自分の性格って変えられるものもあるかも

2019-06-12 09:47:09 | 日記
訪問看護師さんとの筆談で。
私が透析で誕生日月に行う大腸検査でブルーで食欲がいまひとつと打ち明けた。
検査前に飲む腸洗浄液は2リットルで、自分が1日に摂取する水分は300~400mlの約5倍。普段1日1.5リットル水分摂取している場合、検査前に7.5リットル飲むに近い。しかも飲み込むことそのものが難しくなっている現在、2リットル飲むことは、何かもっと楽な方法はないものかと思ってしまうのである。(胃ろうのときはこの検査、楽勝だったんだろうなと有り得ないことを思ったりする)

大腸検査では、腸に癒着があり、はじめて検査してくれる先生のときなど痛いことがある。

訪問看護師さんは、病歴が長いのに検査で落ち込む私に、少し驚かれたようだった。
訪問看護師さんは入院していろいろ検査の経験があった。
考えても仕方ない、まな板の鯉になって・・・自分のことばかり考えていない?・・・自宅ではリラックスして・・・

私も堂々とそんな風に考えたい。
それができないのは、自分がもともと持っている小心者の性格だと思っていた。

でも訪問看護師さんがおっしゃった「自分のことばかり考えていない?」と自分が思っていた性格「小心者」が同じに思えた。

小心者はわりと内向的な発想をしている気がした。
検査を嫌だと思うだけじゃなくて、敢えて小心者でない考え方をしようとすれば、楽になる気がした。すぐにできるとは思えないけど・・・

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動きではなくイメージ

2019-06-10 12:08:36 | 日記
前回のブログでは間違ったことを書いていた。
リハビリで動きが出ることはまずなく、動きの仕組みとか感覚をわかることだったのだ。
それをわかって自分ができることはイメージだ。
本当の動きの仕組みや感覚を理解した上で行うイメージと、理解しないで行うイメージは全く別物だと思っている。
後者は想像っぽい?
前者は本物の動きを想定して行っているイメージだし、実際に動ける身体は脳でリハーサル後に動いていると聞いたことがある。

リハビリ後に行う、理解した動きのイメージ。
もしかしたら動ける人が、動く間に脳で行っているリハーサルに近いことをイメージはできたりするんじゃないかと思った。

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▲教えて頂いた身体の動きを使うべきだと思った

2019-06-08 15:23:01 | 通院リハビリ
三上さんがマットに座り、2パターンの上を向く違いは、腰が後ろにさがって上半身が倒れるものと、つけねを谷折りに曲げて上半身は少し前に出たもの、、、だったが、自分は何がわからないのか、がわからなかった。
三上さんは、何かに気づくために身体の動きを見せてくださっている気はした。

その後自分もマットに座り同じように身体を動かしていただいた。
ところが、前回つけねを軸に上半身を動かして取れた痛みが、はっきりとある。
「変だな。」

このとき気づかなかったが、痛みの場所が違い、
前回は”足の付け根付近”で、今回は”まさに足の付け根”であった。
リハビリで、曖昧だった感覚が、徐々に焦点がしぼりこまれるように必要な感覚がわかりはじめるのか。

三上さんが、お尻と足の裏は何か感じる?、と質問された。
私は足を感じようとしていたら、足の付け根の痛みが弱まり出した。
お尻を確認すると、(三上さんが私のお尻を動かすことで感じて気付いたと思うが)お尻が前後に動くことで上半身を前後に動かしていることがわかった。



◆肝心なところだと思うのに・・・

リハビリを終えてまとめの説明いただいたのに、私はそれを思い出せない・・・
それは自分ができるようになって、こんなことができる、あんなこともできるんじゃないかと発想したいのにできないのはなぜだろう。


◆座り直しの回数が減っている自分が思っている理由

以前はなかった感覚とは言えないが、今は背もたれに背中や腰がつく感覚がある。
私は背中がかゆくなった経験はなかったが、先日、孫の手が欲しくなるほど無性にかゆくなった。

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リハビリは気づかせていただき、自分の身体を感じることは自ら気づくこと?

2019-06-05 11:10:52 | 聞こえ
最近おや?と思っただけで、些細なことでどうでもいいことかもしれない。

自分に聞こえる音はやっぱりあって、そういう音を増やすには、「これは聴こえている」と認めていく必要性を感じた。
自分はたぶん、「これは聴こえている」と認めていないものは、聴こえていない音だと思う。


昨日、親がホワイトボードイレーザーを床に落とし、はっきりその音を聴いた。
そのことが、聴こえないなら、床に落ちたホワイトボードイレーザーは、床にぶつかっても何も聴こえないし、落とされたものを無音の環境で見ているはずなのに、なにか自分の考えと違う気がした。
聴こえない環境は、自分で勝手に作り上げた法則みたいなものでもあるのかもしれない。

脳出血で耳が聴こえなくなるとは、リハビリ療法士さんがおっしゃったように、恐らく自分は聴こえているが意味が分からない状態にあるのだと思う。

脳の気づくことが、勘違いや間違いを治して、聴こえも分からなったことがわかって回復するように思う。お気楽な感じだが。

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▲正しく上を向いて座る

2019-06-01 23:10:34 | 通院リハビリ
前回、上を向かなければ食べれず座り直しが多い現状について考えた。

座って上を向くだけでは座り直しが必要にはならない。



今回は三上さんが座って顔を上を向く場合と下を向く場合を見て、違いを探した。
下を向くときは腰が後ろに下がりすぐわかり、上を向くときの説明はできなかった。

今までも、リハビリで違いは?、という質問はよくあった。
大抵答えられないときは、自分は頭の回転が悪いためだろうと思ってきた。
でもそれは、脳が了解していない部分で、気づくためのヒントが必要だったと思っている。

追記;20190603
ヒントをもらいながら気づく過程が自分のリハビリでは有効になっているのか・・・
ということは、リハビリで違いに答えられないとき=脳がその違いがあるとは脳が了解していにとき、脳が勘違いみたいなものを起こしている状態が、脳出血によって脳に引き起こした病態と言えるのだろうか。



私は座って上を向き、そのとき三上さんが正しい身体の動きを加えた。

上を向けば、背骨が反るのかなと思っていたら違い、痛みや硬さを感じた。
三上さんは、「上を向くときの動きを軸で考えて」とおっしゃって、時間がかかったが、上を向くときは、足の付け根を動かしているとわかった。
座って上を向き足の付け根を動かすと、痛みや硬さはなくなっていた。



不眠ではないが、寝付けにくい痛み。。。

水曜日から、お尻と両足全部が痛く、楽な方法が見つかっていない。
不眠ではないので、血圧は上がっていない。
床ずれは、傷跡になって、ほぼ治っていると訪問看護師さんはおっしゃっており、両足の痛みの影響ではなさそうである。
まだはっきりしないが、食事中に座り直しが不要なときが数回あった。

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