いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

禁酒のススメ

2018-01-25 13:18:33 | 日記
わたしは、30年間禁酒しています。
ほんのときどき、酒宴で飲みますが、それは例外です。
たいてい、酒を飲まない友人とお茶します。
禁酒すると、いいことがたくさんあります。
まず、金の節約になる。
次に、翌朝、起きるのが楽。
ついでに、肝臓にいい。
おかげさまで、極めて健康な肝臓をもっております。
もうくたびれているので使い物にならないかもしれませんが、
脳死後の献体の意志を免許証の裏で明らかにしています。
死んだあと、ひょっとしたら誰かの体の一部になれるかもしれないとおもうと、うれしくなります。
以上の理由で禁酒を続けています。
あなたも、禁酒しませんか? 
http://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/?

ステチャンスカカロリーナ女流1級について~その1~

2018-01-25 09:46:39 | 日記
数年前に、ステチェンスカカロリーナ(現)女流1級と、フェイスブックで友達になった。

今も、よく話す。
カロリーナ先生は、「どうしたら将棋が強くなれるか」など、
とても役立つ投稿をしておられる。
参考になる。
先生は、気さくな方で、わたしごとき者にも、大切に返事をくださる。
ちょっと失礼かな、と思うジョークにも、見事に反応される。
畏れ多い。

「どうしたら将棋が強くなれるか」というお話があった。
先日は、大雪だったので
「雪の中を歩くと良い。そうしたら、気持ちが鍛えられる」と、ジョークを飛ばした。
即、返事があった。
「そのとおり。そして、あなたは風邪をひく。」

大雪が積もった

2018-01-24 12:12:28 | 日記
一昨日は、全国的な大雪であった。
わたしの住む地域にも、3年ぶりに雪が積もり、積雪20センチとなった。
雪に慣れぬ土地柄なので、大混乱になった。
多くの店が休業となり、どの店に行っても、閉まっているかもしれない、との不安が募った。
夜になり、備蓄のないわたしは、それでも店で食べ物を買わなければならなかった。
カッパを被り、長靴をはいて、出かけた。
20センチの雪!!
歩道には、足跡などなく、わたしが踏みしめるのが初めてであった。
「八甲田山死の彷徨」という映画を思い出しながら、一歩一歩を踏みしめた。
雪を踏みしめると、自分が最初に通る、ということが、実感された。
そこで、次のような、高村光太郎の詩を思い出した。

僕の前に道はない
僕の後ろに道はできる

ほとんどの店は、閉まっていた。
しかし、長く歩くと、コンビニが1軒だけ営業していた。
とてもうれしかった。
喜んで、食物をたくさん買いこんだ。
帰り道、「自分はパイオニアだ」
と思い、誇らしさでいっぱいであった。

そのとき、雪の塊が、どっと落ちてきて、わたしの頭を直撃した。
思わず、次の言葉が口をついて出てきた。

Ouchi!!

お後がよろしいようで。

介護、そして次郎物語

2018-01-21 11:22:02 | 日記
介護の専門家に聞くと
認知症になりそうなご老人に聴かせると良いのは、
一般の想像とは違って、
クラシック音楽ではなく、
ロックや、激しい音楽だという。
しかし、突然ロックを聴かせるわかにはいかないだろう。
わたしのお薦めは、Superflyの「愛をこめて花束を」や「タマシイレボリューション」である。
激しく、心に響いてくる。
老人ホームでは、介護職員の方が、涙ぐましい努力をしておられる。
昔の歌や、流行歌を聴かせてあげる、歌わせてあげる。
室内に、ミニボーリングセットを作って、遊ばせてあげる。
外部から、よいボランティアを募って、本物に触れされてあげる。
頭が下がる。
専門家の方も、よく研究して、アドバイスをくださる。
ありがたいことである。
感謝して満足な表情を浮かべる人も多い。 

さて、

かつて、「次郎物語」は、若者に必読の書物で、若い人の間のベストセラーだった。
主人公の次郎は、へそ曲がりな子に見えて、実は、平凡で、どこにでもいる少年である。
しかし、作中のおとなたちは、それを理解しなかった。
現実のおとなたちは、次郎のような子どもの心の動きを理解しなかった。
だから、かつての少年、少女たちは、次郎物語を愛した。
教師たちは、親たちは、いろいろと理解しようと、努めた。
尊い努力である。
しかし、外から見ても、人の心は理解しにくい。
良かれと思ってあれこれしても、逆効果だったりする。
心に届かなかったりする。

専門家の方々が、立派に、研究成果に基づいて、意見を下さる。
ありがたいことである。

しかし、結局、介護を受けるご老人たちも、次郎も、専門家にもなかなか扱いの難しい存在なのである。
彼らの努力は、涙ぐましいまでに一途なのに。

昔も今も変わらない。
「ありがたい」と素直に受け入れられるなら、どんなに楽だろう。
ご老人たちもの多くは、感謝されている。だが、ありがたいと思いながら、それらを受け入れきることができずに苦しんでい方がいらっしゃるかもしれない。
次郎のように。


人間の営みは、いつまでたっても同じことを繰り返す。

糸谷八段昇級、名人を目指す

2018-01-19 09:11:57 | 日記
昨日、糸谷八段が、B級1組からA級に昇級された。
A級になると、名人挑戦が可能になる。
糸谷八段は、哲学の専門家でもある。大阪大学大学院の哲学を学ぶ課程に在籍された。
将棋と哲学の考え方は似ている、という説がある。
わたしのようなヘボには、その真偽はわからないが、将棋の達人がそう言っていた。
将棋は哲学に役立つ、哲学は将棋に役立つ、ということだろう。
糸谷八段は人柄も、たいへん素晴らしく、将棋の普及活動にも熱心である。
また、かつて竜王のタイトルももっていた実力者である。
昇級は、遅すぎたくらいだ。
藤井四段の活躍が素晴らしく、みなの関心が集中しているが、糸谷八段の昇級も、
将棋ファンにとっては大きな出来事である。
糸谷八段、ぜひ、名人のタイトル獲得を目指してがんばってください。

人生は喜劇か悲劇か

2018-01-09 18:08:50 | 日記
フェイスブックを始めて5年になる。
プライバシーを一部流出させながら、さりとてすべては明かさず、心地よい付き合いをさせていただいている。
今日、ふと思いついて、次のような投稿をした。

ある人がこんなことを言っています。
「人生は賢人にとっては喜劇であり、愚人にとっては悲劇である。」
あなたはどう思われますか?

実は、ある友人(N君)が反応してくれるのではないか、とひそかに期待しての投稿である。
最初に「いいね!」してくれたのは、予想外の高校時代の友人であった。
3人目の「いいね!」は、まさに意中のN君であった。
突然50年のタイムスリップが起こった。
コメントをしてくれ、律儀に回答してくれ、しばらく楽しく議論した。
高校時代は、上記のような青い(?)内容の議論をふっかけあい、時間を忘れて語り合ったものである。
「昭和の高校生」であったのだ!
むろん、前期高齢者になった今は、「(笑)」とか「スタンプ」を駆使して、ユーモラスに会話を楽しんだのは、いうまでもない。
結論は、人生は喜劇でも悲劇でもなく、〇劇だ、ということになった。
N君は、ある地方のPRをするための会社を立ち上げ、八面六臂の活躍をしている。
以前、会社の催しに招待してくれたので、六本木に行ってきたこともある。
SNSも馬鹿にならないものだ。
古くて新しい友情の仲立ちをしてくれる。
人生は喜劇か悲劇か、とういことにはいろいろと異論があるだろうが、
ひとついえるのは、喜劇や悲劇を超えた友情が存在する、ということである。