Burning Pavilion Part3

日常のもろもろ

2011年をぶり返す

2011-12-26 23:31:00 | 日常
さて、今年ももう残すところあと数日。

この後、明日1日仕事行って、その翌日から休暇のところ、なぜか人間ドックに引っ掛かり尻からカメラを入れることになり、その後はビートルバッカーの正真正銘の忘年会と続く、帰省のためしばらく旅立つため、恐らく日記を書けるのは今年最後です。
来年は「上からマリコ、下からウンコ、尻からカメラ」というタイトルの大腸内視鏡体験ルポから始まる予定です。

ということで、今年1年をふりかえってみます。
振り返るには自分の出たライブ関係がよかろうということで、これ中心になります。人とのかかわり、緊張感があり、感動あり、達成感あり、みたいな感じでね。結構物忘れが激しい中これはなにも見ないで振り返れるのでね。

今年の始まりは函館の温泉で露天に入りながらさわやかに始まった。なんとも贅沢な幕開け。
とはいえ、前の年の仕事が結構濃厚で、それの他、内部の余計なお世話もあり精神的にギリギリやられていた毎日のつかの間の休暇だったわけです。その後も1~5月くらいまでもうなんだか毎日ワタワタやってました。
そんな中でちゃんとライブや何やらやってるのだから、このころはまぁ頑張ってますね。

1月 フジファブリックセッション
mixiのフジファブリックコミュのセッションが北海道在住の人たちで行われると知り、参加を決意。それまでセッション経験がなく、ずっとバンドでやってきたけど、今のバンドじゃできないけどすごくやりたい曲があって、それをやれる場があるとなれば参加しなくてどうするというわけで、6曲に参加して3曲歌とギター、3曲ギターとコーラスやりました。これは勉強になった。1発で決めるという。バンドじゃないんだけど一体感あって、またぜひ出たいと思ったけど、まだ出れてません。。。

2月 ふとりカンタビレ(弾き語り)
かなこさんとようこさんのお誘いで、Akeyで2回目のふとりカンタビレ。この時はただでさえクソ忙しいのに東京で発表会でプレゼンすることになってしまい、その出張とちょうどぶつかっていたので、出張帰りに和みに行くのが主でした。出張先のビジネスホテルでセットリストを考えたという(笑)。内容はもうこの日来た人ならわかるであろう、民生の隠れた名曲揃いのライブでした。今後この内容でやることはあるのだろうかというオーディエンス限定の内容。このメンツならエンターテインメントとしてアリと俺は思ったものの、最後畳みかけるように暗い曲をやったので、最後はテンション上がるやつ!とリクエストいただきました(アンコールというよりは、ちゃんとやれ、的な(笑))。こういうのまたやりたい。

3月 ビートルバッカー&CANNONBALL ダブルヘッダー
これは結構自分の中では記念碑的なライブでした。
持ち時間45分づつくらいのを2ステージ出たという。曲は決まっていて前の年からずっと練習していたものの、なかなかライブに出れなかったという事情が両バンドで共通してたから、それぞれ準備期間が十分あった。個人練習なんか大してやれなかったものな。ビートルバッカーはスタジオ練習で覚え、CANNONBALLに至っては全部過去にやったことある曲だから記憶のみ。しかも全員で合わせたのは当日のサウンドチェックでした。ちゃんと合うかどうかで気が気でなかったけどどうにかなった。ライブ自体は楽しく、滞りなく出来た。いや、そんな時、ほんとにいいメンバーとやれてると思う。
この日は東日本大震災から間もなく、全日本的に非常事態の真っ只中。
この日の会場・HOTTIMEのなにかできることをやりましょう、という言葉。まさに同じことを考えていて、自分には何ができるのかと考えていた。でMCでそんなことを口にしたのだった。ビートルバッカーはメンバーが東京へ戻るため、このメンバーではファースト&ラストライブでした。
打ち上げは出来たばっかりのオープン前のCUSTOMで、誕生お祝いもしていただき、うれしかったなぁ。

4月 CANNONBALL @810
前年7月のSUSUKINO810が最高に良かったので(8月のVINNIESも良かった)、この日も・・・と思ったが、新曲も入れていてとても楽しみにしてたものの、思い切り~とは乗り切れない感じがした。演奏自体はよかったと思うけど、前の年このバンドはもっとガンガン音合わせしてたから、ノリも良かった気がする。この時はパーカッションもいたしね。とてもいい4人なのでこのライブも楽しかったけど。

5月 ビートルバッカー @KLAPS HALL
今回は4人編成での出演。そのためロックンロール系の曲中心の構成になった。そのため歌詞を覚えるのに難儀した。ビートルズのオリジナルは歌詞が少ないけど、チャック・ベリー等のカバーは歌詞が多いことに気付いた。でも好きな曲だったのでやれて嬉しかった。
その後、HOTTIMEでやったセッションがほんとまたマニアック(な人がいた)で、ポールソロとかやっちゃって面白かったなぁ。グダグダでしたけども。

7月 ビートルバッカー @HOT TIME
この日は色んなジャンルのコピーバンド大会。一発目にやってあとは酒飲んでました。この日やった新曲は練習不足が否めない感じがし、ご迷惑かけてしまいました。あまり練習に出れなくていつもご迷惑かけてます。
でもビートルズって不思議とどんな形でやっても脳内でオリジナルに変換されてまあまあよかったんじゃないか、と都合よく思ってしまいます(笑)。

9月 CANNONBALL 2週連続公演
この月は、いつもライブに来てくれるお仲間のご結婚お祝いパーティ、ってのがまずあって、もう一つ、KLAPSホールのライブにこれまた以前ご縁のあったサムさんから誘っていただいたライブと、2本やりました。
その前に、1年以上不在だったキーボードの応募が奇跡的にさの師匠からあり、加入→何回か音合わせできればライブという流れでやりたいな、と思ってて。
それより前にユニコーンが復活したので、このタイミングではユニコーンをやりたいと思ってたのですが、ユニコーンやるにはキーボードは不可欠なので、ライブはメンバーが見つかってからでいいやと楽観的に構えてたりもしていた。
で、前述のパーティの話があり、さらに先だって夏にライブをやるので夏っぽい曲をリクエストもらってたりもしててそれがほとんど民生曲だったり、KYAISUIYOKUMASTERをリクエスターである新婦の前でやったら喜ぶだろうとか、メンバーに覚えてもらう曲も早いうちから決めなきゃならん、2週連続なら曲もそれほど増やせないし、2週のうち1週は4人編成だし、サポートのお願いも可能だったのだけどそのリハをする時間がない、そもそも全員出れるのか?、とか色々あり、迷いに迷った挙句、結局民生曲にしたのでした。メンバーが揃う時間がなかなか持てない中、これまでのセトリを一新という勝負をかけました。また、両公演で1曲づつユニコーンもやりました。これは予告編的な意味合いだったのです。次はユニコーンやるよという。

パーティのライブはなかなかに緊張したけど、なかなか良かったんじゃないでしょうか。
KLAPSはさの師匠も加わり、久しぶりにフルメンバー構成のCANNONBALL。全楽器のバランスを考えれるプレイヤーとやりたいのでもうこの上ない最強の方に入っていただきました。
入れ替わるように、ベースのキンタロウが脱退。なかなかこのバンドの練習をする余裕がなくなってきているのは感ずいていたので、仕方のないところでした。惜しいけど。
そういう特別なライブでもあったせいか、4月で燃焼しきれなかった分も吹き飛ばすフルスロットルのライブだったかと。少し荒いくらいの飛ばし方が出来ていたとしたらよいな。自分はそのつもりだったので。

飛んで、

12月 ふとりカンタビレ(エレクトリック,セッション)
9月のライブ後、ベース募集を始めたもののすぐ立候補があるとは思っておらず、でも案外決まり、音合わせも10月には行ったものの、諸事情で年内はCANNONBALLが動けない感じだったので、締めくくりをふとりカンタビレでやったという。ざっくり言うとそんなところですが、CANNONBALL新加入のさのさん、そして9月のライブで出会ったツリンツさんとプレイヤーとして一緒に何かできないかと、薄編成でレアなものをというところで。まじめに書くとそんなところだけど、音で遊べそうだと思った。やってみて面白かったしこれがその後の何かの布石にもなったりとか、そういうのいいじゃん。てね。


という今年、なんで、こんなにずらずら書いたかというと、バンド活動10年目だったのです!。今年やったライブも10回(これは今気づいた)。
結構歳とってから始めたので。その前から曲作ったりとかいろいろしてたのですが、腕ちゃんと磨いてからってやってたらそういうことに。
でも初めたのが遅くてもずっと続けてると、昔からやってる人の胸も少しは借りれるようにはなったというもので。
バンドも転勤で辞めざるを得なくなったり、自ら辞めたり、自ら去る人や、やる気無い人には辞めてもらったりとか、色んなことがあり。自分で結成したのはCANNONBALLは2バンド目だけど、1バンド目はひどい目にあったのが今でもトラウマですけども、満を持して始めたCANNONBALLは初ライブから
4年が経ちましたが、実体のあるものとして認識してもらうまでにはじっくりとライブの積み重ねがありました。そんな間にも色んなことがありました。一筋縄ではいきません。でも何にも代えがたい楽しみや人とのかかわりもあったりしてそれが続けている理由だと思います。理由なんかいらないんですけどね。敢えて書くとすれば、そういうことです。

バンドをやってて思うのは技術よりも、メンバーみんなのモチベーションを保つこと。これはだれかがモチベーションをなくすとその他のメンバーひとりひとりではどうにもならない。そういう意味ではようやくそこを考えなくて済むようになったと、来年はもっと音だけに専念できると思う。


このほか、、、
「いいこと言う!その2」というタイトルで書こうと思ってました、が、明日は下剤を飲まなきゃならず、時間がないのでここに書きますが、

1個目。「どんなにつらいことがあっても、音楽だけは嫌いになったことはない。」
山下達郎さんの言葉ですが、よくよく考えると、全てが嫌になった、みたいなことが無いこともないのですが、そういやそうだと。音楽以外にも思い当たることはたくさんありますが、例えば、「どんなにつらいことがあっても、ウニだけは嫌いになったことはない」とか。そんなの当たり前だと思わせるところが深いと思います。

次、2個目。「ユニコーンというバンドは、若いバンドが"そういえば、40歳になっているこんなバンドがいるな"ってわかるという、1つのモデルケースになればいいと思うんですよ。もちろんユニコーンと同じようにやる必要はなくて"僕たちはあそこからああいう風に発展できる"とか"僕だったらこうする"という指針になれればいいのかなと。そういうことをやっていけば、音楽業界自体の活性化にもつながりますし、日本のロック音楽自体に歴史が少しずつできて来ているので、それがどんどん続いていってほしいなと。だから若いバンド大歓迎だし、種明かしもしようと思っています。今までだと、自分が勝つために見せない、みたいな部分も持っていたと思うんですよ。でももう、全部使っていいよ!と(笑)。もう何から何まで。バンドのモチベーションの持ち方から、レコード会社との接し方とかまで、もう全部暴露しちゃう(笑)。そうじゃないと若いミュージシャンは中々出て来れないし、わからないと思う。僕たちが全部種明かしするから!」
阿部義晴さんの言葉ですが、かつてこんなこと言ったロックミュージシャンがいる!?。凄いと思う。
民生のひとりカンタビレもこの発想で、元々はミュージシャン・エンジニア向けのツアーだったわけですが、さすが歴史に残るバンドは違う。


めちゃ長くなりましたが、今年はこれにておしまい。
今年お世話になった方々、ほんとにありがとうございました。
お体に気を付けてよいお年をお過ごしください!。




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