最近、生きているのが楽しいんですよねぇ…。
まぁ正直、
(山ばかり行ってる)=(遊んでばかりいる)
訳ですから、楽しくなかったら、もう神様に申し訳なくて、後何をしていればいいのか分からないですが…(汗)ホントすみません。
山が楽しい、ということとは別に、ちょっとした出会いもちょくちょくあって、
その出会いがどういうことであるか?ということよりも、なんだかワクワクします。
新しい友人にヨガを教える、というのもとてもワクワクする経験ですし。
去年は山でドイツ人のクリスと知り合いになったりしましたが、今年は、マヤの祈祷師の方に引き合わせてもらったり、バラのボランティアに行ったり…。花にはだいぶ強くなり、無事テント泊もデビューし、縦走についての体力もつきつつあり…
なんだかんだと順調に成長中ですが…急がば回れ、みたいな感覚です。
今度はどんな出会いがあるのかしら~?な感じ。
昨日は、最近出来たおいしいコーヒー専門店で、おいしいコーヒーを飲みながら、日本三大急登のルート研究でもするか…と思っていたのですが…そこで、甲府の活性化を話し合っている人たちに会いました。
話してみたら近所の味噌屋さんの息子さんでした。
面白い話題だったので、つい老婆心で私のアメリカでの経験を話してしまいました。
■ サンフランシスコでサバイバル
サンフランシスコには20と21の誕生日をまたぐ期間いました。大きな青春の思い出。実は思い出という過去形にする気はなく、ぜんぜんアメリカに根を生やす気、満々で帰国したのですが(笑)結局好きな人が出来て、日本に落ち着くことになりました。
まぁ女性の場合、結婚における人生の選択というのは、
・自分の叶えたい人生を叶えさせてくれる人を愛する
vs
・自分を愛してくれる人と自分の叶えたい人生を叶える
かのどちらかになるのではないでしょうかね。私は後者だったみたいで、私の叶えたい人生(国際派)というのはちょっと今の時点では叶えづらい感じですが、まぁ私自身甲府で外国人の友人もいるし、既に去年は外国人ゲストを家に招いたりもしているし、地理的条件が叶わなくても他で補う、と言う感じですかね?
そのアメリカ、どこにいたかというとコレがサンフランシスコ。といえばヒッピームーブメントでしょう。そして、ボヘミアンでしょう。行くまでどこに行くのかも知らないで行った土地でしたが(笑)
私は1年目は郊外の大金持ちの家に住み、さらに1年は自立してミッションディストリクトと言ってあまり治安の良くないと言われるエリアにいたのですが、いたって平穏に暮らしており、週に2日はベビーシッターをして稼ぎ、それ以外は、ボランティア活動、友人が取っている大学の講義にしれっと座っている、家の隣(!)のレズビアンが経営するカフェに1ドルのコーヒーで半日粘る、アンティークショップをめぐる、町の中の古本屋で立ち読みにまい進、と毎日が日曜日のような暮らしをして英語を習得していたわけです。
この方法は、今の若い人にも是非おススメです。お金を払って英語学校なんかに行くよりも、英語力が付くし。というのは英語学校にはネイティブは先生1人しかいないからです。私の英語力はTOEIC925点、IELTSほとんど8.0の7.0です。これぐらいだとどの仕事をしていても英語のプロとして扱ってもらえますから仕事の幅が広がります。
で、英語を習得するに当たり、いかにして面倒見がよく、心の広いネイティブスピーカーに囲まれて過ごすか、は知恵の絞りどころです。で、それにいいのがボランティア活動です。
ボランティアなんてやるくらいの人たちですから、基本的に心優しい人たち。
当時のSFでは、心優しい人たちの代表はゲイ、と言っていいくらいでした。でもともとアンティーク好きなのもあり、ゲイを支援するNPOがやっているスリフトショップ(ガラクタ屋)で、ボランティア。
値札をつけたり、商品を品だししたり、掃除したりです。エイズで亡くなった人たちの遺品を引き取り、それらに値札をつけて再販し、出来た資金をエイズ予防や治療のための基金に回す。
そこではボランティアは無給でしたが、1時間で10ドル程度の商品交換券をくれ、食器とか椅子とか服とか色々なものに交換してくれました。使わなくなればまた戻すと引き取ってくれます。大学の教科書もリサイクル式でした。アメリカでは本日本と違いバカ高いのでこれは助かります。
驚愕だったのは、メキシコ人。引き取った商品に自分で値札をつけ、自分で買い取る…(汗)どうみても相場10ドルのものに3ドルとつける…。日本人にしたら信じられない。横領!?
でもそんなメキシコ人たちには、国で待っている貧しい家族がいるのだから、と諭されました。アメリカ人って太っ腹!
当時のアメリカは不況で、ターゲットみたいな量販店で買って、一旦着てから、返品する、というつわものもいたくらいです。ベビーカーなんて半年も使ったものを返品とか(汗)
日本人にはとてもできません。が逆に日本人は物への執着が強く、イラナイものでも手放さない。それは日本のセコハンの店とか見ていると、よくもこんなボロに値段つけたわね~と思ったりするのです。私は甲府でクラークスの靴をタダで古着屋さんに上げたことがありますがそのときの古着屋さんの対応は少々浅ましい感じだったので…(クラークスはお金になるもんねぇ) アメリカで古着を売って多少の儲けを出したりしていた経験と比べるとなんだかなぁ、浅ましいなぁという感じでした。いやどうせ要らないものだからあげるのはやぶさかではないけど、もらい方ってのがあるでしょう。
アメリカはなんだかんだ言って、おおらか。
あちらではお金持ちは借金してでも消費して経済貢献して、庶民は庶民でそんなこんなドサクサにまぎれてちゃっかりしちゃってて、人生の種類が多種多様でした(笑)
今の日本と同様に、若い人は既に赤ん坊の頃からモノが豊かな時代に生きているので、親世代がもつ”モノ=幸せ”の構図にはすっかり辟易しちゃってて、私がバイトした商品券を商品に交換しようというものなら、「まだ欲しいの?」なんて
揶揄されるくらいの、達観さでした。みんな使わない。使うのは貧乏な留学生くらいです。
いつでも同じ服を着ている人が、貧乏学生かと思ったら、実家は高級住宅地だったりするのが普通なんでした…。ボロい車に乗るのも、わざわざ修理したりするのが楽しいからなんです。
(物質社会に背を向ける) ≒(精神社会に目を向ける)…ということでニューエイジやスピリチュアルの殿堂でもあるサンフランシスコ。さらにその第二の中心地(一番はヘイトアシュベリー)とでもいえそうなミッション…。
私の働いていた家の3歳の男の子はハワイの血筋ということで服を一切着ない…出かけるときもすっぽんぽんで…。風邪引かないかしらと心配に(笑)
私の住んでいた家のお母さんは中1の娘がいるのにレズで、ある日帰ったらマリファナでボケっとしており、一瞬ビビリました。たまにガールフレンドが訪ねてくるのですが、そのGFは並みの男性より腕っ節が強そうな女性でした。いつだったかハーレーに乗っていて「DIKES ON BIKES」とかいたのろし?旗を持っていてのけぞりました…
隣のレズビアン・カフェ(正式名称があったがいつもそう呼んでいた)で1ドルのコーヒーで半日粘って英語を勉強…そんな風にしかお金を使っていないのに、たまに「あなたは常連だから」と余ったコーヒーを注いでくれる… なんて豊かな国アメリカ。
余談ですが、その頃、時給7ドルでしたから、結構それでなんとかなったんですよね。バランス的に。日本では今時給が800円なのにコーヒー400円でしょう。地方はバランスが悪いのですね。大阪ではこのバランスはまだマシみたいでした。一番経済的にバランスが良かったのは九州でした。食べ物、土地、人件費が揃って安い。
私がアメリカで見た景色は、”みんな一緒の生活水準を”が基本の日本とはぜんぜん違う光景で…私は週に100ドルくらいしか稼いでいないのでしたが、それでなんとか生きれちゃうのがいいですよねえ?そういう生活が必要な人もいますから。英語学校に行くと1ヶ月で1000ドルくらいは授業料に取られますから。そうできる人はそうしたらいいし、出来ない人はそうしなくてもいい。
そういう風に超ビンボーでも生きていけるので、あえてそっちを選んで生きていく若い人もいる…そういう人はボヘミアンと呼ばれていました。
こういう世界になるとあんまり将来に不安はないです(笑)だって今こんな調子でボヘミアンになっても生きて行けるんだから、今仮にボヘミアンにならなくても、将来困ったらいつでもボヘミアン的生き方にシフトしたらいいだけでしょう。将来もそんな調子でなら、生きていけそうでしょう。
でも、その後ネットバブルで一時は高給取りのエンジニアでも家にあぶれ、キャンピングカーで寝る、なんて時代もあったようですが…極端もあるけど、なかなか面白い、”のりしろ”が多い国です。アメリカ。
たぶんね、日本に足りないのは金でもなく、時間でもなく、のりしろなんですよ。エルボールーム、と英語で言います。
■ 甲府
甲府中心街、ちょっと寂寥感が濃いと言うか…私が引っ越してきた2年前よりもさらに最近は寂寥感が強まった気がしますが… アレはココリのせいだな(笑)
でも、私もだんだんとこちらの生活に慣れてきて、当初は車がなかったので足は中心に向かわざるを得なかったのですが、最近は中心街にはめったに足を運ばなくなりました。代わりに行くのは山。
というか、そもそも生活の中心が消費生活ではないんですよね。
仕事をしているわけではありませんが、生産活動に重心がシフトすると、消費活動のための舞台がそんなにないことは結構、どうでもよくなります。買い物スポット不要。まず自分の生産活動に忙しいので。
ま、私の場合、生産活動と言うのは、今やっているようなブログを書くとか、思索するとか、そういう創造的活動をする時間なのですが。
マズローの自己実現の5ステップは有名ですね。そこでは初歩的なニーズを満たされた人が何をするか?というと創造的、クリエイティブな活動なのです。
なので…日本中が豊かになり、一日何時間も生産活動せずとも食べれるようになった今、そして皆が情報発信者となれる今、みんな自分が楽しく、気分良くいられるようなクリエイティブな活動をしていればいいのです。たぶん。
いたずらに将来を不安がっても仕方ない…それは心の無駄というものです。
たまにヨガでもいらっしゃいますが、健康のために始めたヨガ、一生懸命に頑張りすぎて、筋を痛め、筋肉を痛め、整体に通ってしまう…そうなって初めてうーん、何かがおかしいぞと気がつく。
それと同じで、お金なんて幸せのためにあるものなのですから、今の幸せを犠牲にして、将来のために身を粉にして働き、そしてその肝心の将来が来る前に体を悪くして死んでいく…もしくは肝心の将来が来ても体が悪いので楽しめないっていう
現在ノーマルとされているパターンは立ち止まって考えると変でしょう。
まぁそれもヨガの世界では今生の学びということですが、そうして失った命は、物質世界の現実を本当の現実だと信じている(=煩悩に囚われている)ので、次の
生にスムーズにいけないそうです。
そうかもしれません。だって、土砂崩れ、雪崩などの自然災害は、下に人間がいるから自然災害になる。人がいなければタダの自然現象で誰の気にも止まりません。
同じことで、受け手がいて、初めてリアルになる現実がある。
不幸だ、という思いは不幸だ!という現象を拡大して本当に不幸を作る。あたかもそれが現実のように見えるものです。
そういう思いから作り上げた現実を実像だと認識してしまった魂の総量が、この世の常識、というものです。
いわゆる日本に漂っている”閉塞感”というものも、実は正体はみんなの思い。
本当の本当は、ひょっとして、閉塞はしていないんじゃないか?と考えてみるのが大事です。
そしてそれは相当に一理ある… だって、本当に本当にお金が無くて、困りに困っていたら、ココリなんて無駄な施設に107億円も!投入できるはずがないではありませんか? あんな無駄施設。そのお金はちゃんとどこかから出ているのです。
県立図書館も建替え中・・・総事業費 約40億円、補助対象額4億円(うち国費2億万円)…
無駄があるということは、豊かさの裏返しなのです。ない袖は振れませんからね!
豊かなのだから心配しなくていい、ということなのです、きっと。
まぁ正直、
(山ばかり行ってる)=(遊んでばかりいる)
訳ですから、楽しくなかったら、もう神様に申し訳なくて、後何をしていればいいのか分からないですが…(汗)ホントすみません。
山が楽しい、ということとは別に、ちょっとした出会いもちょくちょくあって、
その出会いがどういうことであるか?ということよりも、なんだかワクワクします。
新しい友人にヨガを教える、というのもとてもワクワクする経験ですし。
去年は山でドイツ人のクリスと知り合いになったりしましたが、今年は、マヤの祈祷師の方に引き合わせてもらったり、バラのボランティアに行ったり…。花にはだいぶ強くなり、無事テント泊もデビューし、縦走についての体力もつきつつあり…
なんだかんだと順調に成長中ですが…急がば回れ、みたいな感覚です。
今度はどんな出会いがあるのかしら~?な感じ。
昨日は、最近出来たおいしいコーヒー専門店で、おいしいコーヒーを飲みながら、日本三大急登のルート研究でもするか…と思っていたのですが…そこで、甲府の活性化を話し合っている人たちに会いました。
話してみたら近所の味噌屋さんの息子さんでした。
面白い話題だったので、つい老婆心で私のアメリカでの経験を話してしまいました。
■ サンフランシスコでサバイバル
サンフランシスコには20と21の誕生日をまたぐ期間いました。大きな青春の思い出。実は思い出という過去形にする気はなく、ぜんぜんアメリカに根を生やす気、満々で帰国したのですが(笑)結局好きな人が出来て、日本に落ち着くことになりました。
まぁ女性の場合、結婚における人生の選択というのは、
・自分の叶えたい人生を叶えさせてくれる人を愛する
vs
・自分を愛してくれる人と自分の叶えたい人生を叶える
かのどちらかになるのではないでしょうかね。私は後者だったみたいで、私の叶えたい人生(国際派)というのはちょっと今の時点では叶えづらい感じですが、まぁ私自身甲府で外国人の友人もいるし、既に去年は外国人ゲストを家に招いたりもしているし、地理的条件が叶わなくても他で補う、と言う感じですかね?
そのアメリカ、どこにいたかというとコレがサンフランシスコ。といえばヒッピームーブメントでしょう。そして、ボヘミアンでしょう。行くまでどこに行くのかも知らないで行った土地でしたが(笑)
私は1年目は郊外の大金持ちの家に住み、さらに1年は自立してミッションディストリクトと言ってあまり治安の良くないと言われるエリアにいたのですが、いたって平穏に暮らしており、週に2日はベビーシッターをして稼ぎ、それ以外は、ボランティア活動、友人が取っている大学の講義にしれっと座っている、家の隣(!)のレズビアンが経営するカフェに1ドルのコーヒーで半日粘る、アンティークショップをめぐる、町の中の古本屋で立ち読みにまい進、と毎日が日曜日のような暮らしをして英語を習得していたわけです。
この方法は、今の若い人にも是非おススメです。お金を払って英語学校なんかに行くよりも、英語力が付くし。というのは英語学校にはネイティブは先生1人しかいないからです。私の英語力はTOEIC925点、IELTSほとんど8.0の7.0です。これぐらいだとどの仕事をしていても英語のプロとして扱ってもらえますから仕事の幅が広がります。
で、英語を習得するに当たり、いかにして面倒見がよく、心の広いネイティブスピーカーに囲まれて過ごすか、は知恵の絞りどころです。で、それにいいのがボランティア活動です。
ボランティアなんてやるくらいの人たちですから、基本的に心優しい人たち。
当時のSFでは、心優しい人たちの代表はゲイ、と言っていいくらいでした。でもともとアンティーク好きなのもあり、ゲイを支援するNPOがやっているスリフトショップ(ガラクタ屋)で、ボランティア。
値札をつけたり、商品を品だししたり、掃除したりです。エイズで亡くなった人たちの遺品を引き取り、それらに値札をつけて再販し、出来た資金をエイズ予防や治療のための基金に回す。
そこではボランティアは無給でしたが、1時間で10ドル程度の商品交換券をくれ、食器とか椅子とか服とか色々なものに交換してくれました。使わなくなればまた戻すと引き取ってくれます。大学の教科書もリサイクル式でした。アメリカでは本日本と違いバカ高いのでこれは助かります。
驚愕だったのは、メキシコ人。引き取った商品に自分で値札をつけ、自分で買い取る…(汗)どうみても相場10ドルのものに3ドルとつける…。日本人にしたら信じられない。横領!?
でもそんなメキシコ人たちには、国で待っている貧しい家族がいるのだから、と諭されました。アメリカ人って太っ腹!
当時のアメリカは不況で、ターゲットみたいな量販店で買って、一旦着てから、返品する、というつわものもいたくらいです。ベビーカーなんて半年も使ったものを返品とか(汗)
日本人にはとてもできません。が逆に日本人は物への執着が強く、イラナイものでも手放さない。それは日本のセコハンの店とか見ていると、よくもこんなボロに値段つけたわね~と思ったりするのです。私は甲府でクラークスの靴をタダで古着屋さんに上げたことがありますがそのときの古着屋さんの対応は少々浅ましい感じだったので…(クラークスはお金になるもんねぇ) アメリカで古着を売って多少の儲けを出したりしていた経験と比べるとなんだかなぁ、浅ましいなぁという感じでした。いやどうせ要らないものだからあげるのはやぶさかではないけど、もらい方ってのがあるでしょう。
アメリカはなんだかんだ言って、おおらか。
あちらではお金持ちは借金してでも消費して経済貢献して、庶民は庶民でそんなこんなドサクサにまぎれてちゃっかりしちゃってて、人生の種類が多種多様でした(笑)
今の日本と同様に、若い人は既に赤ん坊の頃からモノが豊かな時代に生きているので、親世代がもつ”モノ=幸せ”の構図にはすっかり辟易しちゃってて、私がバイトした商品券を商品に交換しようというものなら、「まだ欲しいの?」なんて
揶揄されるくらいの、達観さでした。みんな使わない。使うのは貧乏な留学生くらいです。
いつでも同じ服を着ている人が、貧乏学生かと思ったら、実家は高級住宅地だったりするのが普通なんでした…。ボロい車に乗るのも、わざわざ修理したりするのが楽しいからなんです。
(物質社会に背を向ける) ≒(精神社会に目を向ける)…ということでニューエイジやスピリチュアルの殿堂でもあるサンフランシスコ。さらにその第二の中心地(一番はヘイトアシュベリー)とでもいえそうなミッション…。
私の働いていた家の3歳の男の子はハワイの血筋ということで服を一切着ない…出かけるときもすっぽんぽんで…。風邪引かないかしらと心配に(笑)
私の住んでいた家のお母さんは中1の娘がいるのにレズで、ある日帰ったらマリファナでボケっとしており、一瞬ビビリました。たまにガールフレンドが訪ねてくるのですが、そのGFは並みの男性より腕っ節が強そうな女性でした。いつだったかハーレーに乗っていて「DIKES ON BIKES」とかいたのろし?旗を持っていてのけぞりました…
隣のレズビアン・カフェ(正式名称があったがいつもそう呼んでいた)で1ドルのコーヒーで半日粘って英語を勉強…そんな風にしかお金を使っていないのに、たまに「あなたは常連だから」と余ったコーヒーを注いでくれる… なんて豊かな国アメリカ。
余談ですが、その頃、時給7ドルでしたから、結構それでなんとかなったんですよね。バランス的に。日本では今時給が800円なのにコーヒー400円でしょう。地方はバランスが悪いのですね。大阪ではこのバランスはまだマシみたいでした。一番経済的にバランスが良かったのは九州でした。食べ物、土地、人件費が揃って安い。
私がアメリカで見た景色は、”みんな一緒の生活水準を”が基本の日本とはぜんぜん違う光景で…私は週に100ドルくらいしか稼いでいないのでしたが、それでなんとか生きれちゃうのがいいですよねえ?そういう生活が必要な人もいますから。英語学校に行くと1ヶ月で1000ドルくらいは授業料に取られますから。そうできる人はそうしたらいいし、出来ない人はそうしなくてもいい。
そういう風に超ビンボーでも生きていけるので、あえてそっちを選んで生きていく若い人もいる…そういう人はボヘミアンと呼ばれていました。
こういう世界になるとあんまり将来に不安はないです(笑)だって今こんな調子でボヘミアンになっても生きて行けるんだから、今仮にボヘミアンにならなくても、将来困ったらいつでもボヘミアン的生き方にシフトしたらいいだけでしょう。将来もそんな調子でなら、生きていけそうでしょう。
でも、その後ネットバブルで一時は高給取りのエンジニアでも家にあぶれ、キャンピングカーで寝る、なんて時代もあったようですが…極端もあるけど、なかなか面白い、”のりしろ”が多い国です。アメリカ。
たぶんね、日本に足りないのは金でもなく、時間でもなく、のりしろなんですよ。エルボールーム、と英語で言います。
■ 甲府
甲府中心街、ちょっと寂寥感が濃いと言うか…私が引っ越してきた2年前よりもさらに最近は寂寥感が強まった気がしますが… アレはココリのせいだな(笑)
でも、私もだんだんとこちらの生活に慣れてきて、当初は車がなかったので足は中心に向かわざるを得なかったのですが、最近は中心街にはめったに足を運ばなくなりました。代わりに行くのは山。
というか、そもそも生活の中心が消費生活ではないんですよね。
仕事をしているわけではありませんが、生産活動に重心がシフトすると、消費活動のための舞台がそんなにないことは結構、どうでもよくなります。買い物スポット不要。まず自分の生産活動に忙しいので。
ま、私の場合、生産活動と言うのは、今やっているようなブログを書くとか、思索するとか、そういう創造的活動をする時間なのですが。
マズローの自己実現の5ステップは有名ですね。そこでは初歩的なニーズを満たされた人が何をするか?というと創造的、クリエイティブな活動なのです。
なので…日本中が豊かになり、一日何時間も生産活動せずとも食べれるようになった今、そして皆が情報発信者となれる今、みんな自分が楽しく、気分良くいられるようなクリエイティブな活動をしていればいいのです。たぶん。
いたずらに将来を不安がっても仕方ない…それは心の無駄というものです。
たまにヨガでもいらっしゃいますが、健康のために始めたヨガ、一生懸命に頑張りすぎて、筋を痛め、筋肉を痛め、整体に通ってしまう…そうなって初めてうーん、何かがおかしいぞと気がつく。
それと同じで、お金なんて幸せのためにあるものなのですから、今の幸せを犠牲にして、将来のために身を粉にして働き、そしてその肝心の将来が来る前に体を悪くして死んでいく…もしくは肝心の将来が来ても体が悪いので楽しめないっていう
現在ノーマルとされているパターンは立ち止まって考えると変でしょう。
まぁそれもヨガの世界では今生の学びということですが、そうして失った命は、物質世界の現実を本当の現実だと信じている(=煩悩に囚われている)ので、次の
生にスムーズにいけないそうです。
そうかもしれません。だって、土砂崩れ、雪崩などの自然災害は、下に人間がいるから自然災害になる。人がいなければタダの自然現象で誰の気にも止まりません。
同じことで、受け手がいて、初めてリアルになる現実がある。
不幸だ、という思いは不幸だ!という現象を拡大して本当に不幸を作る。あたかもそれが現実のように見えるものです。
そういう思いから作り上げた現実を実像だと認識してしまった魂の総量が、この世の常識、というものです。
いわゆる日本に漂っている”閉塞感”というものも、実は正体はみんなの思い。
本当の本当は、ひょっとして、閉塞はしていないんじゃないか?と考えてみるのが大事です。
そしてそれは相当に一理ある… だって、本当に本当にお金が無くて、困りに困っていたら、ココリなんて無駄な施設に107億円も!投入できるはずがないではありませんか? あんな無駄施設。そのお金はちゃんとどこかから出ているのです。
県立図書館も建替え中・・・総事業費 約40億円、補助対象額4億円(うち国費2億万円)…
無駄があるということは、豊かさの裏返しなのです。ない袖は振れませんからね!
豊かなのだから心配しなくていい、ということなのです、きっと。