亡父が病院に入院していた頃は、夜中に何度も呼吸が止まっていると機械が騒いで知らせたものだった。いつ死んでもおかしくない状態の日々だったから、異状があればすぐに機械が作動するようになっていたのだ。あれで、人間の呼吸は眠っている間に止まったり、また再開したりすることがあるのを知った。その後、普段は健康な人でも睡眠中に呼吸が止まっては戻り、また止まっては戻りを繰り返す睡眠時無呼吸症候群というのがあるのを知った。一人は女性で古い知り合いだ。彼女はやせていて細い人なのだが無呼吸症候群だ。もう一人は太めで首も太くこちらはなるほどと思ったものだ。しかし、そうすると体型にはあまり関係ないものらしい。しかし、太めのほうがなりやすいらしい。そこまでは他人事と思っていたわけだが、ここ最近の数年は自分のイビキで目が覚めるという状況になり、昼間眠くて眠くて、夜は何度も目が覚める。絵に描いたような無呼吸の症状が出ている毎日で焦っているが、どうにも仕方がない。年を取り運動量が減り、首は細い方だったのが今や太首化して最悪な状況なのだ。全く、何から何まで健康とは程遠くなっているのがわびしい。
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こんばんは~、マリーで~す。
うちのおばはんはどうしたって? あの人ならほんというとまた風邪と寝不足で調子がよくないのよね。今日だって朝のうちはまだ聖書の集いに行こうかなって言ってたのに、午後になったら頭痛や咳で、これはだめだってやめる事にしちゃったの。
台風がどこかに行っちゃったと思ったらさ、今度は急に寒くなってきたじゃないの、あれがいけないのよね。あの人、明日はまた歯医者さんで、これは治療の途中で休むわけにいかないから、聖書の集いのほうを休んじゃったわけよ。また時間のかかる面倒な治療だから年末か、来年の初めまではずっと歯医者さんだしね。
歯の治療ったってあの人のは歯周病が原因なのよ。あの人、若いときから教会での関係で歯や歯肉の病気で口が臭いのは自分にも人にもうるさいのよ。うるさく言われてそういうもんだって思ってるんだわ。自分の口のにおいに気がつかないでいると人間関係のためにもよくないっていうの。カトリックは信者に、教会にはじめてきた人にこちらから声をかけて、キリスト教の案内をしろとかはほとんど、いわれないけれど、プロテスタントだと信者ならそれが当然みたいに言われてて、そのためにも、相手の人と話すときのエチケットで歯の治療や口臭対策はうるさくいわれてたの。
だから、今でも歯医者さんはきらいでも、口のにおいには敏感に治療を受けに行くのよ。で、今回は、まだ抜かないで保つだけ保たせようってことなの。うちのおばはん、神経質だから部分入れ歯になったら、絶対我慢できなくて、抜けたままになっちゃうのは目に見えてるから、抜くのはなるべく後回しにしといたほうがいいのはわかりきってるんだわ。
ほんでもってさあ、今のパパ様の話ってなんだかプロテスタントのころの説教で散々聞かされた話とおんなじで、あの人にはどうもいやなのよねえ。だから最近、なんとなく東のキリスト教のほうに心ひかれてるんじゃないのかしらって、あたしはにらんでるのよ。あの人、どっちかって言うと、今は亡き霜山徳爾先生じゃないけど、日本人の宗教性は、「美を通して真実へ」という感じなんだって思ってるんだわ。
心に愛がなければどんなに美しい言葉も、行いも空しいってのは、それも本当だけどさ、当人の心を動かす何かが無ければ愛も何も生まれてこないんじゃないかと思うんだわさ。ほかの人たちにキリストを伝えようっていう意欲だって湧いて来ないわよ。
あ、なんか、すごくえらそうなこと言っちゃったかしら。もうやめとこっと。とにかくあの人、今夜は暖かくして早く寝ないとどうしようもないわよ。そんなわけで今日はこれでおしまい。 ほんじゃまたね。