オステリア白樺の料理ノート | ビーナスライン・車山のレストラン

注文ごとに作るPizzaや茹で上げパスタが人気の小さなイタリア料理店。季節の料理は当店HP上でご覧下さい

2024年 営業案内

~営業案内~

ランチ 11:30~13:30 L.O 14:00 close
予約不可・グループ不可(乳幼児含め5名様まで)

ディナー 18:00~19:00 LO 20:00 close

ご予約優先・グループ不可(原則4名様まで。乳幼児含めて5名様までです。)
定休日  毎週 水・木 第三火曜日
通常営業期間 2024年4月20日~2024年11月中旬

冬ならではの

2015-02-08 | よもやま話

定休日にちゃんと休みが取れる、雪の季節。

ご近所さんにお付き合いいただいて、

前から気になっていた綺麗なスカイラインを辿りました。

無駄にフル装備で運動不足を痛感します。

せっかくなので、登攀のまねっこ。

約3m、もろい逆層の岩でした。良い子はマネしないでください。

アイゼン、ザイルワークは久しぶりでちょっと楽しい。

しかし、装備が古いなぁ。

 


 

 

厳冬期は猟期でもあります。

縁あって、おすそ分けしていただいた鹿肉。

名人の獲った鹿は、ただ焼くだけで、美味しい。

 

 

 また、この季節、さすがにピザ生地が余ることがあります。

そんな時は

 成形し直して、三次発酵はかけずにピザ釜で焼きます。

素朴なパン。しみじみとおいしい。

 

 

 

山奥の冬の、ささやかな贅沢です。

 

 

 

高原の小さなイタリア料理店
オステリア白樺

 

 

 

 

 

 

 


冬のビーナスライン他

2015-02-05 | よもやま話

今年こそ写真を一杯撮ろう、とコンパクトデジカメを購入しました。


2015年、2月4日午後のビーナスライン。

つるつるというより凍ってがたがた。

スタッドレスでも滑るときは滑るのでゆっくりと走ります。

 

 

今年は本当に雪が多い。

雪が多くて嬉しいのはこのひとも。

 

 

 

天気が良い日は足取りも軽やかです。

高いところに行くと、なぜか偉そうな犬・・・

とりあえず元気そうです。

 

 

 ランチ営業は道路の雪がなくなる春からです。

高原の小さなイタリア料理店
オステリア白樺 

 

 

 

 

 


定休日

2013-09-04 | よもやま話

 

この夏もたくさんの方にお越しいただきました。

ありがとうございます。

今日は定休日でした。ほぼ2ヶ月ぶりのお休みで、なんだか落ち着きません。

明日のピザ生地の仕込み、夏の間できなかった厨房機器の掃除、メンテを済ませるともうお昼です。

散髪屋さんですっきりして、念願の「高橋まゆみ人形展」へ。良かったですよ。

のんびりできた休日でした。明日からまた頑張ります。

この夏のことを少し。

 

☆シャボン玉プレゼント

 前から高原にはしゃぼん玉が似合うと思っていたんです。で、今年は形にしてみました。


テラスや駐車場から、白樺の木をくぐって青空に飛んでいくしゃぼん玉。


お食事中のお客様からも「わぁ、きれい」と思わず歓声があがるような素敵な光景でした。

今年はペンショングリーンスポットさんと試しにやってみました。

やはり、お客様がとっても楽しそうで良かったと。

 シャボン玉をする機会は都会に限らずなかなかないようです。

ホテルやペンションの方、来年はご一緒に「シャボン玉プレゼント」どうですか?

 

☆テレビ出演

 7月の終わり、地方局にちょこっと紹介していただきました。時期が時期なので

私たちは放映を見逃してしまいました。残念。自分たちが何を喋ったのかも気になり

ますが、初仕事というAD君の一生懸命さがテレビにどう写っていたのかが気になりました。

 

☆アベノミクス効果?

 小さなお店だとマクロの影響はすぐには出てこないものですが。

今年はお釣り用に用意した百円玉が毎日あっという間に減っていきました。

「アベノミクス効果なのかねぇ」と家内と話していました。

 

☆黒毛和牛

 県外の問屋さんのご協力を得て今年なんとか実現した和牛のサーロイン。

予想を上回るご注文にもしっかりと対応できました。

 牛肉の料理としてはむしろ簡単な部類に入るでしょう。

でも実は過去に何度も苦い思いで撤退したメニューなんです。

なんといっても仕入れが難しい。いろいろなお肉屋さんと何度やりあったか。

「お肉といえば牛肉」で育った関西人として、今年和牛をご提供できたことは

とても嬉しいことでした。

 同じA4クラスの和牛でも、産地による違いが勉強できたのも収穫でした。

 

☆往年のアイドル

 詳しいことはよくわからないのですが。往年のアイドルの方に当店のティラミスを

召し上がっていただいたようです。世代がちょっとだけ上の方ですが、なんとなく

応援していきたくなります。

 


 

なんだかとりとめなく書いてしまいました。

とりあえず、明日からも頑張っていきたいと思います。

 

オステリア白樺 店主

 

 


 


バックカントリー

2013-01-24 | よもやま話

 

「スキー場を出て、バックカントリーを楽しみたい」
という方は、他にいませんか?

 ある調査では、スキーヤーの約6割、スノーボーダーの約5割が
バックカントリーに出てみたい、興味がある、と答えたそうです。

 

 

 綺麗な斜面や雄大な山がスキー場から見えたら
ちょっと行ってみたくなりますよね。

 

 

 興味はあるけれど

 ・何から準備していいかわからない
 ・危険そう
 ・スキー場の人に怒られそう
 ・どこに行ったら楽しめるかわからない
 ・スノーシューは正直、あまり興味がわかない。
 ・自分に何が合うかわからないのに道具を揃えるのは高くつきそう。
 ・山のガイドさんは怖そう。

 

 

 

 そういう人のために、ガイド付きツアーがたくさん開催されています。

 

 

 でも、ツアーだと他の人に気を使わなければならないし、
もしレベルの高い人ばっかりだと、
ついていけるかどうか不安ですよね。
 名ばかりガイドツアーの遭難のニュースも気になるところです。
 また、道具を持っていることが前提だったりします。

 

 

 今回、若いご夫婦で切り盛りされている
ペンション「コロモデゲストハウス」さんの
個人ツアーをお願いしてみました。


 私も山登りから何年も離れているし、歳ですからね。
 自然に対しては謙虚に臨みたいものです。


こんなひょうきんなお二人

 

 ここに住んで14年目になりますが、私も知らなかった
穴場に案内してもらいました。

 

 ご主人はテレマークスキーの指導員としても活躍しています。
が、今回スキー初心者の私のために「クロスカントリースキー」で
案内してもらいました。

http://youtu.be/LT-IaXfqRk4
ツアーの様子はyoutubeで。

 

 

 ・レベルにあった穴場を案内してもらえて
 ・個人ツアーだから気兼ねなく
 ・手ぶらで参加できて
 ・しかも安い

 

 バックカントリーに興味があるけれど、
 今ひとつ踏み出せない、
 ちょっとだけ経験してみたい、
 というあなたには、お役にたてると思います。

 

予約・問い合わせはフォームかお電話で。
(0266-68-2265/コロモデゲストハウス)

 

 

追 ガイド受付は先着順です。
 雪質の良い、これからの季節は混みそうですね。

  霧ヶ峰エリアでバックカントリーが楽しめるのは3月までですよ。

 

高原の小さなイタリア料理店
オステリア白樺

 

 

 

 

 

 


遭難時刻と発見時刻 

2011-06-14 | よもやま話

 後輩のK君が北アルプス剱岳で行方不明になったのは12月29日の朝だった。前日までの猛吹雪は少し小康を見せていた。視界こそ悪いものの、冬の剱岳ではそこそこの天気であった。

 一行は早月尾根2.400mに張ったアタックキャンプで一日沈殿した後、剱岳のアタックを開始した。冬山未経験の1年生を3人抱え、また前日までの積雪であまりペースがあがらない。2.600mの乗越しにさしかかったのは午前9時少し前である。その頃になると視界はほとんどなくなっていた。

 K君がトップで登り始めた。晴れていれば乗越しのスカイラインに沿って、覆い被さるように雪庇が発達しているのが見える。K君が雪庇にさしかかる頃、突然雪庇が崩れ、轟音とともに池の谷へ消えた。パーティの誰もK君が落ちた所を見ていない。唯一人、青いものが視界を通り過ぎたような気がする、というだけだった。そして、遙か下の方で誘発されて起こった雪崩の音がしばらく響いていた。午前8時56分だった。

 その時僕は2.200mにある早月小屋にいた。山酔会のメンバー2人とクリスマスイブに入山し、剱岳を登った後、そのまま小屋番としてお正月を過ごす予定にしていた。お正月登山のピークはまだだったが、小屋には富山県警山岳警備隊の常駐隊員、カメラマンのTさんAさん、我々と賑やかだった。

 開きっぱなしにしていた無線にリーダーのY君の声が飛び込んできたのは朝食を終えて思い思いにくつろいでいる時だった。緊迫した声が無線から食堂に響く。心の動揺を抑え、詳しい状況を聞き、指示を出した。横目で見ると、先ほどまでのんびりと寝そべっていた皆が装備を身につけ、あっという間に準備を整え次々に出ていった。

 連絡を終え、僕も後を追う。現場に到着すると、警備隊員がありったけのザイルをつないで池の谷へ下降を始めていた。危険な作業を楽々と行う警備隊の佐伯さん、佐々木さん(当時)に頭が下がる。しかし風雪はますます激しくなり手がかりを得ることはなかった。万に一つの可能性に備え、現場でテントを張って数日間K君の還りを待ったが、ついに第一次捜索は打ち切りになってしまった。

 我々の苦闘が始まった。多くの人の協力を頂き、積雪調査・落下ルートの推定を行い捜索計画が立てられた。滑落地点からは急傾斜の斜面が続き、約300mの岩壁を経て万年雪の池の谷に至る。

 本格的な雪解けが始まると現場付近と池の谷に捜索キャンプを常設し、交代で毎日のように巡回した。万年雪の狭くて深い谷は山の芽吹きから忘れられたようだ。
 なかなか溶けない雪に、ついにはチェーンソーを担ぎ上げて、落下予想地点の氷の切り出しをしたりもした。

 短い夏が過ぎた。山の紅葉が見事になると、それはいつ初雪が来てもおかしくないという合図でもある。谷の氷も堅さを増し、時折チェーンソーがはじき返されるようになった。

  9月の下旬、捜索の打ち切りが囁かれる中、僕と2人の部員は池の谷の捜索キャンプに入った。事故発生から9ケ月が経ち、捜索が日常のようになっていて、正直なところ何のために山に入っているのかが分からなくなってしまうようになっていた。
 その日もまるで子供が学校に通うように準備をし、テント場を後にした。雪渓の中、一歩一歩高度をあげていく。剱尾根の末端が見えるようになったころ、その右下に青いものが見えた。もしかして・・・僕は一気に駆け上がった。見覚えのある青いヤッケ、ザック・・・・K君がそこにいた。

 山岳部への入部を迷っていた彼と早春の鍬崎山へ登った。良く晴れた山頂から見える北アルプスの景色に彼は山をやろうと決めたのだろうか。彼はめきめきと実力をつけ、剱岳北方稜線、そして厳冬の源次郎尾根など、岩登りで鍛えたバランスの良さは冬山でも発揮された。
 僕が彼と登った山は、彼の登山歴のほんの一部でしかなかったけれど最初とそして最後の下山に付き合うことになったのは不思議な気がしてならない。発見時刻は、9月29日午前8時56分、月命日の同時刻であった。

  その一年後、僕はパキスタンのG1に遠征した。K君のご両親から彼の遺骨をお預かりし、コンコルディアと、G1の標高7.400m付近に散骨した。どちらも良く晴れた日には素晴らしく景色の良い場所である。

オステリア白樺


トンネルの中の声

2011-05-31 | よもやま話

馬場島は北アルプス北部の名峰、剱岳の登山口である。冬山シーズンになると豪雪の剱岳を目指して多くのアルピニストが訪れる。
 夏はオートキャンパーでにぎわう馬場島も雪が舞い始めると途中、伊折から先で道は冬季通行止めとなる。剱岳を目指す登山者は重荷を背負って馬場島までの長い道路を延々と歩かなければならない。
 馬場島の少し手前、ゾロメキ発電所の近くにトンネルがある。(正確にはスノーシェード)延々と歩いてきた登山者が風雪を避けて最後の一本をいれるのに最適の場所だ。

 3月初旬のことである。
 我々大学山岳部一行は早春の剱岳を目指していた。小雪こそ舞っているものの、早月川添いの林道は風もなく、我々は重荷に汗を流していた。
 トンネルにつくと、リーダーのTさんの「一本いれようか」の一言で休憩となった。くだらないことをしゃべりながら、行動食のチョコレートを食べたり、たばこを吸ったりしていた。と、突然「ウォー」とも「おー」ともつかない、うなり声のようなものがトンネルの中に響いた。

「何でしょう」と不思議に思って誰にともなく聞くと
「動物かなんかの声だろ」と先輩。

 あまりにもはっきりと聞こえるので恐怖を感じるほどではなかったのだ。

 僕は休んでいる所と反対の出口まで音の源を探しに出かけたが、どこから聞こえてくるのか分からない。場所を移動してもいつも同じ大きさで声は響いていた。

 「幽霊ですかね」
 「こんな昼間に出るもんか」

しばらくして声が止むと、不思議な気分を抱えつつ、馬場島を目指して出発した。
 馬場島の派出所には県警のK隊長がいて、我々を迎えてくれた。富山県警の山岳警備隊がちょうど春山訓練で入山しているとのことだった。

 山に入ると結構な雪でラッセルも深く、その晩は早月尾根でテントを張り翌日になって早月小屋に入った。

 テントに入り、ラジオを聞いていると「今日、剱岳の早月尾根で訓練中の・・・」とやりだした。どうも警備隊のKさんが獅子頭付近で雪崩に巻き込まれ、池の谷に落ちたらしい。山岳部の中にもKさんと顔見知りの先輩がおり、どうすれば良いか、と悩む。


 結果的には当時の我々の実力では冬の剱で何もお手伝いすることは出来なかった。

 Kさんの遺体は7月になって池の谷の中程で発見された。

 あの日、我々がトンネルで聞いた声は何だったのだろう。その後土地の人に訊いても「そんな声の動物はいない」という。僕は山の神様が何か伝えたくて叫んでいたのではないか、と思う。

 その後、早月小屋で「Kさんの落ちた日は結婚記念日、発見された日は誕生日だったんだ」と聞いた。何ともやりきれないことだった。

 

山の不思議な話
オステリア白樺


夢枕

2011-04-21 | よもやま話

夢枕に立つ、という話を聞くことがあります。まさか、自分が誰かの夢枕にたつとは、それこそ夢にも思いませんでした。 
 以下、旧オステリア白樺ホームページより。


 現地時間8月12日午後8時ごろ。僕達3人のサポート隊は暗闇のジャパニーズクーロワールをC2に向けて必死で下っていた。
 度重なる小規模な雪崩でフィックスロープはすっかり雪に埋まっているのがヘッドライトのぼんやりとした灯りの中に浮かぶ。凍りつき、エイト環さえ通らない。再び強くなってきた風雪の中、僕は、無理やり掘り出したロープを腕に巻きつけて強引に下っていた。

 カラコルムヒマラヤのガッシャーブルムⅠ峰未踏の北壁を目指して6月から登山活動を続けてきたが、クレバス、セラックの状態が悪くジャパニーズクーロワールに転進し、この日、隊として日程的にも最後のアタックが行われた。6.500mのキャンプ2から7.300mのキャンプ3まで、アタック隊のための荷揚げとルート整備がこの日の僕達の仕事であった。

 前日までの吹雪で、ジャパニーズクーロワールは雪崩の巣になっていた。
 早朝から行動を開始した僕達は進路を流れ落ちてくる小規模な雪崩に飛ばされないようフィックスにつかまり、大きいものは側壁に避けながら登り続けた。その側壁からも時折、中規模の雪崩が落ちてくる。仕事でなければまず行動しないような状態だった。
(この時、終始僕らをリードしてくれた丸山さん。今年、警備隊訓練中に雪崩に巻き込まれてしまいました。大きな体に優しい心、いたずらっぽい笑顔が忘れられません。心からご冥福をお祈り申し上げます。)
 不思議と恐怖を感じなかったのは7.000mの高度にやられていたせいかもしれない。
 
 任務を終え、ガッシャーブルム・ラに張ったキャンプ2にたどりついたのは午後9時ごろだったと思う。アイゼンをはずすのももどかしく、倒れこむようにテントへ入った。


 雪を溶かして紅茶を飲み、ようやく「生きて帰ったんだなぁ」と実感した。



 この日、母は目の手術のため入院をしているところだった。
 病室でうつら、うつらとしていると、突然個室のドアが開き「ただいま!」と僕が入ってくるのがはっきりと見えたそうだ。はっ、として目を覚ますと、病室のドアは閉まったままで、病室にも誰もいなかった。
 母は「あぁ、無事にもどったんだなぁ」と思ったそうだ。

高原の小さなイタリア料理店
オステリア白樺


西穂のリングワンデリング

2011-04-21 | よもやま話

 山の不思議な話シリーズ(?)1
 旧オステリア白樺のホームページより


大学生の頃、トレーニングを兼ねてよく冬の西穂高に登った。アプローチが楽なのと、小屋に通年人がいるので単独行でも何となく安心だからである。何かあったらどうしようもないので本当に何となくだけど。

 独標の先、西穂までの稜線は岩と雪のミックスで冬山の爽快さといささかの緊張を楽しめる初心者向けのコースだ。

 とりあえず、今回はそんな雪山気分を味わう前、新穂高ロープウェイ山頂駅から西穂園地を出てすぐでのお話である。

 2月の高曇りの日のことである。前日までの雪でトレースも消え、股まで埋まるラッセルに苦労していた。そんな日に限って重装備で来てしまったことを少し後悔したりもしていた。すでに何度も通い慣れた道なので地図もコンパスも出さず、遠く木々の間に見える西穂の小屋を目標に汗を流していた。

 どれぐらい歩いただろうか。身体が慣れていないせいもあって、早めの休憩を入れようとした時である。小さな段差を乗りこえた所で一本のトレースに出会った。ラッセルの具合から見て今日の足跡だ。下山してきた人のものだろうか。
 誰ともすれ違わなかったことに不思議な気がしつつも、トレースに乗った。人の気配に少し安心し、荷物を下ろしてテルモスの紅茶を飲んだ。トレースは樹林帯の中を小屋に向かって続いている。僕は方向を確認して再び歩き出した。

 ペースもあがり、そろそろ最後の急坂にさしかかるころかな、と思った頃、目の前に小さな小屋が現れた。

 最初に通過した、ロープウェイ駅すぐ近くの小屋だった。

 恐怖感はなかったが、頭から?マークをたくさん出して思わず座り込んでしまった。
 西穂山荘に向かっていたつもりが、いつの間にか出発点まで戻ってきてしまったのだ。いわゆるリングワンデリングという奴だ。

 リングワンデリングは視界の効かない吹雪の中とかで起こるものだとばかり思っていたので驚きであった。他人のトレースだと思っていたのは、実は自分の足跡だったのだ。


 このことがあっても冬の西穂通いは毎年行っていて、恥ずかしいのだが実はその後、2度同じ所でリングワンデリングをしてしまった。いずれも2月の高曇りの日のことであった。何かあるような気がするのは気のせいなのだろうか。

ちょっと休憩
オステリア白樺