☆ 今 日 の 幸 せ ☆

♪~生きていることに感謝、あなたに出会えたことに感謝、そして・・・明日が見えないことに感謝~♪

存在

2004-06-29 | 記憶に残したい言葉
なぜなのか

わからない

でも

わたしは

ここに

いる


こんな不思議な感覚を最初に覚えたのが小学校の4年生

道徳という授業があって、その中で
「わたしから、わたしへ」というような題で、
作文を書いた事がある。

担任の先生がとても気にいってくれて、
みんなの前でよんでくれたのを思いだした。

そういえば、小学生から中学生にかけて、「わたしという存在」が非常に気になっていたのを思いだした。

なぜ久しくこんな感覚を忘れていたのだろう。

関わらなくてはならない対象が常に身のまわりにまとわりついていて、そんなシュールレアリスティックなことは、最近は 存外であった。

考えても考えてもわからないことを一所懸命考えていた時代。
図書館にいりびたっていたワタシは、理解できようができまいが、かたっぱしから本を借りてきてはよみふけっていた。

現在は、わからないことは、考えないことに決めている。

今日、A boy I once knew = 僕はここに いる。
を読み終わったあと、突然、そんな記憶が戻ってきた。

思いだすことと、発見することとは、メビウスの輪のように繋がってる。(ユードラ.ウェルティ)

嬉しいことか、寂しいことか、こんな言葉が理解できるようになった。

raison d'etre = 存在理由

そんなことを考えるのをいつか辞める日がくるのを、知っていたわけではないが、いつのまにか、辞めてしまっていた。
そのために、存在しつづけていたのかもしれない、「今日の幸せ」

日記を読んで !

2004-06-29 | 記憶に残したい言葉
2日前から読み始めた、「僕はここにいる」から

あの世の世界は、今の所信じてないpersempreだが、生きている間は心安らかに過ごしたい。 そのために亡くなった人達を折りに触れて思いだすのだろう。

自分が亡くなった後、だれかが思い出してくれるかどうか、確信はもてないけど、少なくとも、家族はいくらか思いだしてくれるだろう。

じゃ、どんな風に思いだしてほしいか。

本の中から、記憶に残したい箇所をちょっと編集して文章にしてみる。


同情や憐れみを受けるだけの立場なら、甘ったるいハート型の写真に閉じ込められてしまう。

元気な時の姿を活き活きと思いだしてもらうためには、誰かに心をさらして、本当の自分を受け入れて貰うしかない。その人と心の交流を通して、真の友情を育む事ができたら、きっと死んだあとも、心に残してもらえる。


その誰かをどう選択するか。もしかしたら、選択ミスをするかもしれない。 大人は、本心を隠すのがうまいから。 でも事実と真実は違ったにしても、死ぬまで積み重ねた事実が真実だ。と決める事は可能。

それが、生きているものへの、オマージュ

日記を残す行為は、その一助になるのかも。

事実/真実

ここに、素敵なコメント頂いてます。