Francois Joseph Gossec(フランスワ・ジョセフ・ゴセッキュ、1734-1829)は、
95歳という長寿をまっとうした"芸術家"である。
交響曲のいくつかや、レクィエム、
「共和制の勝利」というようなオペラ、など、
入手できるスコアや音源を見聞きしたかぎりでは、
そのほとんどが陳腐きわまりない代物ばかりである。が、
同人が作曲したという「ガヴォット」だけは、
とらえどころがわずかにある、
ポピュラリティをもってる。
"Rosine/L'epouse abandonnee(1786年)"
(ロズィヌ あるいは レプズ・アバンドネ=捨てられた花嫁)
というオペラの中の曲だった、ということらしい。いっぽう、
Gabriel Marie(ガブリエル・マリ、1852-1928)については、
"La Cinquantaine(ラ・サンカンテヌ=50年=金婚式、1887)"
しか知らない。いずれにせよ、
ハン・スンヨンは整形してもやっと安田美沙子並なのが心底
かわいそうになってしまうほど甘ちゃんな私であるゆえ、
これら2つの原曲がどのようなものだったのか、しかとは知らない。
いずれにせよ、
私のような、才能もないのにガキのときに
ヴァイオリンをやったことがある者ならそのほとんどが
弾いた(弾かされた)であろう曲である。が、
才能が少しはあってさらに進んだ者なら、
この2つの「ガヴォット」を3拍子にして
ちゃっかり"自作"としてしまった
フリッツ・クライスラーの小品も弾くことになるのである。
演奏会や対価を得る目的の録音で、
マジに弾かれるほどの"作品"の域までに高められたものである。
「金婚式」:[テンポ・ディ・ガヴォット、2/2拍子、無調号(イ短調)]
***♪ミー│<ラー・<ミー・・ミー・ミー│ミー・>レ<ミ・・<ファー・ーー│
<ラー・<ミー・・ミー・ミー│ミー・>レ<ミ・・<ファー・ーー│
<ラー・>ソ>ファ・・>ミー・>レー│>ドー・>シ>ラ・・<シー・<ドー│
>シー・ーー・・ーー・ー>ラ│<シー・ーー・・ーー♪
「愛の悲しみ」:[テンポ・ディ・レントラー、3/4拍子、無調号(イ短調)]
***♪ミー│<ラー・ーー・<ミー│ーー・ミー・ーミ│ミー・>レ●・<ミ●│<ファー・ーー・ーー♪
→[テンポ・ディ・レントラーに対するポーコ・メーノ・モッソ、、3/4拍子、3♯(イ長調)]
****♪ソーーー│<ソーーー・ーーー<ラ・>ソーーー│ーーー<ラ・>ソーーー・ーーー>ミ│
<ファーーー・ーーーー・ーーーー│ーーーー・ーーーー、
>ソーーー│<ファーーー・ーーー<ソ・>ファーーー│ーーー<ソ・>ファーーー・ーーー>レ│
<ミーーー・ーーーー・ーーーー│ーーーー・ーーーー♪
「ゴセックのガヴォット」:[テンポ・ディ・ガヴォット、2/2拍子、2♯(ニ長調)]
***♪ソ<ラ>ソ>ミ│<ファ<ソ>ファ>レ・・>ドー<ドー│>ドー●●・・
<ファ<ソ>ファ>レ│<ミ<ファ>ミ>ド・・<レー<ソー│>ソーーー♪
「Liebesleid=リーベスライト=愛の悲しみ」は、
胃がガボガボっとしてしまいそうなくらい、
金婚式(サンキャンテヌ)に飲むシャンペンの泡にあんマリにも似すぎである。
同主調に転じる中間部は、
「ゴセッッキュのガヴォット」にイキウツシである。ともあれ、
こういう小品は、今はもう話題も聞かなくなった
アン・アキコ・マイアーズ女史が巧い演奏をしてた。
Fritz Kreisler(フリッツ・クライスラー、1875-1962)は、
フロイトのユダヤ人の医者仲間を父にヴィーンで生まれた。
その父の影響で幼少からヴァイオリンを習い、神童となった。
先生は、ヨーセフ・ヘルメスバーガーにアントーン・ブルックナーという脅威の布陣である。
医学の道はアバンドネして、ヴァイオリン演奏の人生を選んだ。
1941年にNYで道を横断したときトラックにはねられて頭蓋骨を折り、
1週間以上も昏睡状態がつづいた。が、回復して
演奏もできるようになった。晩年をNYで過ごしたが、
車に乗ってるときにまた事故に遭う。そして、
その事故のために目も見えない耳も聞こえない残りわずかな日々を、
カトリックの信仰に満たされて送ったという。
信仰にたよらねばならない気質もまた私にはなじまない。
95歳という長寿をまっとうした"芸術家"である。
交響曲のいくつかや、レクィエム、
「共和制の勝利」というようなオペラ、など、
入手できるスコアや音源を見聞きしたかぎりでは、
そのほとんどが陳腐きわまりない代物ばかりである。が、
同人が作曲したという「ガヴォット」だけは、
とらえどころがわずかにある、
ポピュラリティをもってる。
"Rosine/L'epouse abandonnee(1786年)"
(ロズィヌ あるいは レプズ・アバンドネ=捨てられた花嫁)
というオペラの中の曲だった、ということらしい。いっぽう、
Gabriel Marie(ガブリエル・マリ、1852-1928)については、
"La Cinquantaine(ラ・サンカンテヌ=50年=金婚式、1887)"
しか知らない。いずれにせよ、
ハン・スンヨンは整形してもやっと安田美沙子並なのが心底
かわいそうになってしまうほど甘ちゃんな私であるゆえ、
これら2つの原曲がどのようなものだったのか、しかとは知らない。
いずれにせよ、
私のような、才能もないのにガキのときに
ヴァイオリンをやったことがある者ならそのほとんどが
弾いた(弾かされた)であろう曲である。が、
才能が少しはあってさらに進んだ者なら、
この2つの「ガヴォット」を3拍子にして
ちゃっかり"自作"としてしまった
フリッツ・クライスラーの小品も弾くことになるのである。
演奏会や対価を得る目的の録音で、
マジに弾かれるほどの"作品"の域までに高められたものである。
「金婚式」:[テンポ・ディ・ガヴォット、2/2拍子、無調号(イ短調)]
***♪ミー│<ラー・<ミー・・ミー・ミー│ミー・>レ<ミ・・<ファー・ーー│
<ラー・<ミー・・ミー・ミー│ミー・>レ<ミ・・<ファー・ーー│
<ラー・>ソ>ファ・・>ミー・>レー│>ドー・>シ>ラ・・<シー・<ドー│
>シー・ーー・・ーー・ー>ラ│<シー・ーー・・ーー♪
「愛の悲しみ」:[テンポ・ディ・レントラー、3/4拍子、無調号(イ短調)]
***♪ミー│<ラー・ーー・<ミー│ーー・ミー・ーミ│ミー・>レ●・<ミ●│<ファー・ーー・ーー♪
→[テンポ・ディ・レントラーに対するポーコ・メーノ・モッソ、、3/4拍子、3♯(イ長調)]
****♪ソーーー│<ソーーー・ーーー<ラ・>ソーーー│ーーー<ラ・>ソーーー・ーーー>ミ│
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>ソーーー│<ファーーー・ーーー<ソ・>ファーーー│ーーー<ソ・>ファーーー・ーーー>レ│
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「ゴセックのガヴォット」:[テンポ・ディ・ガヴォット、2/2拍子、2♯(ニ長調)]
***♪ソ<ラ>ソ>ミ│<ファ<ソ>ファ>レ・・>ドー<ドー│>ドー●●・・
<ファ<ソ>ファ>レ│<ミ<ファ>ミ>ド・・<レー<ソー│>ソーーー♪
「Liebesleid=リーベスライト=愛の悲しみ」は、
胃がガボガボっとしてしまいそうなくらい、
金婚式(サンキャンテヌ)に飲むシャンペンの泡にあんマリにも似すぎである。
同主調に転じる中間部は、
「ゴセッッキュのガヴォット」にイキウツシである。ともあれ、
こういう小品は、今はもう話題も聞かなくなった
アン・アキコ・マイアーズ女史が巧い演奏をしてた。
Fritz Kreisler(フリッツ・クライスラー、1875-1962)は、
フロイトのユダヤ人の医者仲間を父にヴィーンで生まれた。
その父の影響で幼少からヴァイオリンを習い、神童となった。
先生は、ヨーセフ・ヘルメスバーガーにアントーン・ブルックナーという脅威の布陣である。
医学の道はアバンドネして、ヴァイオリン演奏の人生を選んだ。
1941年にNYで道を横断したときトラックにはねられて頭蓋骨を折り、
1週間以上も昏睡状態がつづいた。が、回復して
演奏もできるようになった。晩年をNYで過ごしたが、
車に乗ってるときにまた事故に遭う。そして、
その事故のために目も見えない耳も聞こえない残りわずかな日々を、
カトリックの信仰に満たされて送ったという。
信仰にたよらねばならない気質もまた私にはなじまない。
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