2022年1月9日
今日は、我が家地方良い天気である。
しかし、空気が冷たい。
今朝は、パパさんが台湾語を習いに行っているので先程見送った。
ただ、新型コロナ感染者の数が多く出ているところへ足を運ぶので少々心配ではあるが、とにかく密を避けて勉強が終わったら寄り道せずに帰ってきて欲しいと思う。(他府県へ行くからね)
いつもだったら、勉強が終わったあとにお気に入りのお店(健康志向のお店があるらしい)へ行って昼食を取ってから帰宅するパターンだったのだが、暫くは避けた方が良さそうだ。
その分、昼ご飯を作る事になるのだが、久しぶりに娘たちも仕事休みだから普通の食事を作るのと変わらない。
何にしようかな?
そうそう、今朝、私はInstagramを立ち上げた。
ライフワーク用のInstagramにしようと思って・・・。
未だ、1つしか投稿していないけど、これから増やして行けたら良いなぁ~と思っている。
ユーザーネーム→「uchida_hoyumama」 名前「朋友ママ」にした。
良かったら覗いてみてね。
さて、前置きはこの位にして、今日はメール相談より感じたことを綴っていこうかと思っている。
『優理子さん、相談があります。人から嫌われないようにするにはどうしたら良いですか?』と。
結論から言うと『無理です』と言いたい。
みんなと仲良くしたい気持ちは山々なんだけど(私もそう思うから)、しかし自分と同じ人はいない。
同じような感覚の人はいるかもしれないが、どうしても受け入れられない感覚の人が存在することを忘れないで欲しい。
例えば、自分の友達から『この人良い人よ。仲良くなってみたら?』と言われて紹介されたとする。
実際お会いして話をするが、全然良い人のようには思わないという事もあるだろう。
なので、受け入れられない存在の人がいることを頭の隅っこに置いておいて、その上で自分にとって好きな人や尊敬する人と仲良くなることが一番良いように私は思う。
学校でも、クラスで(自分にとって)良いと思う人と思わない人が存在するかと思う。
人から嫌われないように頑張るという事は、自分らしさを失うことに繋がる。
他人に合わせて生きていくことになるので、私はお勧めしない。
実は、私もこの罠に最近までハマっていた。
学校のクラスの子達、先生達、職場の人たちを含め、自分らしさを表現する機会を失っていた。
『こんなこと言ったら嫌われるのでは無いだろうか?』
『こんな行動をしたらおかしいと思われるのでは無いだろうか?』と、こんな気持ちが働くことになる。
常に人の顔色を伺い、声のトーンとか態度などで『機嫌悪そう』と思ったら、相手の機嫌を損ねないように気を遣ったり、自分が悪いことをしていなくても『ごめんね~。気分悪くした?』という風に言ってしまうことになる。
そんな状態が続いたら、精神的に持たない。いつかは爆発する。その方が怖い。
『嫌われることを恐れるな!自分の事を好きだと思う人と仲良くして、それ以外の人はスルーする』
これに尽きる。
『嫌われる勇気を持て!』
と、私は敢えて言いたい。
これは、アドラー心理学でも良く言われていることだ。
以前、『2・6・2の法則』についてここで綴ったかと思うが、自分の事を好きでいてくれる人が2割。どちらでも無い人が6割。自分の事を大嫌いだと思う人が2割いることを知っておくと、大嫌いな人に合わせることが無くなり余計なエネルギーを使わなくて済む。
最初は、嫌われる勇気を持つ事ってしんどいように思うけど、ここは慣れである。
自分の行動に対して悪口や批判をする人は必ず存在する。
そこに気持ちを向けないようにして、スルー力を身につける事から始めると良いかもね。
(人って、ついネガティブなことに対して敏感に反応する動物だからね)
自分の心に素直になれば、その気持ちが相手に伝わり、自然と自分の気持ちが解る人と繋がるから信じて行動してみて欲しい。
私から『大丈夫・大丈夫・大丈夫』という波動を送るから受け取ってね~。
と、こんな風に綴って送信した。
人生って、物事に対しての捉え方の訓練を強いられているような気がするのは私だけだろうか?
多分、一生続くかと私は思っている。
ネガティブに傾いていると感じたときは、少しでもポジティブなことを見つけて中心に持って行けるように意識して行動しているからね。
では、今日はこの辺で終わろうかな?
メール相談は、hoyu-world3694827hiro★docomo.ne.jpです。
★の部分を@に変えてね。
コメント有難うございます🙇
私は、このコメントを読みながらフト頭によぎった事があります。
それは「いじめ」の問題です。
随分前の話になるのですが、小学生・中学生を対象にアンケートを実施した学校があり、『誰かをいじめたことはありますか?』という問いに対して「はい」と答えた時、『何故いじめたのですか?』という問いの回答が『○○さん(君)をいじめないと私が(僕が)いじめられる。それは嫌だからいじめに回った』という内容が多かった事を聞き、「支配と服従の構図がある限りいじめは無くならない」と。
結局は、自分の意思ではないのに、自分を守るための手段がこのような形で現れるのだと思うと胸が痛みます😢
これは、子どもだけに限らず、大人にも言える事だと私は思っています。
なので、誰が何と言おうともぶれない自分軸を作る訓練を小さい内からした方が良いのかもしれませんね。
そして、一人一人の考えが尊重される時代が来て欲しいと思います。