いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

教育学の入門と究極

2018-11-12 21:08:14 | 学問


教育学の基本は
「隠者の夕暮」
だと
書いたことがある。
そのとおり、
と今も
思う。

いろいろ
研究して、
もう1度
この本を読むと、
また、
新しい発見がある。

今日、
再読していて、
次のことを
見つけた。

終わりの方に、
教育の立場から、
法律や
政治の
態度を
批判した
部分がある。

長い間、
法学を
勉強していた。

教育学を
15年間
研究していた。
しかし、
今日初めて、
そのことに
気づいた。

教育学の
究極は、
ペスタロッチの
「隠者の夕暮」

短歌日誌~その4~

2018-11-12 20:46:42 | 短歌

最近は、
日本の歌人の短歌が、
英訳されるようになった。

河野裕子さんの短歌は英訳されているが、
希少本で、なかなか
手に入らない。

それで、
俵万智さんの次の短歌(サラダ記念日に収録)
の英訳を書いてみる。

‥‥‥

「寒いね」と
話しかければ
「寒いね」と
答える人のいる
あたたかさ

"Cold out,isn't it?"
you say,and set an answer
"Cold out isn't it?"
How warm it makes you feel.
that someone's there to answer.


我が大学学生時代22年

2018-11-12 12:37:12 | 人生
わたしが
最初に入ったのは、
東京大学文科Ⅰ類(法学部進学課程)
である。

その後、
22年間、学生であった。

勿論、仕事はしたから、
勤労学生である。

ただ、
9年在籍した
東京大学は、
卒業しなかった。
卒業に必要な
128単位の内、
120単位はとった。

しかし、
就職の決まった後、
講義も
試験も
終わり、

「卒業者発表」

掲示を
を見に行くと、
わたしの学生番号は、
なかった。

体全体が、
ぐぐぐぐ

落ちていく感覚におそわれた。

相談室に行くと、

「除籍」
になると
まずいので、「中退届け」

出すことを
薦められ、
そのようにした。

こうして、
最初の学生生活に
別れをつげることになる。

もう、
いっさい
親にはたよれない。

塾で働きながら、
ある大学の
文学部通信教育課程に入学し

小学校教諭免状取得を
目指した。

2年後、
免状をもらい、

公立小学校採用試験を受け、

湘南地方の
ある小学校に
就職した。

でも、学生時代は終わらない。
この通信教育課程を
卒業したのは、
40歳のときである。

その後
2年間、
奨学金をたよりに
母校の大学院に通い、
2年後、
修了し、

大学教員になった。

ついでにいうと、
65歳まで働き、

以後
公金で生活している。

‥‥‥

22年間の学生時代は
長かった。
短かったような気もするのだが。


我が大学受験記、学生生活記

2018-11-12 10:32:23 | 人生
とくに
高校生にとっては、
大学や専門学校選び
は、
たいへんであろう。
あまりにも
選択肢が多い。
大学、専門学校から、
ラブコールがくる。
全国各地から、
勧誘が迫る。

むろん、
高卒で就職される方も多いだろうが。
それでも、生涯教育の時代、
あとになり、大学や専門学校の
お世話になるかもしれない。


わたしが
高校生だったころ(50年位前)は、
大学が、コマーシャルを流すなんて、
考えもしなかった。

大学進学率25%。
そういう時代でもあった。

さて、
高校の生徒だったころ
進学するにあたり、
どの大学を選ぶか、
どの学部を選ぶか、
は、
難しい問題であった。

わたしは、
教師になりたかったが、
当時
在籍した高校の成績トップレベルの
生徒の間では、
高校や中学の教師になる人は
少なかった。

担当の先生に
相談すると、
法学部の方が
向いている、
との意見であった。

文学か、福祉、教育の世界に入りたいと
思っていたわたしだが、
最終的には、
法学部を選んだ。

~大失敗の選択だったが~

一浪して、

東京大学文科1類(法学部進学課程)に入った。
はいって
山下友信さんと
接した。
のち、、
(のちの東京大学法学部教授)
1歳下だが、
笑顔がすてきな学生さんだった。

ただ、
わたしは、
強烈な自己肯定をする
法学部の友人にはなかかなじめず、

ほんの一握りの
気の合う
友人としかつきあわなかった。

また、自分の才能に幻滅し、暗い日々だった。

成績は、
630人中623番いくらい、と思う。

しかし、

教育好きは相変わらず。

で、
講義にも出ず小説を読んだり
詩を詠んだり
マージャンをしたりして、
うつつをぬかしてしていた。

あとは、家庭教師をあちこちで。

そんななか、
やはり教育の世界に入りたい、

と思い、

地元の国立大学の
高校教師(国語)養成課程を受験して、
入学したい、


家族に行った。

猛反発を招いた。

せっかくこれまで育ててくれた
親に、これ以上の学費をださせることは、
潔し、としないことであった。

こうして、
法律を学ぶ日々が続いた。

いまは、
ここまでにします。

‥‥‥

教師はつらいよ~その2~

2018-11-12 09:23:49 | 人生
教師はつらい。

小学校教師の例。

一生懸命、
時間と労力を
つぎ込み、

献身的に
努力しても

かれらは、
1年後か
2年後には、

去ってしまう。

卒業するか、
次の学年に進むか。

いわば、
「手放してしまう」

のだ。

だから、
あとは、
中学校の先生方とか、
新しい担任の先生に
素晴らしい教育をして
いただくことを
期待して、

次にやってくる児童たちと
また、格闘することになる。

はかない
1年か、
2年。
 
‥‥‥

教師はつらいよ。

教師はつらいよ

2018-11-12 09:08:34 | 人生
わたしは、
25種類の仕事を
経験してきた。

初めての職場は、
学習塾。

2年間勤めた。
対象は、
小学生と中学生。

やってみて、
「半年ではこどもをりかいするにはつらい。
1年はみたい」
と痛感した。

それで、
小学校教師を
選ぶことにした。

しかし、
免状がない。

しかも、
わたしは、
大学を、
あと2科目、
というところで、
卒業をのがし、
学歴は、
「大学中退」

そこで、
働きながら
通信制大学
に所属し、
2年間で
小学校教諭の
免状をとった。

30歳にして、
小学校教諭として

デビュー。

しかし、
数年の経験は、

「教師はつらいよ」

と感じた。

そのことは、
次の機会に。

‥‥

ボランティア14年の歴史

2018-11-12 08:49:46 | ボランティア
老人ホームで
ボランティアを
はじめて14年。

ほんとうは、
いばっているようで、
書かない方がいいかもしれない。

しかし、
もう発表してしまったので、
しかたがない。

わたしの属する
ボランティアをする方が
1人できた。
むかしから、
ボランティアに参加してみたかったらしい。

スタッフである友人に、
その旨
伝えてくださった。

将棋が、
たいへん強く、
かつ
謙虚な方だと
わかったので、
参加をお願いした。

大正解で、
彼は、
献身的に
ボランティアを
してくれている。

まだ仕事をもっているのに
ありがたいことだ。

彼のような、
ボランティアを
希望している方のために、

わたしの
ボランティア参加までの道のりを
紹介していくつもりである。

今は、
ここまでにします。