ラブリーボーンふたたび

2016-07-08 18:37:20 | Weblog
確か、これを映画館で見たときは連日早朝のパートの仕事に潜り込んでいたころで、くたびれ果てていたころだった。それで映画館に入ると半分くらい見たころに眠ってしまい、終わりごろに目を覚まして最後だけ見たのだった。だからずっと、あの映画もう一度最初から最後までちゃんと見たい。なんかとてもいい映画だったのだけは覚えているという状態で今日まで来て、ようやく全体を見ることができたわけだ。

全然覚えていなかったのだが、この映画、改めてちゃんと見て驚いたのは映像の美しさだ。父親が将来はスージーに全部譲るつもりでコツコツと作り上げてきた何本もの瓶に入った船の模型を叩き壊す場面の美しさ、壊れたのは父親の心だったのだ。

恐ろしい連続殺人鬼の犯人がスージーを殺した後、汚れと疲れを釣るために湯船につかっている場面の恐さ、亡霊になってそれを眺めなおしているスージー、どの場面も美しくてかつ恐ろしい。娘の死で夫と妻の間にできた亀裂、それでも父も妹も必死に真相を求めてあきらめずに行動し、その心が死者の世界と生者の世界の境を越えて伝わったということなのだろうか。ここは風変わりな祖母の存在が全体を湿っぽくならないように救っている。最後は母も家に戻り、一家はふたたび要を取り戻したようだ。弟の気配は希薄だが、男の子はそんなものだろう。少女スージーの生前叶えられなかった夢も形を変えて叶い、死者はもはやこの世に戻りはしないけれどかかわった人々の心に様々な思いをもたらして消えていく。

そう、この映画、この世だけで終わりではないということを言っているのだ。もう一つの映画「天国は本当にある」のほうと違って、さほどやたらキリスト教臭くないけれど、言っていることはこの世がすべてではないということだ。

信者でない方々には理解しにくいことかもしれないけれど、たぶん、ISのテロで殺された方々も、自爆したり警察や軍隊の手で殺されたISのメンバーたちも実はおそらく今同じところにいるのかもしれません。神様のお考え、神様の見る目は人間の考えや思いとはまるで違うのですから。