安井曽太郎と寄居小唄(佐々紅華・金子貳次)
1932(昭和7)年、玉淀の入り口の左側に「祇園小唄」「君恋し」「唐人お吉」などを発表した作曲家の佐々紅華が地所を求めて建築をはじめた。このとき出来た歌が「寄居小唄」である。作詞は当時秩父線寄居駅に勤める若き文学青年 金子 虹(貳次)(たかつぐ)であった。彼は武町の鳥羽家に婿に入ったが昭和39年に54歳で亡くなった。夫人とよさんは平成18年に94歳で亡くなったが、お元気な時に古い冊子をワープロで打ちなおすよう頼まれた。手書きの文で、継ぎはぎをして書き直された個所もある。子供の頃よく聴いていた「寄居小唄」であった。昭和20年頃東京より疎開していた画家 安井曾太郎に鳥羽家自慢の手打ちうどんをご馳走するといったら、紋付はかま姿で現れたとか。巨匠らしい振る舞いに思わず笑いがこみ上げてきた。ちなみに金子虹の実家は俳人 金子兜太の本家と聞いた。
停車場の 黒き鉄輪に 夏草 大谷州弘
昭和の寄居風景「寄居小唄」
金子 虹 作詞 / 佐々紅華 作曲 / 寄居町商工会編
色はうす紅 玉淀さくら 霞む日ごとの 水かがみ
まわる日傘に ほろほろと さても愛しい 花が散る
桑の雫に 白粉といて 夢のよにひく 眉の墨
紺の蛇の目が ちらほらと 水の玉淀 夕時雨
思ひかけはし よりゐに桟けて 君と逢瀬が ままならば
川を隔てた 西ひがし 泣いて苦労は せぬものを
城は鉢形 御城下町に 昔 鳴らした 意地もある
思いきるまい 心なら せめて二度咲け 山つつじ
君が来ぬ日は 鐘撞堂の 峯の朝ぎり 雨となる
恋のあま沼 瀬の水に ざんざ降れ降れ なみだ雨
小鮎躍るか 城下あらし 水が散る散る 銀の珠
よりゐ舞妓が ふりそでに サッと棹きる 鮎漁船
河鹿なけなけ 月夜の岸を 波の砕ける 岩陰に
白い素足が ほんのりと 露の笹原 とぶ蛍
朝も早よから 工場の煙は 繭が生糸に なるけむり
花の都の はで好み 一つ語ろか よりゐ絹
吹くよ秋風 雀の宮の 松の梢の 夕ぐれは
チロロ チロロと なく虫に むせぶ川瀬も 身にしみる
高根山裾 紅葉の寺は 藤田、北條の 墓どころ
金襴どんすの 絵巻物 昔偲べと 松のかぜ
茸は松茸 羅漢寺山の 秋のみのりの ほどのよさ
鳥も帰るか 山越えて 風が泣くよな 鐘の音
君は一すじ 頼みの綱よ 妾しゃ 吊り橋 正喜橋
そぞろ歩きの 象ヶ鼻 月が二人の 縁むすび
よりゐ良いとこ 秩父の山が 雪の化粧(けはい)の しなのよさ
娘まけるな 紅つけて しゃんとすませよ ミス・ヨリヰ
(広報武町2011年7月3日発行より・文責大谷州弘)
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