求められるのはリーダーシップではなくメンバーシップ?

2012-09-27 20:45:29 | ビジネス
幻滅ということの生成に期待という成分が大いに役割を果たしていることに思いがいたりました。

期待があるところに幻滅がある。これは真理ですよね。

そして、幻滅の最たるところと言えば、政治でしょう。

期待とはある種の仮定です。ですから仮定(仮説)が間違っているのでは?というのは必ず成り立ちます。

然るに政治への幻滅と言うのはどういうことになるでしょう?

私たちの間に幻滅が蔓延して長いということは、政治や行政(国)に対する期待という仮説が間違っているということなのでしょうか?

期待がなければ、幻滅もしないのではないか?

それでは何があったらいいのでしょう? 

日本の政治は常に親子関係を連想させます…親を慕う子の立場を常に想定している国民…大将に従う臣下を期待している国民…そもそもそこが前時代的で時代錯誤なのでは?

リーダーシップ不在の時代と言われて久しいですが、リーダーシップが不在ならば、リーダーシップを期待しなければ良いこと。今こそ求められるリーダーってなんだかうそ臭い(笑)。 

むしろリアリティのある解としては、行政や政治には、期待ではなく、監視のまなざしをあてがうべきなのではないか? つまりメンバーシップの向上ですね。

という思いを持つのは別に日本に限ったことではなく世界中の市民が同じ思いをしていると思われます。権力は必ず腐るからです。どんな立派なリーダーもクロではないだけましなだけのグレーです。白くはない。

つまり、政治なんかは期待したり、当てにしたりするものではなく、他により良い仕組みが存在しないのだから、まったくゼロよりはまし、という程度のものなのではないでしょうか?。

”ないよりまし”が、”あると有害”に変容しないよう、なすべきは期待ではなく、監視なのかもしれませんね。

つまり期待という仮説をひっくり返して考えてみる。期待しないのだから、管理者、コントロールはこちら側にあります。

英語に有名な子育てクリシェがあります。Children should be seen, not heard.(子供は見よ、聞くな)

同じように政治も The government(leaders) should be seen, not heard.

政治(行政)は、聞くべき対象として認知するのではなく、見るべき対象として考えるべきなのでしょう。

相手が進化しないことを嘆くより、こちらが進化する。それなら幻滅と言う脱力モードに入らずに済みます。

これを思うときに思い出すのは、オープンソースという開発手法です。いいですよねぇ、政治や行政がオープンソース開発だったら…夢想するとふふふと思わずにはいられない(笑)

リーダーシップの終焉とメンバーシップの拡大は、集中システムから分散システムへの進化を連想させます。まさに時代は分散化。知が頭脳ではなく全身にある時代。

実際そうなりつつあると思うんですけどね…



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