土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

日本の、鎖国願望に気をつけろ!

2013-08-25 17:51:22 | 歴史の読み方

土佐のくじらです。
今回はいつもどおり、歴史に関する私見を述べます。

教科書で習った遣唐使は、平安時代の初期に廃止されておりますので、実は平安時代のほとんどは鎖国状態でした。
理由は、「もう、唐から学ぶものがないから。」というものです。

歴代中国は、大きくて立派な国家・・・というイメージがありますが、まぁ、政治システムや国家の建築物等は立派ではあったのでしょうが、一般市中の人々の暮らしであるとか、国全般の豊かさ、国民の文化程度の高さなど、国の文化レベルは、トータルで日本が、歴史上ずっと上に行っていたはずですね。

まぁ、飢饉や戦になれば、人肉を食う国ですからね。
雅な平安人には、野蛮国と見えても仕方ないですよね。

平安時代だけでも、紫式部や清少納言などの女流作家も既におります。
これは、宮中文化が相当発展していた明らかな証拠ですね。

そして詩歌も、天皇から一般庶民に至るまで、万葉集や古今和歌集などで、身分に関わりなく平等に扱われるなど、まさに「歌の前に平等」と言ってよいほどの平等思想が、この時代の日本には既に芽生えています。
いや、定着している・・・と表現する方が正しいでしょう。

これは、聖徳太子以降の、共に万物に神性、仏性を見出す宗教である、神道と仏教の融合型の信仰観からくるものだと思います。
「身分の差は、この世界における立場の差であって、それが人間そのものの、尊さの違いではない。」という、確固たる信仰観と平等観が、この時の日本には既にあった証拠だと思うのです。

今はまだ中国においても、また朝鮮韓国においても、そのような平等観はないと思います。
彼らはまだ、時代遅れの差別観のまま、現代を生きているように見えます。

彼らの基本は、人間差別観なのです。
つまり、身分や社会の地位、民族や男女の上下観にとらわれています。
そして、「立場の上の者は、下の者に対して、何をしても良い。」という感覚を、今だに抱いております。

それが彼らの、ゆがんだナショナリズムの根源だと、私は思っております。
つまり彼らは、人間社会に差別があることが前提なのですね。

ですから何とかして、自分が差別できる強い立場を創出しようとするわけです。
それが、中朝韓の国のあり方なのです。
まぁたとえて言うなら、犬の群れ社会ですね。

今の中朝韓は、日本の平安時代にでさえ民族レベルが追いついていないと、私は断言せざるを得ないのです。

まぁ、そういうメンドクサイ国々を隣近所に持つ日本人は、とかく国を超えてのお付き合いも、メンドクサイと感じるのも致し方ないのかもしれません。

それが日本人の、鎖国願望にスイッチを入れてしまうことが、日本の歴史を見ると、随所に現れてまいります。
日本人は、国通しのお付き合いで、ある一定までは我慢しますが、ある一定のレベルを超えると、切れたように鎖国に走る・・・

こういう法則を、歴史を眺めていると、見て取れるように私は感じます。

平安時代のほとんどが鎖国状態であったように、室町末期そして江戸時代と、実は日本の歴史のほとんどは鎖国状態なのですね。
近代においても、戦前には国際連盟を脱退しました。
これも、鎖国の一種だと思います。

このように、外国からとやかく言われ続け、メンドクサイ状況が重なると、日本ではある日突然、鎖国状態に入ってしまうのですね。

まぁ、自分たちだけだと、何事もスムーズですし、私も日本人ですからその気持ちは理解できるのですが、鎖国状態の後には、必ず国難が、しかも、か・な・り・ヤバいレベルの国難が、そのたびに訪れていることも、法則として認識していなければなりません。

平安時代 → 元寇襲来
室町末期 → ポルトガル船の種子島上陸 
江戸時代 → 欧米列強との対峙
国連脱退 → 大東亜戦争

ポルトガルの種子島を国難と言うのは、ひょっとすれば日本で私だけかも知れませんが(笑)、他の国々では、キリスト教と軍隊が連動して、大航海時代のヨーロッパ諸国は、全世界に植民地を作りはじめていましたので、私は、信長や秀吉なくば、日本は危うかったと考えています。

このように、鎖国は平和でもあるし、メンドクサくもないのですが、その後には必ず、第一級の国難が来ることも知っておいてください。

今中韓を中心に、戦前のABCD包囲網作成時と似た、歴史認識における日本包囲網を構築する動きがあります。
日本はこの動きに対して、粘り強く反論し、また必要な法整備もして、彼らの浅薄な思惑を、絶対に実現させないようにしなければなりません。

決して決して、短気を起こしてはなりません。
粘り強く、具体的で効果的な国家戦略と施策を構築し、そのような浅薄な野望を、彼らに諦めさせなければなりません。

これは、真に過去を反省するという意味でも、そうしなければならないのです。


福島原発水漏れは、それほど怖くない。

2013-08-25 10:12:26 | エネルギー問題

土佐のくじらです。

ここ数日、東京電力の福島第一原発で起こった、貯蔵冷却水を溜めるタンクからの水漏れ騒動が、メディアを騒がしております。
貯蔵タンクから漏れた水が、海へ流出した可能性が云々・・・と、取り出さされておりますが、この時期においては、たとえ放射能緯線レベルが高い冷却水が海へ流出したとしても、それほど大騒ぎする必要はありません。

なぜなら、問題となっている福島第一原発一号炉は、核分裂していないからです。

ウランは燃えにくいので、一度核分裂すると、核分裂が終了しても余熱が長く続きます。
ですから、長期間の冷却が必要です。

しかし原子炉を継続して冷却でき、核分裂していなければ、半減期の短い放射能物質は発生いたしません。
福島第一原発一号炉で問題であったのは、冷却経路システムができる以前の、放射性ヨウ素が発生していた時だけなのです。

冷却できず余熱が多大な時には、多量の放射性ヨウ素が発生いたしますが、冷却できれば、半減期の長いものに移行してまいります。
放射性ヨウ素は、半減期が約1週間と短く、すぐに消えて、放射能を発生しない別の物質になります。
ですから今、現場でどれだけ放射能が検出されようが、それらは半減期の長い、セシウムやストロンチウムなどのはずです。

半減期の短い放射性物質が、なぜ怖いかと言いますと、要するに勢いが強いわけです。

放射能とは、放射線を発生させる物質とお考えになればよろしいいです。
放射線とは、要するに、眼には見えない光です。
物質から飛び出した光の粒が、放射線です。

光も、たとえば、紫外線などを多量に浴びると、日焼けや火傷になりますね。
放射線は、とても波長の短い光ですから、可視光線や紫外線より、物資を通過しやすいのですね。

半減期の短い放射線は、この光が飛び出す勢いが強いので、生態に与える影響が大きいのです。

たとえば、パチンコ玉を放射線にたとえるとするならば、これを銃に詰めて発射すると、殺傷能力が発生するでしょうね。
これが、放射性ヨウ素などの、半減期の短い放射性物質です。

でもパチンコ玉を、手でポイっと投げたくらいでは、身体はビクともしませんよね。
これが、半減期に長いセシウムや、ストロンチウムなどの物質とお考えになればよろしいです。
今の福島第一原発の冷却水は、こういった、半減期の長いものしか存在しないはずです。

まぁ、パチンコ玉とて、ダンプカーいっぱいの量であれば、下敷きになって大事になるかも知れませんが。

ですから、たとえば、セシウムを基準値超えした肉で、人体に影響があると思われるくらいを摂取しようとすれば、大体一日1Kgの肉を、3食5年間食べ続けなければならない・・・という計算になりますね。
これでは、放射線障害になる前に、別の病気に罹ってしまいます。(笑)

また、セシウムは水に良く解けるので、農作物や海産物に吸収されやすいのですが、尿からの排泄もされやすいので、摂取しても、人体にそれほどの影響はないのです。

またこれも、半減期の長いストロンチウムですが、今から2~40年前の、北海道の土壌のストロンチウムは、原発事故直後の、福島での数値の1万倍以上ありました。

ストロンチウムは比重が軽いので、遠くの原子力関係の影響も受けます。
気流の関係で日本では、北海道が最もストロンチウムの汚染状況がひどかったのです。

この時期は、世界中で地上核実験を行っておりました。
ですから当時は、現代の原発事故直後より、土壌ははるかに放射能汚染されておりました。

しかし幼少時より、雪印の乳製品をバカスカと食べ(笑)、サッポロビールを水代わりに飲み干す青春時代を送った私は、今でもいたって健康体でございます(爆笑)。

このように、半減期の長い放射性物質は、生態にはほとんど影響はございません。
齢48歳の私が、生き証人でございます。(笑)

今回の福島での水漏れは、適切な後処理がなされれば、何の問題もありません。

ですからいたずらに、話題づくりに熱心なマスコミの風潮に惑わされることなく、また、福島の農作物や海産物を怖がることなく、皆様が安らかに日々をお過ごしなさることを、私は心より願っております。