入職してから、職場のお局様にいじめられ、
ストレス性障害と診断され、
10/21(木)から休職しています。
元夫が、うつ病で、一年近く家にいるという生活を余儀なくされていたので、
こういう事には慣れっこですが、
これからどうしよう・・・とは思うところです。
とりあえず、11月いっぱいはお休みなので、
母子二人で狭い家に角突き合わせて住むことに・・・。
私だって、これからの事、まだ何も考えていないのに、
息子までこうとは・・・。
なんだかなぁ・・・。
それが四十九日が終わってすぐだったので、
本当に参りました。
一難去ってまた一難。
一体どうなっているんでしょうね。
私の人生は・・・。
とりあえず、生活のこと見直さなければ・・・。
☆それでは今日もよい一日を。
こういうことは、すぐに忘れてしまうので、
弟たちとのやりとりのメモをここへ
記入しておきます。
まずは、
妹のお姑さんのお姉さんが言った言葉。
弟のお嫁さんを見て一言。
「あの意地汚い人は誰?」
※とってつけたように、急にいそいそと介助が必要な父の
腕をとり先導したため。
人の目があると、急にやり始める。
自分アピールのため。
そして、
父が危篤状態になり、弟と嫁さんが病室に面会へ行った時の会話。
弟を見て、
「あんたの後ろに人がいる」
という。
「カバンを持ってきてね」と弟の嫁に言う。
このカバンには、つねに現金と通帳と印鑑が入っている。
つまりは、その通帳と印鑑の入っているカバンを持ってきてほしいと言う。
目を真っ赤にして、「あとは頼むよ」と言ったと言う。
それが月曜日の話、と言っていたので、
8月9日(月)の事だろう。
彼らは、8月5日(木)に危篤になってから、頻繁に面会に行っているので。
弟は、仕事を一週間ほど休んでいる。そのために。
昨日、危篤の父に面会に行った - おはなし屋パモンの日記
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驚きの展開 - おはなし屋パモンの日記
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(私が会いに行けたのは、8月7日(土)だけ。
ただし、その時には、通常10分のところを、30分会わせてもらった。有難かった!)
その時のドクターの話しでは、透析は出来ているが、会話はない。
反応がない、ということだった。
二週間は無理・・・。
(これはなんの事だろう・・・?二週間は動かすことができないということか?管の関係で?)
酸素はしていない。
自力で呼吸をしている。
昏睡状態。
会話がない。
植物状態。
会話はしませんよ、と看護師に言われたと言う。
私が面会に行った時に、寒いと言うので穿かせた靴下。
そのあと、嫁さんに、もこもこの靴下を持ってきて穿かせてくれとお願いしてあったのが、脱がされていたそうな。
そして、弟を見て、
「お前の後ろに7人いる。お前を見ている。テレビの所に一番偉い人がいる。白い服を着て」
と言ったらしい。
弟が、「山神様のこと?(シマで信仰している神様の名)」と聞くと、
父「違う、違うよ。もっと偉い人よ」
と言ったと言う。
山神様とは違う人みたい。
そして、「行きに3万、帰りに3万(かかったらしい)。必要だからもってこい!」と言ったと言う。
この時、私も聞いたけれど、やたら「鹿児島、鹿児島」と言っていたのだ。
だから、夢の中で、鹿児島に行っていたようなのだが、
その旅費が掛かったようだ。
最近、私の過去ブログを読んだ妹が、この〝鹿児島〟というのは、
母方の祖母が眠っている墓のことではないか?と言うのだ。
どういう訳か、今回の事は、父方の祖父母ではなく、母方の祖母が怒り、
その祖母誘導で物事が運んでいるのだ。
この祖母は私を守護している守護霊でもあると見える人からは言われているが。
その祖母のところへ行って、お叱りを受けていたのではないか?
私が面会した時も、
「ワンはそんなつもりではなかったんどー」などと言い訳めいたことをしゃべっていたのだが、その後、入った弟夫婦にも、意味不明な事を言っていたらしい。
それが、例の「そうだったのか!」「こらしめてやる!」
というものだが、
この時の弟からのメモには、
「お前、何している!」「お前は誰だ!」「やめれ!」
などという言葉もあったのだそうだから、
父の留守の間に家へはいりこんでいた、
嫁の子どもたちの事を言っていたのではないか?
(父が入院中をいい事に、自分の娘と孫たちを
長らく住まわせていたようだ)
これが昏睡状態にあった父が口走っていた事だ。
私は、これは弟とその嫁さんに向かって放った言葉だと思うのだが、真相は分からない。
おそらく、意識のなくなった父には、地上の人間たちの思いがすべて見えたのではなかろうか。
弟やその嫁さんの腹の中もすっかり分かり、
それでいろいろなビジョンが見えて、叫んでいたのだろう。
本当に、気の毒な事だ。
ちなみに、私はこの時、「あんたの後ろにはたくさんの人が見える。」
「その人たちがあんたを見ている」と言われたのだ。
私は怖くなって、ベッドサイドを移動したのだが・・・。
確かにその後、私は大勢のご先祖様たちから守られているというビジョンが
みえたのだが、祖父から刀を譲られて、たくさんのご先祖様たちが祝福している映像も見えたのだが(8/25(水)) 、
だから、たくさん味方してくださっているのも感じてはいるのだが・・・
結局は先祖代々の土地も家屋も守れなかった。
父が生きている間には何もしてあげられなかった。
今度、鹿児島へ行くのは、その母方の祖母に報告と謝りたいという気持ちもあるのだ。
三年前に、奪還しに行けと言われて、それも叶わず、
這う這うの体で泣いて帰って来た、情けない自分を謝罪する気持ちでいる。
すみません、婆ちゃん・・・。
ダメ孫で・・・。
でも、とりあえずは、報告して、ウチの息子も挨拶させて、
終わりにしよう。
もう、こんな事に関わり合っていたら、人生の無駄だ。
しかも、この事は、すでに私の手を離れている。
これからは彼らがどうなるのかを高みの見物と行くか、という感じだ。
どんどん、こういった負の事からは離れて、
自由に生きていこう!
のびのびと。
とは思っています。
☆それでは今日もよい一日を。