いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

穏やかな死のためには?ある女医さんの取り組み

2019-02-02 21:46:09 | 人生


金谷潤子先生という
女医さんが、
札幌におられる。

もっぱら、在宅介護、
自宅での逝去を心掛ける。
勿論家庭とはよく連絡をとるし、
関連スタッフも
縦横無尽に活躍している。

どう言う死が望ましいのか。
穏やかな死を迎えていただくために、
患者、家族、看護者、介護者、医者が
ミーティングをひらいて、
方向を決める。

なかには、
点滴をやめるケースもある。

安らかな、満足な死が訪れるまでの
長い道をサポートする。
時には、死後のことまで話す。

金谷潤子紹介ケースは、詳しく書かれていて
その文章は、ときに詩のごとくになる。

金谷潤子先生、がんばれ。

アララギ派の重鎮土屋文明~斎藤茂吉がらバトンタッチ~

2019-02-02 21:16:50 | 短歌


斎藤茂吉の後継者として、
「アララギ」の編集、活動を引き継いだのは
土屋文明である。
写生と叙情性の双方をもちあわせた。
教育者として、教頭、校長を務めたあと、
大学教授となった。

長命で、100歳まで生きた。

92歳にして94歳の妻を喪い、
つくった歌が下記のものである。

………

終わりなき時に入らむに束の間の後先ありや有りてかなしむ

………

自らも数年で夜を去るのに、
いまさらじたばたしてもしかたがないが、
と思いつつつくっている。、

戦災に会い、
家を失って、
疎開先で
農作物をつくって、
時代をしのいだ。

100年にわたる生涯には、
茫漠足る事実の積み重ねがある。

………

時代ことなる父と子なれば枯れ山に腰おろし向かふ一つ山脈に

にんじんは明日蒔けばよし帰らんむよ東一華の花も閉ざしぬ

点景~上田三四二の世界~

2019-02-02 20:16:24 | 短歌


上田三四二は、
短歌だけでなく、
小説、エッセイ、歌論も
精力的に作り、書いた。

自らが死病(癌)に侵され、
命が短いと知るがゆえに、
創作へと向かわざるを得なかったのである。
それゆえ、
死との対話をつづけ、
すきとおった感性を、
作品の中に結晶させた。

………

をりをりに未来をなげきいふ妻はわれの日記を読みゐるらしき

マンボなどききゐる妻を憐れめどいくばくかわれの苛立つものを

いつまでも厨にうごく音のしてこのごろ妻の歌わずなりぬ

眠らぬ子を負ひてうたへる妻のこゑ闇こくなりし庭よりきこゆ

俵万智とアダムとイブの世界

2019-02-02 20:01:55 | 短歌


俵万智は、日常の平凡なことを
なにげなく歌った。
彼女の作品のなかには、
平安な毎日の生活をおびやかすものを
意識した歌もある。

あくまで静かに語っているものの、
ひんやりとした
情感を漂わせるものである。

核戦争後のアダムとイブになりたい、
という願望を歌っている。

………

君の言う核戦争の
そのあとを
流れる水にならんか
我と

After the nuclear
conflict you go on about…
What do you say
about becoming, with me,
part of some flowing water.

プロの自戦記から学べること~将棋の真髄~

2019-02-02 18:37:36 | 将棋


わたしは、将棋の初心者ではなく、上級者でもない。
ちょっと中途半端なのだが、
上達の方法はあると思っている。
特に役立つ強化法は、
プロの実戦の棋譜を並べることである。
とくに、自戦記がよい。

将棋のプロの棋譜を並べると、
いいことがたくさんある。

手筋を覚える、
実戦の勘を養える、
定跡がわかる、
対局心理を学べる、
等々。

とくに、将棋用語が、
実感を以て体感されるのはありがたい。

棋譜と図面をみながら、
将棋用語を覚え、
その生きた使い方を
体得できる。

捌く
味が良い
筋が良い
攻めが続く
時間の使い方がうまい、

などなど。

それぞれ、
図面を見ながら、
生きた知識として身についていく。
定跡書を読むとか、
実戦を積むとか、
それは大切だが、

自戦記を読むと、
理論的なこと、
技術的なこと、
心理的なこと、
考えるツボ、

そういうことが、
生き生きと実感され、
実際の闘いに役立つのである。







髪型に思う~時代の証言~

2019-02-02 16:51:27 | 髪型


女性の髪型の変遷をみると、
ほんとうにおもしろい。

奈良、平安時代の貴族のロン毛(?)
は、言うに及ばず、
江戸時代の女性の髪型が
身分や年齢に応じて
窮屈であったこと、
明治、大正、昭和…と
髪型が自由で美の表現の象徴とされたこと、
近代に短髪がはやったこと。

時代の流れをうつしている。

最近、
女性の髪型はみんなロン毛で、
ショートは「女優みたい」
といわれたこともあった。

暇だからそういうことを考えるのだが、
女性自身にとっては、
日常性を帯びた
悩ましくもうるわしい話題であろう。


上田三四二の歌論~藤原定家にも似て~

2019-02-02 16:39:55 | 短歌


上田三四二は、
前衛短歌グループに組みしなかった。

岡井隆
塚本邦雄

といった歌人とは距離を置き、
ないしは批判して、
伝統を踏まえ、
正統的な歌を主張した。

藤原定家が、
「社会詠」を志向しなかたように、
前衛短歌に溺れることを
拒否した。

岡井隆と塚本邦雄は
前衛短歌の盟友であったが、
上田三四二は違う。

たとえば
宮柊二や
近藤芳美のように
生活詠をふくんだ、
わかりやすい短歌を
称揚したのであった。

学問の世界と歌論の世界

2019-02-02 16:11:35 | 人生


上田三四二の歌論を読んでいる。
彼は、医者であり、歌人である。

学問の世界では、
論文を書くとき、
原理原則の問題は
勿論書くが、
助詞、助動詞ひとつで、
他の論文を批判することがある。

上田三四二の歌論の場合も
同様で、

岡井隆
塚本邦雄

といった前衛歌人を
原則的に批判するとともに、
細部にわたる意見の相違をふまえ、
評価して、
自らの立場を明らかにする。

ひとつの独立した考え方を、
普遍的な文学論議の俎板に乗せるのである。

広島大学学長の妻は眼科医

2019-02-02 15:41:47 | 人生


高校時代、
多くの友人のひとりとして、
Oさんというクラスメートがいた。
人柄が温厚で、
誠実、
潔白な
優れた女生徒だった。
成績は良く、
医学部を志望していたが、
医者になると結婚ができないかもしれない、
という悩みがあった。
今は、女医さんが多く、
そういうことで悩む人は少ないのかもしれない。

Oさんは、
結局眼科医になり、
友人の評判によると、
丁寧に診てくれる
優しい眼科医だということであった。

そのOさんが、
広島大学の学長の妻になった
という噂があったが、
そうなのか、
と、気にも留めなかった。

が、必要があって
調べてみると、
今でもOさんの夫は、
広島大学の学長をしていることが
わかった。

さすが、Oさんは
優れた人で、
名医の妻として、
がんばっているのだろう。

親しい友人や先輩が成功すると
うれしいものである。

同学年
同じ学校
同じ出身地
となると、なおさらである。