確か記憶によると永さんの父上とご兄弟はお寺さん(僧侶)だった。自分の経験で判断するのもなんだが、うちの父のことを思い出すと、父が生まれたのは鎌倉時代からの古寺の門前町で、父の実の父という人が実はお寺さん(僧侶)だった。絶対それは父の人格形成に影響していたはずで、さもなければ、まだ小さい子供のころから、父が娘に「闇の世に鳴かぬカラスの声聞けば生まれぬさきの父母ぞ恋しき」だとか、「三界の狂人は狂せるを知らず、いいか、これがわかるか?」と何ども何度も言い聞かせ、覚えこませた意味が分からない。
永さんだっておそらく、日常的にお寺さんの雰囲気の中にいて、何かを受け取ってこなかったはずはないので、永さんの作ったたくさんの歌詞の底流にあるものはそこからきていたのではないだろうか。だから普通の歌でも言葉をよく読むと何とも言えない深みが感じられるのだ。
すでにみんな故人におなりだが、六・八・九トリオと言われた、永六輔さん、中村八大さん、坂本九さんで作り上げられたいくつもの歌が、どれも人の心の深みにまで響くのはやはりそれを考えないと分からない気がする。この世の表面的なことのものを考えさせてくれるのだ。
83歳、年齢的に言えばそれほど不足はないけれど、それでもまだもうちょっと時々はお顔を見たり声を聴きたかったと思う。今はもう、ご冥福をお祈りするばかりだ。
永さんだっておそらく、日常的にお寺さんの雰囲気の中にいて、何かを受け取ってこなかったはずはないので、永さんの作ったたくさんの歌詞の底流にあるものはそこからきていたのではないだろうか。だから普通の歌でも言葉をよく読むと何とも言えない深みが感じられるのだ。
すでにみんな故人におなりだが、六・八・九トリオと言われた、永六輔さん、中村八大さん、坂本九さんで作り上げられたいくつもの歌が、どれも人の心の深みにまで響くのはやはりそれを考えないと分からない気がする。この世の表面的なことのものを考えさせてくれるのだ。
83歳、年齢的に言えばそれほど不足はないけれど、それでもまだもうちょっと時々はお顔を見たり声を聴きたかったと思う。今はもう、ご冥福をお祈りするばかりだ。