この記事(雉ではない)は「倒錯の世界」のお話である。
読むかたはそれをご承知のうえでどうぞ。
今日6月10日は、「トキの記念日」なんだそうである。ニッポニア日本書紀の
天智天皇10年の4月25日(西暦671年6月10日)の項に、
「漏剋(剋=刻/ロウコク)新台置。始候時打。鐘鼓動」とあるのだそうである。
「水」時計を設置して鐘や太鼓で時を知らせたらしい。ちなみに、
水時計自体はその11年前、女帝斉明天皇(皇極帝の重祚) の御代、
飛鳥京時代に中大兄皇子(のちの天智天皇)が作らせてたようである。
いずれにしても、現在、
「Oツー=大津」の近江神宮の境内には、今ふうロウコクが設置されてるらしい。
トキに、今年はエルネスト・ショーソン生誕150年である。
ブルジョワの家庭に生まれたチクタクチクタク・ボンボンである。が、
1899年の6月10日は、その命日である。
水の流れが美しいセーヌ河畔の「小村」リメの別荘で、突然の死を迎えたのである。
その日の夕刻、ショーソン家の別荘のロウコクが汽車の到着予定時刻を告げると、
あとからやってくる妻と息子を、娘と自転車で駅まで迎えに出ようとしたのである。
が、あたふたしてたからか、
「室内履きのツッカケ」のまま自転車を高速で漕いだエルネスト・ショーソンは、
足をペダルにもつれさせて転倒し、頭を石畳に叩きつけて即死した。
汚い相手に時間外に後ろから殴られて椅子に首を叩きつけたヒラリーのマギーや
乗馬中に馬が暴れて振り落とされたクリストファー・リーヴは、
それぞれに頸骨を折っても死ななかったが……。自転車で
先を走ってた娘は、父があとから附いてきてるものとばかり思ってたが、
なにやらその様子がない。ふりむくと、父の姿はなかった。急いで踵を返し、
別荘の門までくると、そこに変わり果てた父の無惨な死体が転がってたのである。
急いてはことをショソンずる。が、かわいそうな末路であった。さて、
ボンボンの作曲家、といえば、
ドル買いでしこたま儲けてたことに目をつけられて売国奴視され右翼の銃弾に倒れた、
ニッショウ岩井ならぬ三井財閥のCEO團琢麿の孫が、團伊玖磨大先生である。
かわいそうにも、自国(ジコク)で死ねなかったが、その代表作のひとつ、
♪しょ~~おそん(ドーー>ラ>ソー)、しょ~~おそん(〃)、
おぉ~~ひげが(ドーー<レ<ミ<ソ)、ながいのね(>ミミ>レ>ド<レー)。
ぞぉ~~~よ~、とおさんも~、なぁ~~がいの、よぉ~~~~~♪
「ぞうさん」は、「しょおそん」の「交響曲(変ロ長調)」3(終)楽章の
主題にイキウツシである。さすがは、似せ絵を描かせたらニッポンいちの大家
山田コウサク大大先生に私的に教えを受けてれるだけのお金持ちのおぼっちゃん。
ちなみに、故イクマ・ダン大先生は民族音楽学者の故小泉文夫大先生との対談で、
くら音の世界は「著作権がおろそかにされてる」とおぼやきになられてるのである。
ここで、いままでの話とはまったく変わるのであるが、世の中には、
自分のことは棚にあげる、あるいは、盗人他人を疑う、または、
目くそ鼻くそを笑う、という言葉がある。さて、
ホットドックなら小林「タケル」であるが、ダン大先生の一世一代の作品といえば、
「皇太子殿下(今上天皇陛下)御成婚祝典曲」(1959年4月10日御成婚)
と言えよう。その主主題、
♪ソーーー<ラー<ドー|>シッ>ソ<ラー>ミーーー|
【ソーーー<ラー<ドー|<ミッ>ド<レー】>ラーーー(<ファ<ソ<)|
ランララ<ドッ>シッ>ラー>ソッソソ|……♪
は、カミーユ・サン=サーンス御大の「3番交響曲」(1886年)の
前章後部(ポーコ・アダージョ、C、5♭(変ニ長))の主題、
♪○○ソー<ラー<ドー|>ラーーー<シー<レー|
【ソー<ラー<ドー<ミー|>ドー<レー】○○<ソー|……♪
から「引用」したものと仮定できる。ただ、ふつう、
「引用」という行為には「意味」があるものであるが、この場合にはそれが謎で、
なぜ、殿下(現、陛下)もしくは皇太子妃殿下(現、皇后陛下)が
サン=サーンスに関係がアルジェか、いまだに不明のようである。
「オルガン附き」というよりはむしろ、これこれこういう理由である、という
キャピトル討究の「オリガミ附き」でダンじる説が出てコナいのである。
それどころか、サン=サーンス氏はその作品を「生みだす」数年前に、
ふたりの倅が幼いうちに相次いで死亡し(しかも、ひとりは転落死)、
そのことが要因となって夫婦仲がこじれ離婚してしまった人物である。
という縁起でもない引用なのである(引用だとしたなら)。ということで、
「祝典」とは大いに矛盾する。したがって、
「引用」した、という仮定そのものが誤ってるのであろう。
♪ハイリ、ハイリフレ、背理法ォ~~~♪
の理屈である。ちなみに、
旧正田家跡地(ねむの木公園)の東五反田といえば高級住宅街である。
清泉女子大のそばに、生鮮素材を用いたフレンチ・レストランがある。
よくTVにも出てくるオーナー・シェフの店である。
日清製粉の小麦粉を使ってるかどうかは、私の拙い舌では判じかねる。
それはともかく、その店で供された料理に、いつも残飯しか食ってない私は、
「ん? これは土の味? さては野菜をよく洗わないで調理したテヌキパ?」
とツレに小声で言ってしまったのであるが、実はわざと泥を使ったという
ジュレ(ゼリー)なんだそうである。とんだ赤っ恥をかいたものである。が、
ジュレというより「ジャリッ」という食感である。
高級なおフランス料理は私のような下世話な野郎には無理のようである。
もっとも、蛯原友里女王様に、逆エビ固めをきめられたまま
頭を反り返させられて口を開くように命じられ、「これでもお食べっ!」と、
泥ようのものを口腔に詰め込まれる、というオイシイ料理になら、
私の「食ィ意地ィ-ヌ」が大いにはることは間違いない。
女王様の二黒(ジコク)土星(ドセイ)も地獄の怒声もウレシいのである。
さらに、そのアペリティヴに人間シ○ンヘ○ン・タワーのロウコク責めがあったら、
ロウソク責めを省かれても満足である。
読むかたはそれをご承知のうえでどうぞ。
今日6月10日は、「トキの記念日」なんだそうである。ニッポニア日本書紀の
天智天皇10年の4月25日(西暦671年6月10日)の項に、
「漏剋(剋=刻/ロウコク)新台置。始候時打。鐘鼓動」とあるのだそうである。
「水」時計を設置して鐘や太鼓で時を知らせたらしい。ちなみに、
水時計自体はその11年前、女帝斉明天皇(皇極帝の重祚) の御代、
飛鳥京時代に中大兄皇子(のちの天智天皇)が作らせてたようである。
いずれにしても、現在、
「Oツー=大津」の近江神宮の境内には、今ふうロウコクが設置されてるらしい。
トキに、今年はエルネスト・ショーソン生誕150年である。
ブルジョワの家庭に生まれたチクタクチクタク・ボンボンである。が、
1899年の6月10日は、その命日である。
水の流れが美しいセーヌ河畔の「小村」リメの別荘で、突然の死を迎えたのである。
その日の夕刻、ショーソン家の別荘のロウコクが汽車の到着予定時刻を告げると、
あとからやってくる妻と息子を、娘と自転車で駅まで迎えに出ようとしたのである。
が、あたふたしてたからか、
「室内履きのツッカケ」のまま自転車を高速で漕いだエルネスト・ショーソンは、
足をペダルにもつれさせて転倒し、頭を石畳に叩きつけて即死した。
汚い相手に時間外に後ろから殴られて椅子に首を叩きつけたヒラリーのマギーや
乗馬中に馬が暴れて振り落とされたクリストファー・リーヴは、
それぞれに頸骨を折っても死ななかったが……。自転車で
先を走ってた娘は、父があとから附いてきてるものとばかり思ってたが、
なにやらその様子がない。ふりむくと、父の姿はなかった。急いで踵を返し、
別荘の門までくると、そこに変わり果てた父の無惨な死体が転がってたのである。
急いてはことをショソンずる。が、かわいそうな末路であった。さて、
ボンボンの作曲家、といえば、
ドル買いでしこたま儲けてたことに目をつけられて売国奴視され右翼の銃弾に倒れた、
ニッショウ岩井ならぬ三井財閥のCEO團琢麿の孫が、團伊玖磨大先生である。
かわいそうにも、自国(ジコク)で死ねなかったが、その代表作のひとつ、
♪しょ~~おそん(ドーー>ラ>ソー)、しょ~~おそん(〃)、
おぉ~~ひげが(ドーー<レ<ミ<ソ)、ながいのね(>ミミ>レ>ド<レー)。
ぞぉ~~~よ~、とおさんも~、なぁ~~がいの、よぉ~~~~~♪
「ぞうさん」は、「しょおそん」の「交響曲(変ロ長調)」3(終)楽章の
主題にイキウツシである。さすがは、似せ絵を描かせたらニッポンいちの大家
山田コウサク大大先生に私的に教えを受けてれるだけのお金持ちのおぼっちゃん。
ちなみに、故イクマ・ダン大先生は民族音楽学者の故小泉文夫大先生との対談で、
くら音の世界は「著作権がおろそかにされてる」とおぼやきになられてるのである。
ここで、いままでの話とはまったく変わるのであるが、世の中には、
自分のことは棚にあげる、あるいは、盗人他人を疑う、または、
目くそ鼻くそを笑う、という言葉がある。さて、
ホットドックなら小林「タケル」であるが、ダン大先生の一世一代の作品といえば、
「皇太子殿下(今上天皇陛下)御成婚祝典曲」(1959年4月10日御成婚)
と言えよう。その主主題、
♪ソーーー<ラー<ドー|>シッ>ソ<ラー>ミーーー|
【ソーーー<ラー<ドー|<ミッ>ド<レー】>ラーーー(<ファ<ソ<)|
ランララ<ドッ>シッ>ラー>ソッソソ|……♪
は、カミーユ・サン=サーンス御大の「3番交響曲」(1886年)の
前章後部(ポーコ・アダージョ、C、5♭(変ニ長))の主題、
♪○○ソー<ラー<ドー|>ラーーー<シー<レー|
【ソー<ラー<ドー<ミー|>ドー<レー】○○<ソー|……♪
から「引用」したものと仮定できる。ただ、ふつう、
「引用」という行為には「意味」があるものであるが、この場合にはそれが謎で、
なぜ、殿下(現、陛下)もしくは皇太子妃殿下(現、皇后陛下)が
サン=サーンスに関係がアルジェか、いまだに不明のようである。
「オルガン附き」というよりはむしろ、これこれこういう理由である、という
キャピトル討究の「オリガミ附き」でダンじる説が出てコナいのである。
それどころか、サン=サーンス氏はその作品を「生みだす」数年前に、
ふたりの倅が幼いうちに相次いで死亡し(しかも、ひとりは転落死)、
そのことが要因となって夫婦仲がこじれ離婚してしまった人物である。
という縁起でもない引用なのである(引用だとしたなら)。ということで、
「祝典」とは大いに矛盾する。したがって、
「引用」した、という仮定そのものが誤ってるのであろう。
♪ハイリ、ハイリフレ、背理法ォ~~~♪
の理屈である。ちなみに、
旧正田家跡地(ねむの木公園)の東五反田といえば高級住宅街である。
清泉女子大のそばに、生鮮素材を用いたフレンチ・レストランがある。
よくTVにも出てくるオーナー・シェフの店である。
日清製粉の小麦粉を使ってるかどうかは、私の拙い舌では判じかねる。
それはともかく、その店で供された料理に、いつも残飯しか食ってない私は、
「ん? これは土の味? さては野菜をよく洗わないで調理したテヌキパ?」
とツレに小声で言ってしまったのであるが、実はわざと泥を使ったという
ジュレ(ゼリー)なんだそうである。とんだ赤っ恥をかいたものである。が、
ジュレというより「ジャリッ」という食感である。
高級なおフランス料理は私のような下世話な野郎には無理のようである。
もっとも、蛯原友里女王様に、逆エビ固めをきめられたまま
頭を反り返させられて口を開くように命じられ、「これでもお食べっ!」と、
泥ようのものを口腔に詰め込まれる、というオイシイ料理になら、
私の「食ィ意地ィ-ヌ」が大いにはることは間違いない。
女王様の二黒(ジコク)土星(ドセイ)も地獄の怒声もウレシいのである。
さらに、そのアペリティヴに人間シ○ンヘ○ン・タワーのロウコク責めがあったら、
ロウソク責めを省かれても満足である。
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