NHKオンデマンドの特報首都圏で、職場を追われる若者たちの話を見た。いつの間にかずいぶんひどい時代になってしまったものだ。もちろん職場も人間社会の一環だから、いつの時代にもいじめや排除の問題はあったし、時には正当な理由があってそうなるのも見てきた。
でも、どうも今の時代の職場から若者が追われる事象というのは単純な人間関係の問題とはいえないもののようだ。仕事、職種自体がなくなっているらしい。以前なら働く気があればそれなりに雇ってくれる会社はいくらでもあったのが、今はその会社自体、存在があぶなくなってトカゲの尻尾きりのように、若い子たちが切られていくらしい。
実際に見てきて知っているところでは正社員の給与では生活できず、夜間のアルバイトやパートを何件も持っていた中高年のお父さんたちがいた。今は家庭を持った人たちどころか、学校を出てそれほどたっていない若い子達が正社員どころか、アルバイトやパートしかない、いやそれもなくて路上で生活する羽目になっているのだという。
いくらなんでもそこまでは考えたこともなかった。何か手はないのか、できる仕事、収入を得る道はないのかと思う。もっとも当のこちらも自分のできること、能力を生かせそうなことと考えて、書き物をしてきて挙句の果てにどこかの誰かさんに利用されてしまっていただけだったことに気がついて怒り出したりしているわけで、あまり役に立つような意見は出せそうもないが、でも、その子達、何かできないだろうか。
もちろん、個人差があってお客相手の商いなど無理という人もいる。うちの親もそうだった、あの人は武家の商法でどんどんお金をなくしただけだったから、誰にでもできるわけではないとも思うが、でも、もし可能ならインターネットのオークションを利用して物を売るとか、何かできないのか。それも人と同じことをしていてはどうにもならないではないかとか考えてしまった。
そして、これを書きながらふと、職場を追われる子達というのは結局取替えのきく人間、他の人にできない能力、才能のない人間ということなのかもしれないと気がついた。これは簡単ではなさそうだ。技能職、技術職で今の時代でも一生使えそうなものというと、調理、製菓、木工、高級被服縫製、ヘアーカットといったところだろうか。大量生産品ではないものを作る仕事だ。とにかくそんなことで、何か手に職をつけるしかないのではないか。うどんつくりだっていいのだ。とにかく他の人を喜ばせ、求められる仕事を身につけるしかないのではないかと思った。
東京では無理かも知れないけれど関西で、ある知り合いのシスターは露天商をしていた。食べていくための仕事というなら、会社や工場だけが仕事ではないはずだ。
教育や行政は学歴以前に、今の状況でも食べていける職業教育をもっと考えなくてはいけないのではないのだろうか。人と同じことをしているだけでは駄目な時代なのだ。
ついでのおまけ
こういうやばいものは消されちゃうかな?