☆ 今 日 の 幸 せ ☆

♪~生きていることに感謝、あなたに出会えたことに感謝、そして・・・明日が見えないことに感謝~♪

抽象的な思考は、結論がでない。

2004-12-17 | ・・・シリーズ、
人類学シリーズの最後です。

神は人を造ったが 人は都市を造った。
(西洋の諺)

本日の天声人語に「圧縮陳列状態」という言葉が載っていた。

イギリスのNational trust 運動をご存じの方も大勢いるでしょうが、その中の記事で、以前読んだ話し。 羊にしても、その他の野性動物にしても、一定スペースのなかに、各、個体が、自然の状態で生存できる数というのはきまっているらしい。牧草の自然な生育のサイクルにあわせて、何もしないでも、羊が健康に生きていける個体数をNational trustでは、目指しているとか。 何年も前に読んだ記事なので、今のイギリスの状態がどうなってるかわかりませんが・・・

このことを人間に適用すると、人口密度は、どの程度が自然に生きられる限度なのかしら?

とにかく、オーバーしてることは間違いない。 かくて、容量オーバーになったところを縦に積み上げて圧縮して生活してるのが、都市の状況。


さらに、いかにエネルギーを使わないで、便利に生活するかを目指し、日夜、「一部の人間」が骨身を削ってる。

Asimoくんは、走れるようになったそうですね。 時速3KMにしても、走る(一瞬、両足を空中に浮かせる)動作を、ロボットにさせられるようになった。 物体認識も、握手もできるそうである。 動きは連続して滑らかにできる。 

江戸時代には、よくぞ歯車でここまでと思われるような「からくり人形」が、すでにあった。両国の東京江戸博物館で、見たことがあります。日本人は、昔からロボットに関心があったのかしら?

それはともかく、「老人Z」のような、介護ロボットはすぐそこにやってきている。ゼロとイチの世界。 そんな世界で、人間であることとは、何なんでしょうね。

夢を見ること、幻想と空想の世界に遊ぶこと、そして、抽象的ないくら考えても結論のでないことを、時間をかけて考える楽しみを失わないこと。

などと、書いておきます。

それらの活動を担う、重い脳を支える身体は、家電製品や機械のおかげで楽になってきたので、今度は、意識して運動しないと、支えられなくなる。→ 過度の栄養摂取で、故障する。→病院にいって、薬をもらい、治療を受ける。

食べながら、運動しないで、やせるサプリメントのようなものはないと、先日発表がありましたよね。

シリーズ終了

仏教シリーズ、スペシャル「差別」

2004-12-17 | ・・・シリーズ、
女の子は、気楽でいいよね。

↑この記事に、ウタマロさんからコメントいただいたのですが、その中に、「差別」は仏教用語ではないかとの発言がありました。
・・・
辞書的意味

差別:
価値判断や先入観、または偏見によって、違う扱いをすること。

区別:
2つ、またはそれ以上のものを、特徴によってわけるもの。
・・・
現在、一般に使われてる「差別」という言葉には、否定的なニュアンスがありますよね。

差別しないで!
という言葉を人が発する時、それは、私を他の人と較べて、「不当に不利な、または、不当に低い評価をしないでほしい。」という意識がはいっているような気がするのですが、どうでしょう?

それは、差別だ!という言い回しも、半ば冗談のように使いますが、本来、これは、確かに仏教用語のようです。

仏教シリーズの記事をつくるのにあたり、数冊の本を参考にして、私なりの考えをプラスしたわけですが、特に、経典を読みといたわけでもないし、「禅の公案」のような理屈をもってこられると、なんとも答えようがありません。 それに、ワタシが主に、印象深く思ったのは、「原始仏教」の考え方です。 それでも、ワタシなりに、仏教における「差別」ということについて、ちょっと考えてみたいとおもいます。

原始仏教においては差別と言う考えはなかったのではないでしょうか? それが、ウパニシャド哲学の流れを汲むヒンドゥー教では、輪廻を考える。 輪廻は、「前世の行いによって、次ぎの世代に、どういう形で、産まれるかが決まるので、あなたが、今の状況なのは、前世の因縁だから、甘んじて受け入れて、次ぎの世代に、すこしでも、いい状態になって産まれるよう、努力しなさい」ということですよね。

障害のある同居人がいると、「これは先祖の祟りだから、先祖を供養しなさい。」 「この宗教で、心が救われるから、是非話しを聞きにきなさい。」「あんたはよく、宗教を信じないで、平気で生きていられるわね」などと、心優しき人々からお誘いを受ける機会が、標準より多いのではという印象を持つのです。 その度に、「人の大変な状況をそんなことに利用しないで!、別にそれで救われているのなら、ワタシがどうこういうことないけど、こちらは、こちらの哲学でいきてるんだから」とこれに近いことを思いながらも、そうですか、と聞き流すことにしてます。

仏教における「差別」は輪廻という考え方からきてるのではないかしら? そこには、現代の意味で使う「差別」という言葉とは、ニュアンスの違うものを感じます。

男女においての、区別はある。けれども差別はよくない。 でも厳密に、なにが差別で、なにが区別か突き詰めるとわからなくなりそうな気もします。 
個々の特徴を分析して、データを入れて、動かすのは、Asimoくん(ロボット)の世界。
それだけで、生きていけないのが人間社会であり、人間の特徴は、抽象的思考をすることにあるとすれば、抽象的思考は、主観的であり、価値判断は主観により違う。

次ぎの記事で、人類学シリーズ終了予定。

今朝はかなり寒いです。 曇ってます。そろそろ雪かな・・・