
土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。
最近は中朝韓の横暴もあり、かなり薄まってはまいりましたが、
日本では憲法や軍事問題を語ると、まだ軍国主義者や軍事ヲタクと見られる風潮が残っており、残念に思います。
しかし日本が民主主義国家であり、政治には国家を護る義務がある以上、
一市民が国家を護ることに関心を持ち、自らが選出した議員たちが、その義務を果たしているかを監視することは、至極当然のことだと思います。
左翼的心情では、「子供たちを戦場に送るな!」と民衆を煽るのですが、まず大事なことは、
自国を戦場にしないこと であり、戦争の要因そのものを無力化する努力 だと思います。
それこそが愛する子孫を、平和の国家に暮らさせるために、必要な選択だと私は考えます。
ある意味で今なお平和ボケしている、現在の日本国内において常に語られている、不毛な左翼的議論は、
実はそれこそが、日本の平和を害する考え方なのです。
日本人は良くも悪くも 水に流す民族ですから、何でもすぐ、過去の歴史の中に閉じ込めて、
「ああ、昔は大変だったんだね。」 「今は平和で良かったね。」という、話にもって行きたがる人たちです。
つまり、「戦争は過去のことで、今はもう平和の時代なのだ。」という考えです。
これはとても危険な思想です。
ですから、本当の意味で日本人は歴史を真摯に学び、
「戦争の危機は、現在ただ今の出来事ですよ。」
「選択を間違えば、簡単に苦しい時代になりますよ。」
「空襲になりますよ。沖縄が取られたらね。」
「シーレーンが取られたら物不足になって、ハイパーインフレですよ。」という、統一的な見解を持つ必要があるのです。
神風特攻隊や、人間魚雷は物不足が原因です。
よく言われる、『戦争の狂気』ではないのです。
ハイパーインフレは、物不足の状態でしか起きません。
ABCD包囲網によって、戦前のかなり前から日本は物不足でした。
それは、今現在でも簡単に起こせます。
海上封鎖すれば一発だからです。
そして、「平和憲法を守っていれば、平和なのだ」と言う勢力があります。
しかし現実は、好戦的と言って左翼勢力が嫌う大日本帝国憲法と全く同じ欠陥が、日本国憲法にはあります。
それは『現実的な軍事力を行使する権限と範囲の欠如』と、『変えられない』という欠陥です。
それって、矛盾していませんか?
「きちんと議論しましょうよ。」と、私は言いたいのです。
そして最後に、よく平和主義者たちが使う論調に、
「日本が再び軍国主義に向かわないように、日本に軍事力を持たせてはいけない。」という議論があります。
しかし、日本が他の国の領土を取って、何か得することがあるんですか?
どこにもありません。
現在の日本は、防衛以外に軍備を持つ意味が、全くない国なのです。
なぜなら、日本以外の国は、日本よりはるかに貧しいからです。
損するために、軍事力を使う国はありません。
日本再侵略説の議論、そのものが無意味なのです。
大富豪がスラム街に、強盗に行く訳けないからです。
日本は、国防以外軍事力を持つ必要がない、
つまり、侵略する必要そのものがないのですから、こういう国家こそ、強い軍備を持つべきなのです。
左翼主義的平和論ならば、日本の富や領土を狙う泥棒が喜ぶことになります。
むしろ、泥棒が嫌がることをしなければなりません。
そしてかつての日本が、戦争に歩まざるを得なかった原因が、要するにエネルギー問題であるならば、
石油輸入ルート(シーレーン)の確保や、石油代替エネルギーに対して、十分な方法論を構築するべきです。
これが、論理的な議論というものです。
左翼主義的平和への議論は、三つ揃って 『 不毛平和の三兄弟 』 です。
口では「平和を願って」と言いながら、実際は平和が遠のく議論です。
言えば言うほど、頑張れば頑張るほど逆効果なのですね。
こういうことを言う人は、私にはまるで、
借金を返すために、サラ金から資金を借りて、パチンコに励んでいる人のように見えてしまうのです。(笑)
私は、筋金入りの平和主義者ですからね・・・。