土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

世界最高の技術と信仰心の結合 奈良東大寺大仏

2013-08-21 10:24:00 | 古代日本のスーパースター

土佐のくじらです。
拙ブログは、歴史記事が多いブログですが、本日から奈良時代に移行して参ります。

奈良時代は、日本に本格的な首都機能を持った都市が作られた時代であり、日本の長き中世の始まりとも言えます。
このころのヨーロッパ社会は、まだほぼ原始時代のような状況でありました。
永遠の文明国家ローマの跡を継いだヨーロッパ人たちは、その文明を理解できず、まだ野蛮と野生の中にいたのです。

奈良時代の最大の遺産としては、東大寺の大仏建立があるでしょう。
この大仏建立の詔を宣下なさったのは、聖武天皇です。

この奈良の大仏は華厳経に出てくる、大毘盧遮那仏(だいびるしゃなぶつ Mahāvairocanaマハー・ヴァイローチャナ)を現していると言われます。大毘盧遮那仏は、大日如来とも訳されますが、法華経で述べられている、久遠実成の仏つまり、本仏であると言われています。

釈尊として現れた仏の、永遠の生命部分が、大毘盧遮那仏=奈良の大仏なのですね。
奈良の大仏は、大毘盧遮那仏の仏像としては世界最大ですし、存在も唯一ではないかと思います。
つまり、仏教信仰の真髄中の真髄を、大規模な形で国家首都に聖武天皇は建設したのです。

その技術と、それに伴うものつくりへの情熱は、今の日本人にも通じるものがあります。
これだけの銅像を作る技術は、当時日本国内だけでなく、世界のどこにもありません。
奈良の大仏のミステリーだけでも、本の一冊、映画の一本くらいにはなってしまうのです。

現代的視点で見ても巨大な大仏像は、銅で覆われておりますが、これは鋳造と言って、銅を貼り付けているのではなく、鋳物技術を使っているそうです。
つまり、粘土などで型を作って、その間に溶かした銅を流し込んみ、銅が冷えた後、外側の粘土を割るのです。
巨大なので、8段階に分けて造られたとのことです。

そして今はもう存在しませんが、当時は大仏像一面に、金箔が貼られていた記録が残っております。

そして聖武天皇は、この大仏建立に際して、このような詔を宣下します。
「一枝の草、一把の土」をもって大仏造立を手伝おうとする者があれば、それを許せ。」
「そして役人は、大仏造立を口実に、人民から無理な租税の取立てをしてはならない。」

つまりこれは、

建立を手伝いたい国民がいれば、自由参画してよい。
また、大仏建立を目的に、国家として税を取り立てない。

という、驚くべき宣言です。
かなり民主的な発想ですし、実際にその建設費用のほとんどを、全国からの寄進や布施でまかなっております。

これは天皇自らが、仏の意思を忖度し、仏の願われる方向で、建設方法をお考えになった証だと私は思うのですね。
皇后であった、光明皇后のご進言もあったとも言われております。

ともあれ大変な、当時としては、本当に大変な国家プロジェクトであった、東大寺の大仏建立事業は成功し、
何度も火事による消失の憂き目に合いながらも、そのたびに東大寺と大仏は造り直され続け、現在に至っております。

今もなお日本人に馴染み深く、古都の誇りとして東大寺大仏(大毘盧遮那仏)を大切にしている日本人は、
本質的に信仰心がとても深く、そしてその真髄を理解している民族だと思うのです。

無神論者が多いといわれる現代日本人ですが、本当に無神論者であるならば、コンビにより多いと言われる、日本国内の神社仏閣の存続を、許すはずはないからです。

火事による消失と再興を繰り返した、東大寺奈良の大仏こそ、その最大の証明です。

                                               (続く)