私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

今朝がた夢を見た

2021年12月04日 | 日々つつがなし

もう亡くなってしまった伯母さんの夢。

 

この間三回忌だったから、二年前だな・・・。

 

私が地元の小学校の運動会を見に体育館へ来ていて、

知り合いが誰もいないなぁ~と思っていたら、

伯母さんが現れた。

 

伯母さんが、子供の頃のように、

「ミー」と呼んで(私の名前に〝み〟がつくので、そう呼ばれていた)、

にこにこしながら来てくれた。

あまりのことに嬉しくて、胸が熱くなり、あったかい気持ちになった。

 

しばらくすると、伯母さんの娘である私の従姉妹も来てくれて、その他、

親戚の従兄弟のお兄さんやら、懐かしい顔も現れた。

この方たちは、ご存命。

 

そうしているうちに、児童たちも居なくなり、誰もいなくなって、

お昼かな?と思い、近くの食堂へ食べに行った。

 

そこでも知った顔はおらず、食事が終わると、

再び、体育館へ。

 

そうしたら、また伯母さんが現れて、

また嬉しくなると言うもの。

そこには、従姉妹のお姉さんも現れたのだが、

私は伯母さんを独占したくて、

少し二人の時間を楽しみたいと思っていた、

というもの。

 

夢が覚めて、あまりのなつかしさに涙が溢れた。

心がじ~んと温かくなった。

と同時に、優しく丁寧に扱われていた子供時代の幸せさを噛み締めていた。

 

そして、伯母さんが戻って来た時、

なんで、「どこへ行っていたのよ」と言えなかったんだろうと後悔した。

 

私って、いつもそうなんだよね。

寂しいのに、寂しいって言えないんだよね。

なんでもなーい、私は大丈夫って、装っちゃうの。

 

それがいけないなぁ~と思った。

 

今度から、そういう時があればそう言おうと思った。

 

目が覚めて、あれは伯母さんの姿を借りたお母さんだったのかも・・・?

とも思ったが、やはり、今感じても、伯母さんのオーラだったと思う。

 

何故、伯母さんが私の夢の中に出てきてくれたのか?と

疑問に思ったけれど、この間鹿児島へ行って、夢にも出てきた伯母さんの末娘である、私の従姉妹のお姉さんにお世話になり、ずいぶんと伯母さんの話も聞いたので、そのせいかとも思った。

 

伯母さん、優しかったなあ~。

決して怒らなかった。どんな悪さをしても。

だから、いっぱい悪さをしたなぁ~。

そして、美味しい物をたくさん食べさせてくれた。

 

いつも行くと最初に言う言葉は、

「ミー、お腹空いておらんね?」だった。

そして、次々と美味しいものを作って食べさせてくれた。

幸せだったなぁ~・・・子ども時代。

 

なんでだろう?涙が溢れて止まらない。

 

きっと墓参りのお礼に来てくれたのかな?

 

寂しいなぁ~。伯母さん達が居なくなって。

可愛がられていたなあ。

大切にされていた。

 

私はそんな幸せな子ども時代を過ごしてたのだと

改めてそう感じた。

 

 

☆それでは今日もよい一日を。

 

これを書いていても、涙が止まらない。

 

寂しいよ~、伯母さん。

 

でも、こういう風に、ご先祖の方々や亡くなったご縁のある方たちは

私たちを温かく見守っているんだね。

そう思いました。

 

いつもありがとうございます。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

 

 

 

コメント
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