Burning Pavilion Part3

日常のもろもろ

休日出勤と雑感

2011-11-25 01:00:21 | 日常
先日、休日勤務がありました。勤務といっても地域の遊び的な催しなんですが。
うちの職場的には出ても出なくても自由ではあるものの、立場上この人たちが一番話しやすいのは俺なので、俺が行かないわけにはいかない。ましてや直接関わりない職場の人も来るわけなので、どうにも断りづらい。

なので、完全に参加者として楽しむことにしたものの、これはどうすればよいの?あれはどこに?これはどこに?と聞かれて対応する。企画者やお客さんはいい。想定済みだ。企画者に対しては、事前に言ってくれれば準備したのになぁ、でも気が回らないところがあったらごめん、くらいは思うかもしれない。それは汲みあえるもの。
でも職場の身内の人間であれば話は別
口だけ出してないで自分でも汗をかけと思いました。少しは責任もって自分で行動しなさいと思うんだけどね。ほとんどはちゃんとやってくれる人達だけど、たまにいるんだわな。余計な口出して上下関係を強調したいだけなら淡々と参加だけしててくれ、と。
俺がお客さんの対応優先で動いてるのは見りゃわかるのに・・・子供の方がまだちゃんと見てるよ。
いやなら初めから来なければよくて、今後も来なくてよい。それは自由なんだから。やる気は人のせいじゃなく自分の問題だ。


仕事だけに限ったことではないですが、自分の非を認めることができない人って、ちょっと「ごめんね」と言えば済むことも、後で責められることを恐れてか、全然認めない(もちろん責めたりなんかしないのに)。逆にちょっとしたことをいつまでもブツクサ言うわけだ。自分が不利にならないように先手を打ちたいがために?。
その人自体が原因でも、都合の悪いことは気づかない(ふり?)のだからどうしようもない。こちらとしては、「??」となり意思疎通ができない。

でも原因を作ったのはあなたでしょう?と、言うこともできるけど、雰囲気は壊したくないし、逆にこちらが悪者になるシチュエーションとなってしまったケースもある。それでもいいけど、雰囲気を保つか、意地を通すか、両天秤にかけた時に俺は雰囲気の方をとってしまう。たった一人のために皆に微妙な空気を味わせたくないので。

時に、○○するとより良くなると思うんだけど、○○してもいいかな?、と聞くようなところ、なんで○○しないの?という言われ方をしたとする。そう言われると、じゃあ○○してみますか?と、こちらが言うことになるけど、そうすることによって後でその言わせた人には責任が無いことになっている。人にさせておいて自分は責任を持ちたくないってことなのか?。そこに至り発言者の意思は無くなっていることになるんだけどいいの?。それとも誉められた時にはいや~あれは自分が言ったんですよ、と横取り?。それなら、初めから○○したいんだけど、とか、○○させてもらえないか?、と言えばよいのだ。人にやらせないでどんどんやればいいんだ。

そして、こちらが無責任な言いっぱなしを聞いてしまったときに(やらざるを得ないように)、それを気付くが雰囲気を考えて一応善意でそれをやってあげた(やればいいじゃん、とも言えるけど、そうは言えない雰囲気で言われると仕方がない)、あるいは代弁してあげたとしても、結局こちらの配慮なんてなんにも伝わってないわけだ。なら初めからそこに明確な意思はあるのか?。
人を貶めてまでしたい主張って何なんだ?。

○○ないから○○できない、というのは条件を出しているだけ。そんなものは言われなくてもこちらもわかっていることで。ではあなたはどうしたいのですか?、何ならできるのですか?とこちらはなるわけだ。○○はいやなんですよね~だけはもっとひどい。
条件を出した上で、○○はできるから○○をしよう、であれば伝わる。
こちらが聞きたいのはそこであり、ぜひやってみよう、それはきっとうまくいく、または、心底楽しめるよ、といったことを経て、『無事完了』あるいは『楽めた』となる。
※当然理屈抜きでそうなることがほとんどだけど、あくまでそうでない時の話。普段はこんなこと考えもしません。

さて、これでその人にとってあまりいい結果が得られなかったとして、本当は自分は○○した方がよいと思ってたんだけどXさんがそう言ったからそうなったんだよね~、と自分の想いを知ってか知らずか、知らないところで勝手に言われていたら、事情の知らない人に対しては、Xさん側が貶められた形で伝わることになるのだ。と、こんなことだって無いわけではない。Xさんに近いところにいる人がそう言うのだから(実際は近くなくても)、と信じてしまう人だっているでしょう。

こういうのってほんとは関わらなきゃいい話で、実際極力関わりたくないんだけど、悲しいかな、そういう人はそんな姿勢なのだから何をどう言っても伝わらない。『え?そんなこと言ってませんよ?』と言われるか話を逸らされて終りだし、自分にとって都合の悪いことは頭に入らないのだろう。全部人のせいなんだろう。人に対してぞんざいな態度をとれるのもそういうことなのだろうか。こっちが心を開いたとしても、その相手の心のうちは見ることができない。

気に食わないことがあったとして、それを誰かれ構わず言うことは(それが例えばメールでもブログでも)、その人の自由だけど、そのことが、ただ単に自己を正当化したいがために、特定の誰かを貶め、傷つけるってことになると考えてみたらどうか。嫉妬や逆恨みからは何も生まれやしない。
楽しい空気を冷たい言葉一つ放たれることでぶち壊されるのは寂しい。

人って満たされていても不満を探してしまうものだ、と言ってた人がいたけど、俺はそれをなるほど思う。愚痴るのではなくより良くできるならどうすればよいかというように考えたほうがよほど良い。今ある環境や立場に感謝しなくちゃね。

なんか書いて嫌になってきたが…
なんでそうなるのか、わからないから一生懸命考えてはみたけど、何度もあったことだからどうせ徒労だろうな。見たくないものからは目をそむけるのだろう。空気を読んでるようで読んでいない。寛容ということを知らないのでしょう。
ご本人がこれを読むことが仮にあったとしても、たぶん自分の事だとはわからないでしょうな。

ま、こういう人は滅多にいるわけではないし、自分の好きな人たちにはこういう人はいないけどね

ほんとはどんなことだって気持ち一つで楽しい時間を過ごそうと思えばできるのにね。




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