カリフォルニア便り ーFROM OQ STUDIOー

~南カリフォルニアから~
陶芸家の器と料理、時々王様の日々

花束の似合う人

2011年05月14日 | Travels

 

旅の途中に母の日が有りました。

朝の市場には季節のチューリップや水仙、アイリス等を中心とした花束が沢山。

この写真の女性、花束の組み上げが手早く、仕上がりも見事でした。

このように大きさを揃えた店頭販売用の花束というのは、

お客様がお花を一本一本選んでから組み上げて行くものとは違いまして、

順番や長さ、本数に至るまで一定の法則が有るのです。

私の場合、それを練習する時には割り箸や菜箸で繰り返し訓練したのでございますよ。

生の花を使っていては無駄になりますし、初心者は堅いお箸の方が扱い易いのです。

あっ、そんな事どうでも良いですね。

 

道行く人達の中には、この花束を幾つも抱えた人もいます。

花束を抱えて歩く人を見るのは、とても気持ちのいいものです。

大切な人へのプレゼントかな?ですとか、

コレから家に帰ってお部屋に飾るのかな?とか、

その花束が薔薇のみで仕上げられていたりしますと、プロポーズか~などと、

要らぬ詮索をしてみたり。楽しいです。


この日は母の日でしたから、誰もが堂々と花束を抱えて歩けたのでしょうけれど、

花束を抱えて歩くのがちょっと照れくさいとおっしゃる方(特に男性)もいらっしゃいます。

確かにね、持ち方によってはロマンチックな想像ではなくて、

「送別会でしたか?」とお尋ねしてしまいそうな方もいる。。。。。かな?

 

仮の話しなどしても仕方が無いのですが、

もしも私に息子が居りましたなら、花束の似合う男に育てたいと思ったことでしょう。

その花束は、願わくば送別会の頂き物ではなく、愛する人に贈る為の花束とか、

自分の部屋を飾る花束で有って欲しいと思うのは贅沢ですか?

世界中に無数に咲く花々の中で、花束となり、受け取る誰かを笑顔にするという

栄光のステージを与えられる花は極くわずかです。

私はその晴れ舞台には、大きなスポットライトを当ててあげて欲しいと願います。

花束の似合う男性などと言葉にしますと、何だか外見の事を言っている様ですが、

それは二の次三の次です。

花束を持った時にサマになる為に必要なのは二つのこと。これは性別には関係ありません。

美しいものを素直に心を込めて賞賛出来る気持ちと、

壊れ易いものを丁寧に扱うことの出来る優しく強い心だと私は思います。


美しいものを目の前にした時に目を伏せたり、照れ笑いを浮かべたり、

それを誤摩化すために乱暴でぞんざいに振る舞ったりするのではなく、

真っ直ぐに胸を張り、「美しい」と思う気持ちを素直に口に出来、

その美しさを損なわぬ様に扱える人となるには、並々ならぬ努力が必要です。

そのような振る舞いが出来る人に会えるチャンスは残念ながら余り多くは有りませんが、

いるのです。ちゃんと。

私もそのようなヒトでありたいと思います。


素敵な週末を



 



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