庭の改造と家のリフォームがほぼ終わった。
今回、随分な出費になったが、自分の人生の節目に必要なものだったという気がする。
死に向かっての身辺整理の一環。
そんな位置づけのような気がする。
毎朝、綺麗に張られた芝生に水をやるのが、なかなか楽しい。コーヒーを片手にしながら。
この作業の一番いいところは雨が降ったらしなくていいし、それに罪悪感を感じる必要がないことだ。
例えば、犬が生きていたころ、散歩に連れて行った。雨が降れば、やはり濡れたくないので、「雨だからやめよっ」という口実で割愛していた。しかし、世の中の愛犬家は結構、雨の日でも犬の散歩をするのだ。
その光景を見ていると、「雨を口実にしてさぼった」という罪悪感が生まれる。
毎日の自分の散歩というか、ウォーキングもそうだ。
10年くらい前は、それなりにインセンティブがあったので、1日2時間くらい歩いたこともあった。
それが段々面倒になり、最近は雨が降れば、「ま、風邪を引けば本末転倒だからやめよっ」でなことで、これも結構割愛していた。しかし、同じような罪悪感がある。
ところが芝生の水やりは、雨が降れば、当然のこととして作業が不要になる。それどころか、よりたっぷり水が行き渡り、おまけに水道代もかからない。
この「罪悪感」の消滅こそが、芝生の水やりの醍醐味だ。
今回、随分な出費になったが、自分の人生の節目に必要なものだったという気がする。
死に向かっての身辺整理の一環。
そんな位置づけのような気がする。
毎朝、綺麗に張られた芝生に水をやるのが、なかなか楽しい。コーヒーを片手にしながら。
この作業の一番いいところは雨が降ったらしなくていいし、それに罪悪感を感じる必要がないことだ。
例えば、犬が生きていたころ、散歩に連れて行った。雨が降れば、やはり濡れたくないので、「雨だからやめよっ」という口実で割愛していた。しかし、世の中の愛犬家は結構、雨の日でも犬の散歩をするのだ。
その光景を見ていると、「雨を口実にしてさぼった」という罪悪感が生まれる。
毎日の自分の散歩というか、ウォーキングもそうだ。
10年くらい前は、それなりにインセンティブがあったので、1日2時間くらい歩いたこともあった。
それが段々面倒になり、最近は雨が降れば、「ま、風邪を引けば本末転倒だからやめよっ」でなことで、これも結構割愛していた。しかし、同じような罪悪感がある。
ところが芝生の水やりは、雨が降れば、当然のこととして作業が不要になる。それどころか、よりたっぷり水が行き渡り、おまけに水道代もかからない。
この「罪悪感」の消滅こそが、芝生の水やりの醍醐味だ。