状はにんげんですが、たまにしっぽがでてしまい。
わたしには、同じ猫同士の臭いを、すぐにかぎ分けてわかってしまいました。

私は、デブ人間、そのオスは筋肉にんげんでしたね。
ある意味、結びつかない不細工な人間の容姿のわたしで、その猫にとっては相手にならない存在でした。
あるときなどは、その雄猫人間は、人間界のテレビとやらの、レポーターで活躍しておりました。

しかし、その人間も本当は猫ですので、たまに耳やら、尻尾やらが、わたしには、みえてしまいましたがね。
わたしは、ひたすらやせるために、人間の容姿を保つためにも、およぎまくりましたね。
それは、猫クロールとでも、いいえましょうか。おかしなことに、ねこっておよげないはずなんですが。
形状が人間のかたちですので、およげたわけですが、不思議なものですね。

続くらしい?

天国って、面白いの?!(2)

2011-01-22 | 日記
私の大阪のきてからの困りごとを聞いてほしいのです。
たぶんです。
私の顔は、きもいのです。
外見障害です。

どう見ても、日本人に見えない障害なんです。
なぜなら、「日本語上手いね?!」
「何年ぐらい、日本にいるの?」
「私は、韓国人なの?! あなたはなに人なの?」

そう皆さん、まるで宇宙人をかいま見るように、私をながめますね。
外見がへんなのです。

日本人の外見はどういうものなのでしょうか?
私は、外見障害1級なんですね。

もう腹が立つのでいいます。
わたしは、にんじんですよ。

大阪府の橋下知事にいいたいです。
「大阪府民であり、大阪市民です。大好きな町で宇宙人あつかいです、助けてください!?」と。

私の生まれは、文鳥☆の飼育担当係員で、宇宙人ではないのです。
なお、今は人間界の、だんなに死別して、この文鳥☆の住人で外人ではないのですよ。

としくんも、お分かりなのですね。
たまに、ビオラ☆の担当係り員もかねておりますわ。

みなさん、人間辞めて外人の外見を持つ、文鳥☆の私をどうか、温かく見守ってほしいのです。
だからです。レノアハピネス香の香りを、あえてつけておるんですわ。

文鳥☆の係員は、清潔でかわいくなくては採用されませんし、とにかく優しい心の外人の外見者のみ、
採用されるわけですから、わたくしでいいわけなんです。

という、私の仮の身分を明かしました。
しかしです。これは重要機密ですので、極秘になっております。

普段は、人間の日本人以外の外見で、いきておるわけなんですわ。
みなさんには、私の本当のすがたはみえません。

文鳥☆の本当の姿は、猫チンチラの容姿で、かわいい猫の形をそなえております。
たまに、猫手をして、ばれてしまいますが、外見は心の美しいかたのみに、みえるんですわ。

猫の容姿では、いけないので、ふだんは、ブラジルフィリピン人型日本人の容姿を、ととのえております。
としくんには、みえますよね。

みなさんには、みえません。なぜなら、心がやはり、きれいじゃないからです。
心の美しいかたのみに、わたしのチンチラ型猫型☆人はみえるのですよ。

ほんとうです。これはよんだかたへのサービスですよ。
見えるように、皆さん心をみがきましょうね。

ところで大阪下町に住む、チンチラ猫のわたしにとって、つらい毎日です。
たまに、猫にアタックされるのですが、なんせ、人間のあそこですので、無理なんです。

無理なんです。
そう恋愛は、できません。
たまに、猫を見ると、やはりチンチラ猫の容姿にもどりたいのですが、これは任務ですのでもどれないのです。
いろいろな都合上、もどれないのです。

続くようですね。


天国って、面白いの?!(1)

2011-01-22 | 日記
あなたと私の出会いをかきましょうね。
そう、あれは、30年ほど前でしたね。
同じ職場の、違う部署で働くあなたとみんなで、いつも休憩時にお茶してましたね。

そうです。バレンタインデーに、義理チョコを皆さんにあげたら、返事をくれたのは、
あなたと、もう一人でした。
そのあなたの手紙の封筒、便箋がかわいいので、びっくりしました。

なんと、キキ、ララでした。
それは、長い手紙でした。というか、男の人に手紙をもらったのは、はじめてでした。
℡番号と、趣味のところが、「寝ること」とかいてありました。
あれからわたしも、キキ、ララがすきになったのですが、あなたは今でも好きですか?

私は、もう一人からもマシュマロをもらいましたね。
それは、同級生のひと、デモね後から聞いて驚いたのは、私の写真を枕元にねていたそうです。
今思えば、好きだったのでしょうね。

私の特技は、ないけれどひたすら、まじめにお茶をいれることです。
もちろん、いつもお菓子つきなんですが、そのころから世話焼きなんですが、今ではさみしいものです。
どうして、付き合ったのかは、わかりませんが、いつのころからかあなたの車には、私がセットでいましたよね。

とし君みてますかね。今では、自転車の席で必死にいきているんですよね。
それから、あなたが驚くほど太り、不細工になりました。
ごめんね。きれいじゃないけど、好きでいるんだろうか?

永遠に、かくれんぼしているようで、どこかでそっと見ているあなたを想像してます。
たぶんです。私をいまだに馬鹿にしているんでしょ。

でもね、ちゃんと一人で眠れるし、ご飯もたべれるし、少しだけ自立しましたよ。
頭は、やはり悪いから、あなたはたぶんまた、私の勉強する姿を見てあきれているんでしょ。

「無理、お前には無理だよ」なんていっているようで、でも暇なんで勉強してます。
本当は、寝ていたいんだけど、ダイエットと健康のための勉強です。

自分のボケの具合の進行を自分で、感じてみたいし、苦しんでみたいのですね。
勉強は、昔からしたことがないんで、いまさらまじめぶりには、われながら驚きです。

外人が勉強して、にほんごをみにつけて、しゃべるとみんな思い込んでます。
しかしです。私の記憶が正しいのなら、日本人なんですよね。

日本に籍があるし、見た目は違うからおどろきなんですが、それに馬鹿でかい身長がだめみたいで、
かなり、今では嫌われて、外人ではなく変人になりましたね。

私の趣味は驚くことに、言えば長くなりますが、ボケ対策に資格をとることです。
難易度は、ひくいですがね。

賢くない割りに、頑固で変にがんばるいやなやつらしいのですが。
たまに、真剣すぎて、誤解をうけるほどです。

パソコンがいちばんすきで、その次は手芸がすきですね。
顔に似つかない趣味は、もちろん手芸ですが、この前かごを作りまして感激してます。

できれば手作りのなにかで、稼げるほどの腕がほしいのですが、いまんとこは、みわたりませんね。
掃除は、やはり好きです。

本当は、ある時期から掃除機の音にはまることになりまして、それ以来大好きなのは掃除機なんですが。
秘密にしてあるのは、うるさい音に、癒されていますね。

洗濯もすきですね。それは趣味かどうかわかりませんが、洗濯物が風になびく姿を見ると、幸せなんですね。
人それぞれの、幸せで、私は人をみくらべませんし、うらやましいとかはないです。

好きなものは好きで、たぶんです。
このまま掃除機ともに、人生を終わるでしょうね。

いまのなやみは、隣のことです。
のぞきの趣味があるらしく、人のことを干渉するので、たまに引っ越してほしいぐらいです。

はっきりいって、外人らしいのですね。
まあ、在日さんです。今流行の「ケンチャナヨ」の国かなあ。

不細工なめがねのいけず後家みたいで、顔を見ると笑えるので、こまります。
本当にもてないらしく、いたずらメールの好きな何と67歳ぐらいの方ですわ。

たぶんです。写メールなら一発で、振られる感じです。
美人にはない、恐ろしさと、観察力があるのですごい人です。

そんなわけで、今の暮らしは、快適とはいえません。
戸は閉まらないし、声はつつぬけですので、隣の激しい声さえきこえますが、
それは信じられないので、あまり深くはかきませんが、確かにきこえたんですね。

「我慢しろとか?!」「痛いとか!?」
なんだか、すごそうで怖いのでかけません。

77歳ぐらいの人って、できるんでしょうかしかもです。
痛いほどすごいなんて、「サランヘヨ」さんは、やはりすごいですよ。

もう、恐ろしすぎて、かけないのでまた報告しますね。

つづく。