大地震から一週間が経ちました。
被災地ではまだまだ不便な生活と思います。もう少しの辛抱ですので頑張ってください。
さて、大地震の時、おりえんすは弘前にいました。
弘前は震度4でした。ちょうどホテルの6階にいて、激しい揺れが長く続きました。
すぐに停電になるし、余震も大きいものが何回も来るので不安になり、一階のロビーに一時避難しました。
一般エレベーターは停止していたのですが、ホテルの業務用のエレベーターは非常用電源で何とか動いていました。
ロビーではチェックインした人たちが座っていましたが、ホテル側の配慮でお茶、ホットアップルジュースやココアを飲むことができました。暖房が停止している中での暖かい配慮でした。
夜になっても電気はまだ復旧せず、ホテル側から配られたローソクと非常灯で過ごしました。
暖房が切れているため、厚手の毛布も配られ、突然襲ってくる余震にほとんど寝ることができませんでした。
情報が入らないことが不安な気持ちにさせる事を感じました。
次の日(12日)札幌に帰る予定でしたが、JRも運休しているみたいで、もう一泊弘前に泊まることにしました。
情報が全く入らない状態で動くのは危険と判断しました。
被災地ではまだまだ不便な生活と思います。もう少しの辛抱ですので頑張ってください。
さて、大地震の時、おりえんすは弘前にいました。
弘前は震度4でした。ちょうどホテルの6階にいて、激しい揺れが長く続きました。
すぐに停電になるし、余震も大きいものが何回も来るので不安になり、一階のロビーに一時避難しました。
一般エレベーターは停止していたのですが、ホテルの業務用のエレベーターは非常用電源で何とか動いていました。
ロビーではチェックインした人たちが座っていましたが、ホテル側の配慮でお茶、ホットアップルジュースやココアを飲むことができました。暖房が停止している中での暖かい配慮でした。
夜になっても電気はまだ復旧せず、ホテル側から配られたローソクと非常灯で過ごしました。
暖房が切れているため、厚手の毛布も配られ、突然襲ってくる余震にほとんど寝ることができませんでした。
情報が入らないことが不安な気持ちにさせる事を感じました。
次の日(12日)札幌に帰る予定でしたが、JRも運休しているみたいで、もう一泊弘前に泊まることにしました。
情報が全く入らない状態で動くのは危険と判断しました。
私は2009年に東京のホテルの10何階だったか忘れましたが、「地震が起きたらどうしよう」と思いました。
歩道橋を渡るときも、「地震が起きたら、どうやって歩道橋から降りればよいのだろう」と思いながら渡っていました。
地震の時はどこにいても恐ろしさがありますね。小学校の時の十勝沖地震も怖かった。
でもあの時に自分の身を守る最低限の術を学んだような気がします。
その瞬間に何をしなければいけないか
瞬時に判断できれば良いのかもしれませんね。