嫉妬は誰でもする。
私ももちろんする。
なのに、誰かから、嫉妬心を向けられたなら、途端に心穏やかではなくなる。
なぜなら、嫉妬されると、人間は動けなくなるから。心を痛めるから。
それほど、嫉妬と言うのは、人の心を壊すものだ。
ものすごい猛毒なのだ。
だから、私たちはなるだけ他人からの嫉妬をかわすため、身を縮めて目立たない様にして生きていくのだ。
それが、処世術なのだ。
けれど、嫉妬とは、そんなに恐れるものなのだろうか?
自分も持っているものなのに?
自分の嫉妬はどうするの?
嫉妬はそんなにも悪い事なのだろうか?
恥ずべき事なのだろうか?
私は他人からの嫉妬が怖くて、なるだけ静かに生きて来た。
誰かに、褒められても、
とんでもない!私なんて…と、
慌てて、打ち消してきた。
もちろん、謙遜しないということではないが、自分で仕方のない事は、防ぎ様がないではないか?
運悪く、捕まった時はどうすればいいのか?
私はもう、気にしない事にした。
気にするとは、文字通り、そのことに意識を向けることだけれど、できうる限り、その事に意識を向けない様にしようと考えている。
嫉妬された事に、意識を向けない。
そうすれば、向けられたら嫉妬は、相手に返り、こちらには被害がなくなる。
私の心も穏やかだ。
嫉妬は受け取らない。
相手にとって返す。
嫉妬する心は、こちらには関係がない。嫉妬した本人の問題なのだ。
たとえ、私に嫉妬したとしても、相手の嫉妬心を解消する事はできない。
逆に、私の方が死ななきゃならなくなる。
嫉妬の猛毒にやられて、命を落とす事になるのだ。
なので、死にたくなかったら、相手の嫉妬心を受け取らない、
そうして、嫉妬した本人に返そう、と思った。
一番は私が乗らないこと。
そのエネルギーに巻き込まれない事だと思った。
なので、仲違いの噂話、その輪に入らない、
嫉妬にも巻き込まれない、
相手の思惑を感じたからといっても、気にしない、と思った。
相手が私の事をどう思おうと、それを気にしないー!と思った。
大切なのは、自分の気を、別のことに向けること。
自分の夢や目標に向けること。
そうすることで、新たなカルマを作ることから逃れられる。
私はもう、感情的な行き違いという所から、出る事を決意したのです。
自分のせいでもない、他人の傷を、私が感知して、なんとかしなければならない、と心を砕く事はやめようと思ったのでした。
他人の傷は他人のもの。
他人の嫉妬は他人のもの。
全て得た本人が治さなければなりません。
決して、他人の傷や嫉妬を肩代わりして、
自分が悪いと自分を責めないこと。
自分のせいと自分を責めないこと。
そうして、いつでも、クリーンな気で自分を生きていきましょうね。
そうしましょう。
そうします。
☆それでは今日も良い一日を。
感謝します。
もう、私を貶める方の方ではなくて、
私を愛してくれる方達と仲良くします。
そうなります。
そうなりました。
ありがとうございました。
感謝します。