映画食い倒れ。

~映画は人生のデザートです~

個人的覚え書きのため、たまにネタばれありです。

「ブラス!~ Brassed Off ~」

2008年09月24日 | 映画~は~
1996年 イギリス映画


この映画、本当に好きで何度も何度も観てます。好きすぎて、感想を書くのが本当に難しい。

1992年。舞台はイングランド北部のヨークシャー州リムリー。100年の歴史を誇る炭鉱夫たちの名門ブラスバンド「グリムリー・コリアリー・バンド」も、炭鉱閉鎖の問題に頭を抱えていた。炭鉱閉鎖、生活苦、失業。全英選手権出場権を手に入れたが、出場するための資金が無い。さらに炭鉱閉鎖が決定される。そこでメンバーは解散を決意するが・・・。


90年代のイギリスの不況、特に炭鉱閉鎖によるあおりを受けた市民生活をテーマにした映画、何本かありますよね。『フルモンティー』や『リトル・ダンサー』(どちらも大好きな映画です)もそう。この『ブラス!』はその中でも、炭鉱閉鎖によって苦境に立たされた人々を真正面から捉えています。観ていて胸が苦しくなるほど。私の父は九州出身で、炭鉱の閉鎖を実際に見ているだけだけに、この映画は見ていて辛くなる、と言います。

とにかく俳優たちの演技がすばらしいんです。それぞれの登場人物たちの状況がきちんと丁寧に描かれていて、すぐに引き込まれます。

特に印象に残っているのが、バンドの指揮者であるダニーを演じたピート・ポスルスウェイト。ピート・ポスルスウェイトは、さすがアカデミー賞ノミネート経験者。数々のヒット作に出ている俳優ですが、この作品の演技も圧巻です。本当に引き込まれてしまうんです。彼が演じるダニーという人物が本当に魅力的で、ブラスバンドを心から愛し、彼の中にある情熱や怒り、悲しみが見事なまでに表現されています。彼のスピーチ、最高です。実話を基にした映画ですが、このスピーチは実際のものなのかしら。もしそうだとしたら、鳥肌ものです。映画のための台詞だったとしたら、良くぞこんな名台詞と生み出した!と脚本家に拍手を送りたいくらい。

そしてもう一人。ダニーの息子のフィルを演じたスティーヴン・トンプキンソン。この人、私はこの映画以外では見たことありませんが、この映画の中の彼はもう圧倒的です。演技だともちろんわかっていますが、これほどまでに本物の、もしかしたら本物以上の「涙」を流す俳優を見たことがありません。たくさんの複雑な感情が一気に押し寄せてきた涙を、見事に表現しています。映画にはたくさんの感動的な場面がありますが、この映画の中で一番印象に残ったシーンは?、と言われたら、私は迷わず「フィルの流した涙」と答えることができるくらい。

フィルの奥さんが買い物でお金が足りなかった時に、「がんばって」と握手を差し出したレジ係の手には彼女に渡すための紙幣が。誰もが苦しんでいる時代。それを象徴したワンシーンだと思います。

ダニーの入院先の病院の庭で、「ダニーボーイ」(選曲もニクイ!)を演奏するブラスバンドの姿。

少しでも小銭を稼ごうと、ピエロになって誕生会に呼ばれたフィルが人生の屈辱を子供相手に罵るシーン。

本当に観ているのが辛くなる。目を逸らしたくなるのではなく、胸に迫ってくる。だからといって「泣かせよう」としていないのがいい。「ここで泣いてね」という感動ポイントを作りこまないところが、私はイギリス映画のいいところだと思います。さらに、細かいことろにちょっと笑いを入れてあるところ。このさじ加減が最高。ロイヤル・アルバート・ホールで、ほかの出演者たちの演奏中は全く聴く耳持たず、編み物を始める主婦たち。夫たちの晴れ舞台を観にロンドンまで来たはいいけど、別に音楽やブラスバンドに興味があるわけではない、というこの姿勢!編み物持参って、始めから編む気満々だし。別にこういうシーンが無くても映画は成立するのだけど、あえてこういう部分を入れてくるイギリス映画の「遊び」部分が、私は好きでたまりません。

演技者が物語りの中に漂う悲壮感を、映画全体としてだけではなく、一人ひとりがかもし出し表現しているその演技力の高さ。ため息が出ます。楽しめる娯楽として映画を見たい人には向かないと思いますが、私の中では「必見」といえる一本です。



おすすめ度:☆☆☆☆☆+α

『プリティー・ウーマン ~Pretty Woman~』

2008年09月04日 | 映画~は~
1990年 アメリカ映画

そうか、1990年かぁ。もう18年も前なの、この映画!?まさにジュリア・ロバーツを頂点に押し上げた作品よね。先日テレビで放送していたので、なんとなく見てみました。

これを最初に見たのは中3か高校1年のときで、ビデオを借りてきたような気がする。この作品、日本でも大ヒットで、テレビCMもすごかった。観客の男性が「最高のラブストーリーですっ!」ってなんかやけに興奮して話してたCMの映像が今だに鮮明に思い出せるもの。あれが本当に観客だったのか仕込だったかは知らないけど。

さて、感想。映画としては、まぁ面白い。でも入り込めない。・・・これは最初に見たときも、今回見直したときも同じ。とても映画らしい映画なんだけど、なんだか腑に落ちない。このモヤモヤは何なのかしら。

そこでね、このモヤモヤの原因を自分なりに探ってみたのよ。誰にも頼まれちゃいないけど、探ってみたわけ。そしたら、いくつか原因らしきものが見つかったの。


日本の映画サイト(Yahoo!映画とかgoo映画とか)でこの映画を調べてみると、ジュリア・ロバーツ演じるヴィヴィアンを「コールガール」と紹介してるの。決して「売春婦」とは書いていないのね。でも日本で「コールガール」っていう言葉ってあまり使わないじゃない?いや、使うんだけどどちらかというと「売春婦」のほうが一般的なわけで、「コールガール」と「売春婦」いう言葉からイメージされるものってなんか違わない?「コールガール」ってなんかものすごく西洋な香りで、やや高級っぽくて「売春」よりもきれいな感じしない?なんか言葉のマジックっていうの?そこでさ、ウィキペディアで「コールガール」を調べてみたの(2008年9月3日付)。するとね、『電話等の手段で呼び出しや交渉を行い、売春に応ずる者』と書いてあるわけ。結局は売春なのよ。でもさ、『プリティー・ウーマン』のヴィヴィアンって、電話でエドワード(リチャード・ギア)と交渉を行ってであったわけではないよね?あの人、立ちんぼしてたわよね?コールガールじゃないじゃん!!!

それから、エドワードはなんでヴィヴィアンを買い、さらにはパートナーにしたのか?ホテルのペントハウスに住むビジネスマン・エドワード。ヴィヴィアンをホテルにつれて帰ればホテルの従業員はみなその事実を知るわけだし、いくら上客のエドワードだからといってヘソ出しボディコンで一目で売春婦とわかるヴィヴィアンとホテルを歩き回ってたら、ホテル的にも迷惑だし。あ、そこは何?エドワードとホテル側の信頼関係が成り立っているから・・・という風に理解すればいいのかしら?そうね、きっとそうなのね。そういうことにしておくわ。


ヴィヴィアンはエドワードに見初められ、ものの1週間で素敵なレディーに変身するのだけど、もうさ、服を着せれば何でもにあっちゃうわけよ。シンプルな白いシャツを着ただけでも、てヴィヴィアンは着こなしちゃうわけ。襟とか小粋に立たせたりなんかしちゃって。初めてこの映画を見たとき、確かに中学生だったし良くわかっていなかったというのはあると思うけど、「え?この人なんでこんなに棚ボタ式に成功していくの?あれ、もしかして売春婦ではなかったりするわけ?」と混乱するくらい、なんか描き方が美しすぎるのよ。そもそも、ヴィヴィアンが「売春婦」という設定である必要があったのかどうかさえ疑問です。


そして最大の謎が(まだあるわよ)、エドワードのビジネスパートナーのジェイソン(フィリップ・スタッキー)に売春婦呼ばわりされてせまられた時のヴィヴィアンの「あなた、なんて失礼なことをっ!」みたいな態度。エドワードのパートナーは性格悪そうだし、過去をちらつかせて弱点を責めるのは汚い。でも、短期間できれいさっぱりそういう過去を取っ払いきって、まったくなかったことにして、それが映画上での「正義」になっていることにもちょっともやもや。その後、同級生に久々に会って、「あなただって変われるわ!」とものすごく上から目線でアドバイスをくれてやるヴィヴィアン、根性座ってる。


でもさ、ここまで貶しておいていまさらだけど、やっぱりヴィヴィアンが変身していく姿を見るのは心躍るものがあるのよね。ロデオドライブに買い物に行って、試着の嵐。ポーズとったり踊っちゃったりなんかするヴィヴィアンは、只者じゃないオーラが出ていて、「磨けば光る」何かを持っているというのを、ジュリア・ロバーツは見事に演じきっていて、あの役を別の女優がやっていたらここまでこの映画は評価されなかっただろうし。


今回映画を見てて、ふと思ったこと。この映画の中でヴィヴィアンはへそ出しボディコンでロデオドライブの高級ブティック(グッチだっけ?)に行って冷たくあしらわれるのだけど、今もそうなの?LAにもロデオドライブにも行ったことが無いからわからないのだけど、今のLAの女性のファッションってものすごく露出じゃない?こういう高級店に行くときはそれなりの格好をしていくものなのか、それとも時代の違いで現在は大丈夫とか?


『マイ・フェア・レディー』(未見)の現代版…というふれこみだったらしいけど、設定的に『マイ…』と比べる(あるいは肩を並べる)というのは失礼なんじゃないか、と思ってしまいます。だって『マイ…』は花売りの女性なんだもの。体は売っていないもの。

そうそうリチャード・ギアのこと、一言も書いてないわね。ま、いっか。



おすすめ度:☆☆☆★ ・・・けなした割には高評価。見たことが無い人は見ておいて損はないかも。

「バブルへGO!!タイムマシンはドラム式」

2008年08月02日 | 映画~は~
2006年 日本映画

広末涼子、阿部寛主演のコメディーです。バブル崩壊を阻止するために、崩壊前夜のバブル絶頂期の1990年にタイムスリップ。2006年の「現代」と1990年の「バブル期」の対比が映画のキーです。

まぁ、内容はおいておいて、飽きずに最後まで見れます。ただ、もっと90年代初頭の色を出してほしかったなぁと思います。ディスコで遊びほうけているラモス・ルイやお立ち台で踊っている飯島愛、ブレーク前の飯島直子、フジテレビアナウンサーだった八木亜希子。本人役で登場しています。こういう登場人物がもっとほしかったなぁ、と。『嫌われ松子の一生』のように、まったく台詞のないカメオ出演者が大勢いたように、当時の風俗(えろな意味ではなくてね)を視覚的に表現するためにも、六本木で遊び歩いていた芸能人たちやスポーツ選手たちをもっと無駄に多く使ってほしかったです。もう、画面に映っているだけで笑えるくらい。

それにしてもさ、今それを見ると本当におかしな時代だったんだな…と奇妙な感覚に陥ります。お札を振りかざしてタクシーをとめたり、やたらデザインされすぎた生活観のないトレンディードラマな部屋だったり。アッシー君、メッシー君ってこのころよね。劇団ひとりが映画の中で「贅沢することの何がいけないの?」という台詞があるのだけど、あの映像を見てると本当にそんな気分になってきたり。

日本人の顔って、以前に比べて大人の顔として作りが「しっかり」してきたように思っていたのだけど、これはメイクやファッションによるものだったのだと痛感しましたよ。大蔵省の秘書役の伊藤裕子。ものすごくいまどきの顔だと思うし、落ち着いた印象の顔をしていると思っていたのだけど、バブルファッション、髪型、メイクを施すだけで、当時の「顔」になってました。ケバくて、ものすごくお金はかけてるけど、大人になりきれない子供の顔で。「いまどきの顔」って必ずしも顔の作りではなかったんだ…知らなかったなぁ。吹石一恵のアナウンサー役もよかった。パンプスにキュロット、肩にサマーセーター。私たちがいまだに思い浮かべる業界人(芸能方面)ってこんな感じよね。

細かいところもしっかりバブル色で、当時の光景が少しでも記憶に残っている人にはファッションや映像としては面白いんじゃないかと思います。中身はないけどね。

広末涼子がバブル時代の大学生のパーティーで踊るシーンがあるのだけど(写真参照)、このダンスがさぁ…一応ベースがレゲエダンスなんだけど、うーーーん。確かに今、こういうダンスも流行っているだろうけど、ジュリアナの扇子振って踊っているような、誰もが知っているダンスではないし、どちらかというと一部の音楽ファンのみのダンスだし。それに広末さんがこれを踊っているというのがなんとも違和感で。ちょっと見てて目をそらしたくなりました。



おすすめ度:☆☆   悪くはないけど特別面白くもない。暇つぶしに。

「ハプニング ~ The Happening~」

2008年06月23日 | 映画~は~
2008年 アメリカ映画

「シックスセンス」「サイン」「ヴィレッジ」とちょっと独特のセンスの作品を作る、Mナイト・シャマラン監督の最新作です。今回の「ハプニング」はどんな不思議映画なのでしょう?

舞台はアメリカ・フィラデルフィア。ミツバチが突然姿を消し、いったい何が起こったんだろうね…と思っていた矢先、突然人々が次々死んでいきます!しかも何か病魔に冒されて、ではなく「自殺」していくのです。でも何が原因なのかわからない。とにかく人々は、その謎から逃げようとフィラデルフィアを出ますが、その手は田舎町にも伸びてきて人々を「自殺」に追い込んでいきます。


ね?何がなんだかさっぱりわからないでしょ?
でもね、これ結構面白かったです。「原因不明の何か」によって「次々に人が死んで」いって、「生き残った人たちは逃げ惑う」というのは、映画の鉄則。今年だけでももう何本も同じ鉄則を使用してます。その原因は「吸血鬼」だったり「新種のウィルス」だったり。そしてそういうのに感染した人は、今度は生き残っている人間を襲い始める・・・というのがお約束なのだけど、ここがシャマラン先生です。「自殺」するんです。その方法とか光景とか、なんだか今までに感じたことの無いような胸のざわつきを覚えます。ありふれた映画の鉄則なのだけど、細かいディテールが独特のシャマラン風味で、ほかの作品とは一線を画しています。

では俳優陣を見ていきましょうか。主演はマーキー・マーク…改め、マーク・ウォールバーグ。彼が学校の生物の先生役、というのがすでに無理のある設定で面白いです。実際、彼が登場したシーン、声出して笑っちゃいましたもの。見事な「出オチ」です。これ、なかなか出来ることじゃありません。どんなに理屈を並べても、学校の先生には見えないの。だってマーキー・マークだから。「これは無理があるわぁ。先が思いやられるわね」と心配したのですが、とにかく映画の内容と映像が独特だから、そちらに引き込まれてしまってマークが先生だろうがなんだろうが気にならなくなります。まぁ、確かに生命力は強そうよね、マーク。

そしてほかの俳優たちの「華のなさ」がこの映画ではいい方向に作用しています。「華がない」=「普通」→リアルな一般人 なの。この理屈、かなり無理やりですけど、映画を観ればわかっていただけると思います。「ああ、なんかこういう雰囲気の人っているよなぁ、たまに」って思う感じ。マークの奥さん(ゾーイ・デシャネル…でいいのかしら?的確に読めません)とか、同僚のめがねの先生とか。逃げた先で出会う夫婦とか。マークの奥さん、アメリカ人なんだけどなんだかイザベル・アジャーニを思い起こさせました。この方、『エルフ』に出ているらしい。ウィル・フェレルのクリスマス映画なんだけど、ああ、歌ってた人かなぁ。歌手でもあるみたいだし。

この映画を見る前に私が一番心配していたのは、「Mナイト・シャマランが出演しているのでは?」ということ。Mナイト・シャマランはこの映画の監督です。でもね、最近のこの方の映画では、なんと「自分が出演」しちゃうと言うことが多々ありましてね。特に前作の『レディー・イン・ザ・ウォーター』では重要な役どころとしてガッツリ出演。主役であるはずのポール・ジアマッティよりも、彼の印象の方が強く残るほど。でもね、彼が出演しなくてはならない理由なんて、私には探し出せないんです。きっと「だって、出たかったんだもん」ということなのでしょうけど。また、このお方インド系アメリカ人で、目鼻立ちくっきり。インド系なんだけど、整形前のマイケル・ジャクソン(BADとかBeat ITでブイブイ言わせてた絶頂期のころ)に似てるんです。あ、あくまで私にとってはですけど。そう、印象が強いの。強すぎるの。だから彼が映画に出演しちゃうと、彼の存在感が強すぎてバランスが崩れるのね。もう、これが心配で心配で。

でも皆さん、いいお知らせです。彼、ナイト・シャマランさん。今回は映画に登場していません!!!今回は監督のお仕事に集中されたご様子。映画も作品としてうまくおさまっています。


ところで、舞台はフィラデルフィアと書きましたが、実はわたくし、今作品の詳細をネットで調べるまで舞台はニューヨークだと思い込んでいました。だって、冒頭がセントラルパークなんだもん。だからニューヨークの学校勤務かと思ってたんだもん。でもウィキペディア曰く、「フィラデルフィア」が正解のようです。

日本では7月26日から公開。



おすすめ度: ☆☆☆☆

「Black Sheep(原題)」

2008年06月08日 | 映画~は~
2007年 ニュージーランド映画

ご無沙汰しております、皆様。久々の更新です。今回ご紹介するのは、ニュージーランドの映画、『ブラックシープ』です。もう、なんていうんでしょう。ここまでグダグダな映画、久しぶりです。じゃあ前にみたグダグダ映画は?ときかれても・・・あ、『カジノ』かしら。まそれはまた別の機会に感想を書くとして。とにかくなんだかものすごかったです。途中、「ハァ・・・」とため息が漏れるほどのグダグダさ。

ブラックシープ=黒い羊、ですが、別に黒い羊が主人公ではありません。羊が吸血鬼化するブラック・コメディー・ホラーとでも言えばいいのでしょうか。正直「コメディー」とも「ホラー」とも言いたくないんですけど、この映画に関して。でもカテゴリー的にはコメディーでホラーだと思います。

なんかね、いろいろとわけがわからないんです。背景の説明まったくなしで突然物語が始まるの。それでうまいことスピードに乗って、話を進めてくれればそれでもいいんだけどさ、さっきも言ったようにグダグダ。もう、グダッグダなの。

ニュージーランドの牧場で育った兄弟2人。弟はよくお手伝いをするいい子だったのだけど、兄のアンガスがなんかおかしな野郎で、弟のかわいがっていた子羊を惨殺。それがトラウマとなって弟は羊恐怖症に。15年後、弟は牧場を離れ街に暮らしていた弟は、ある日牧場へ帰郷(何でかは覚えてません)。兄は牧場を受け継ぎ、ビジネス拡大のために羊を改良するための研究所も建設。しかしその研究所には動物虐待の容疑があり、ヴェジタリアンの動物愛護員?活動員?らが施設に潜入しあるものを入手。逃走時にそれを落として割ってしまい、出てきたのは羊の吸血鬼・・・。

この説明でグダグダ加減が少し伝わったでしょうか。何で兄は弟の子羊を殺したのかの謎だし、なんで羊の吸血鬼が誕生したのかも謎。そして「一応」コメディーと歌っているからには、それなりのギャグとか笑える部分をはさんでくるんだけど、何ていうの?・・・ニュージーランド的笑いのセンス?これが、クスリとも笑えない。そらこういうのが好きな人もいるだろうし、ニュージーランドの笑いを理解できる人もいるかもしれないけどさ。でも私にはもうテンで駄目。笑わそうとしているのもわかるんだけど、これがさっぱりよ。コメディーなのに面白くない。それってコメディーじゃないじゃん。

一緒に観てたイギリス人たちが「イギリスとニュージーランドの笑いのセンスがこうも違うだなんて…」とある種ショックを受けてたくらい、酷かった。日本人でこれを笑える人、ほとんどいないんじゃないか、と。ホラーとあるけど、無駄にグロさを出した表現も、映画の質が質だけに痛々しいのよ。

DVDのジャケットには、「『ショーン・オブ・ザ・デッド(Shawn of the Dead)』が好きな人にはたまらない面白さ!!!」って書いてあるんだけど、ふざけんなっ!!!と言いたい。だって、『ショーン・オブ・ザ・デッド』は傑作なのよ!マスターピースなのよ!!!この映画、気に入っているからこそいまだに感想をかけないでいるんだけどね。それをこんな映画が肩を並べようだなんて。比較するのが失礼だわ、ほんとに。

最初から最後まで、どうしようもなさ満載。グダグダ祭り。完全におすすめしません。


おすすめ度: 見るな!

「Bug(原題)」

2008年04月19日 | 映画~は~
2006年 アメリカ映画

なんだかものすごい映画を見てしまいました。これはちょっと、この感情をうまく説明できないくらい。

『エクソシスト』の監督ウィリアム・フリードキンの作品で、DVDのパッケージには「最近の20年間で最高傑作 Byシカゴ・トリビューン」って書いてあるけど、・・・これが感性の違いというやつでしょうか。アシュレイ・ジャッド、マイケル・シャノン、ハリー・コニックJr主演のホラー(?)です。では話の内容説明にうつりましょうかね。

モーテルを棲家とするアグネス(アシュレイ)は、毎晩元旦那のゴス(ハリー)からの無言電話に悩まされている。ある日、レズビアンバーでバーテンとして働くアグネスに、友達(彼女?)のRCがある男性ピーター・エヴァンス(マイケル)を紹介する。アシュレイの部屋に戻り、RCはピーターを置いて外出。そんな時ゴスがやってきて、彼女を殴りつけ金を取って帰っていく。それを助けたピーターとアグネスとの間に奇妙な愛情が生まれ一緒に生活をはじめる。真夜中にピーターは虫に噛まれたといい、電気をつけ虫を探し始めるが、アグネスには虫の姿が見えない。それでも常に虫の存在を恐れるピーターとの生活を続けるアグネスも次第に強迫観念に駆られていく。

説明してしまえばたいしたことないのですが、見ている側にとっては結構ややこしい話でした。これにピーターやアグネスの持つ過去やトラウマも絡んできて、ますます強迫観念は強くなる一方。


ホラーとは書いたものの、実はホラーかどうかもよくわかりません。虫を排除するために、なんだか80年代のテレビ番組の宇宙コントみたいな空間で(わかりませんよね、こんな説明じゃ。壁も床もすべてをアルミホイルで覆った感じです)、二人が生活していたりするんですが、この二人の生活が突飛過ぎて「何してるの?」とものすごく客観的で冷静に見てしまう。これがもし、実話をベースにしたものだったら、「ああ、こんな風に狂っていってしまったのか」と納得もできるのだけど、もちろん実話でもなんでもなくて「何でこの話を作った?いやなぜ映画化した??」と監督に小一時間話を聞いてみたいです。そしてシカゴ・トリビューン紙の評価。まぁ、その記事を書いた人個人の評価ですから当てにはならないんですけど…。アシュレイ・ジャッドの演技はものすごく迫真に迫るもので、これがなかったら最後まで見れなかったと思います。この映画撮ってる最中、「あたし、何してるんだろ」とか思わなかったのかな?>アシュレイ・ジャッド  というか、よく最後まで観たなぁ・・・とそんな自分を褒めてあげたい。

いや、本当にわからなかったの、内容が。上に内容を説明してはいるけど、ウィキペディア見ながら要訳したもん、実は。わからないから後味が悪いわけでもなんでもない。何も感想が残らない。「何だったの?」という疑問だけ。

マイケル・シャノンの不気味な、そしてちょっと世間ずれした不思議な雰囲気はうまく出ていたと思う。この人、『8マイル』で、エミネムのお母さん(キム・ベイシンガー)の彼氏役だった人らしいわ。いろんな映画出てるみたい。ふーーーん、知らなかったわぁ。

板尾創路…じゃなくて(もういい?)、ハリー・コニックJrは、『P.S.I LOVE YOU』の時よりも板尾度は低めですが、それでもやっぱり似ていると思います。むしろ彼の顔から板尾の声ではなく、ちょっと高めの声が出てくるのが不思議なくらい。

日本ではもちろんですが(!)劇場公開は今のところ予定はなさそうです。仮に公開されたとしても、行かないほうが…。DVD発売も怪しいくらいではないかと思います。


おすすめ度:・・・  無星。

「パンズ・ラビリンス~Laberinto del Fauno(Pan's Labyrinth)~」

2008年04月16日 | 映画~は~
2006年 メキシコ=スペイン=アメリカ映画

おとぎ話です。「おとぎ話」というと、子供だましで面白くない…と印象を持つかも知れませんが、そんなスケールではありません。もう圧倒的です、この映画。

1944年。内戦終結後のスペイン。戦争で父を亡くしたオフェリアと母は、再婚相手であるヴィダル大尉と暮らすべく森の中の駐屯地へ。ヴィダル大尉は独裁を振るう冷酷な男。気に入らないものは次々と殺していく。父親の死、妊娠中の母。自分を疎ましく思う義父。駐屯地での生活。オフェリアにとっては耐えられない現実。そんな彼女の前にある日妖精が現れ、オフェリアは魔法の王国の王女で、王は彼女の帰還を待っていると知らされる。自分が王女であると証明するには3つの試練をクリアしなければならない。オフェリアは現実世界の苦しみから逃れ生き延びるためにも、その試練に立ち向かうことにした。

この映画ものすごいのです。「素晴らしい」と言う言葉では陳腐に聞こえるかもしれませんが、ほかに言葉が見つからない。グロテスクでおどろおどろしくて、残忍で、それでいて美しい。

おとぎ話って、お姫様が出てきてきれいなドレスを着て幸せに暮らす…ような、ものすごく幸せに満ち溢れたディズニーチックなイメージをしませんか?私たちが通常子供のときに聞かされるおとぎ話って、良いとこ取りですよね。でも、子供ながらになんとなく納得いかなかったり、理不尽に思ったり、残酷に感じたりすることってありませんでしたか?白雪姫だって、美しさゆえに毒を盛られて殺されそうになるし、シンデレラだって、かぼちゃの馬車やガラスの靴の魔法は12時に解けてしまう。日本のおとぎ話だってそう。かぐや姫は育ててくれた両親を残して月に帰らなくてはならない。子供のころから私の中でおとぎ話って、幸せに溢れたものではなくて、どうも気持ち悪さが胸に残るものでした。何か重大な秘密を隠されているような。

この映画では、おとぎ話に隠された残忍性、救いようのない不幸、そしていつものメルヘンもすべて包み隠さず表現されています。幼いころには教えてもらえなかった、おとぎ話の本当の姿が、抜群の映像とともに押し寄せてきます。そくぞここまで表現してくれた!と。

スペインの映画というと、『オールアバウトマイマザー』や『トークトゥーハー』くらいしか見たことがないのですが、いつも驚かされるのがその色彩の鮮やかさ。ただきれいなだけではなく、鮮やかな色だからこそ持つ毒味も含まれた、独特の色彩美が特徴なのですが、この映画の中でもそのセンスが垣間見られます。また、登場するキャラクターが恐ろしい!しかもただヴィジュアルとして恐ろしいのみならず、性格の多面性・心の裏表があり心理的な恐怖をあおられ、さらにほんの少しのかわいらしさが加味され、どうにも魅力的。怖いからただ逃れたいのではなく、怖いけど心挽かれる。そんな人間の心理をついたような、棘を持った美しさ。そしてグロい。小さい子が見たらトラウマになるくらい強烈なデザイン。

オフェリアの目の前に現れる「妖精」も、「妖精」と訳せばかわいいけど、正直化け物です。小さい姿のときは馬鹿でかいカマキリみたいだし、人間サイズになるともうこの世のものではないし。この世のものではないけど、二本足で立っていて自分を王女であるというこの化け物の言葉を信じたくなるオフェリアの気持ち。客観的に見ていたら、「なんでこんな化け物についていくーーーっっっ???」とオフェリアの行動に驚きますが、そのくらい彼女の現実世界はひどかったということなのでしょう。とにかくキャラクターたちは気色悪さのなかに人間味を持ち合わせているんです。ただただ化け物だったらここまで気持ち悪くない。ゾンビとか首なしお化けとかそういう怖さとは違う、また『リング』の貞子とか「元・人間」である幽霊とも種類の違うモンスターたち。「こんなのいねーよ」とは言い切れない、「本当はいるかもしれない」と思わず信じたくなる出来です。

この映像美はさすが。各国の映画賞の美術賞を総なめにしているのも納得です。だってこれ以外にどの映画が取れるというの?というくらいずば抜けています。そしてただ映像が素晴らしいだけでなく、映画として本当に面白い。

スペインというラテン文化がある国だからこそ出せる独特の雰囲気が、この映画を恐ろしいながらも妖艶さのある仕上がりにしています。そう、映像に艶やかさがあるのです。ラブシーンがあるとかそういう意味ではなく、映像そのものに。

オフェリア役の女の子の演技、ものすごくいいです。引き込まれます。映画が終わるまで、その手を離してくれません。その世界にどっぷりはまりたい、そんな気分になります。そしておとぎ話だからなのか、登場人物の性格をきちんと端的に表現しているし、無駄がない。だからといって単調ではないし、奥深さにかけることもない。いい塩梅なのです。これが普通のドラマだったら、人間の描き方が少し物足りなく感じると思いますが、この映画ではこれが功を奏しています。


私、ものすごく褒めてますね。残念だった部分を探してみましょうか…んーーー…それを探すのが難しい。あ、でかいカエルがちょっと笑えた。その見た目がちょっと安っぽくて、ほかのキャラたちとある意味一線を画しているような。そのくらいでしょうか。全然残念ポイントではなくて、むしろ面白いんですけどね。

この映画、本当に本当に映画館で見たかったです。テレビで見ちゃったの、ワタクシ。独特の世界のある映画ですし、キャラクターのデザインも強烈なので、苦手な方はとことん苦手だと思います。でも、私はこの映画に惚れました。強力におすすめ。


おすすめ度:☆☆☆☆☆

「バンテージ・ポイント~Vantage Point~」

2008年04月12日 | 映画~は~
2008年 アメリカ映画

3月の半ばごろ、映画館で見てきました。スペイン訪問中のアメリカ大統領の暗殺(?)事件を、8人の視点から描いたサスペンス・・・かと思っていたら、アクション映画でした。

アクション映画としてなら十分に楽しめると思います・・・が、もっと深い内容を期待していたので、個人的には少々ガッカリ。勝手に「サスペンス」色の強いものだと思い込んでいたのよね…。視点はものすごく面白いけど、掘り下げることなく、キーとなる人々のつながりも説明程度に表面をなぞらえただけの印象。スピード感もあるし、作りも面白いけど、演出がくどいねん!


8人がそれぞれの見地からひとつの事件を目撃するという話なので、ひとつの時間軸を八様に描く必要があるのはわかるのですが、何度も何度も巻き戻し映像を使われてイライラ。一回二回ならいいけど、8回も使われるとねぇ。

それからデニス・クエイドのカーチェイスのシーン、長すぎるわ。そんなに重要なシーンとは思えないけど、アクション映画的視点で見たら必要なんやろな。アクションだから。

登場人物が多いから、もう少し人物同士のつながり(特に映画の中での悪役たち)がもう少し知りたかったわ。

でも、この映画俳優人がものすごく豪華で見ごたえはあります。『ラストキング・オブ・スコットランド』(未見)のフォレスト・ウィッテカーやシガニー・ウィーバーシガニーの場合、出番がほんとに短くて笑ってしまいます。別にこんな大女優を使わなくても…と思ってしまうほど。大統領役にウィリアム・ハート。彼の大統領役、よかったです。腹黒くて何かを企んでそうな、政治界の黒い影がついている感じ。

一番よかったのはシークレット・サービスのデニス・クエイドの同僚役のマシュー・フォックス。ドラマの『LOST』などにも出ているそうですが、私はドラマ見ていないので知りませんでした。その存在感は抜群でした。

最初に出てくるレポーターの女性。大変な事件に遭遇したのはわかるけど、レポートはきちんとしてほしいわ。なんという女優さんか知らないけど、かなり青臭い感じでした。もしそういう演技だったとしたら、その演技力の高さに脱帽。

おすすめ度:☆☆★ (アクション好きな方に。)

「バトル・ロワイアル」

2008年04月11日 | 映画~は~
2000年 日本映画

この映画、ブームになりましたよね。『17歳のカルテ』のときにも書きましたが、世の中で「17歳」が危険で切れやすくて解らない存在として扱われている時期だったので、さらにこの映画への注目度が高まっていたように思います。

イギリスで数日前にテレビで放送されていたのを見ました。この日は別のチャンネルで『The Grudge』(ハリウッドリメイク版の『呪怨』)も放送されていて、軽い「ジャパン・ナイト」な雰囲気でした。『The Grudge』も日本で撮影されて、台詞の多くが日本語でしたし、『バトル・ロワイアル』ももちろん日本語での放送で英語の字幕つきでした。


実はこの映画の公開後、確か2000年か2001年にDVDを借りたことがあるのですが、今回改めてみてみてほとんど内容を覚えていませんでした。唯一覚えていたシーンは、柴崎コウがビューラーでメイクしているところ。「この状況下でマスカラかよっ!」とものすごく驚いた覚えが。たぶん私、途中で見るのをやめたんだと思います。ショッキングすぎて。

初めて観た当時は、「ショックや残忍性をあおりたいだけなんじゃないの?」と思い胸糞悪くなったんですが、今回見てみたらなかなか悪くないではないですか。私も大人になったものです。

当時の社会の風潮をかーなーり極端なかたちで取り込んでいて、台詞のところどころにメッセージ性の高さが伺えます。特に担任キタノ(北野たけし)が発する台詞。多くはないけど言いたいことはわかる。ただメッセージ性は高くとも、それが観客にそのまま伝わるかといえばそうではない。とにかく極端。メッセージ云々よりもやはり中学生(高校生じゃなかったんだ!?)の殺し合い、という内容のほうが何よりも強く映像や出来事として表現されているから。学生時代に見たときは、そういうメッセージを受け取らず、殺し合いだけを見ていた私のように(苦笑)。

公開から8年たってみてみると、キャストの豪華さに驚かされます。若手俳優ってあまり詳しくありませんが、柴崎コウ、栗山千秋、山本太郎、安藤正信、藤原竜也、塚本高史、佐野泰臣(金八先生の息子ね)…そうそうたる顔ぶれです。みんなキャラ立ちしてるし。佐野くん、出番はすぐに終わりますけど。柴崎コウと栗山千秋が殺し合いしてるんですよ?いろんな意味で恐ろしい映画です。この映画を観たクエンティン・タランティーノが深作欣二監督との会食時に、同席した数人の生徒役の俳優の中から、栗山千秋を『KILL BILL』にキャスティングしたと聞いたことがあります。柴崎コウと栗山千秋とかなり悩んだ、と。私の中ではとにかく柴崎コウが抜群に目立っていました。ころころと変わる表情、目で殺されるのではないかと思うほどの目力。無常なまでにクラスメートを殺していく姿。それから前田亜季がヒロイン役ですが、演技はすごくよかった。ただほかのキャラが濃すぎてものすごく普通。いや、普通の子の役だから、それでいいんだけどさ。

担任キタノのキレ具合がものすごく恐ろしいです。そしてものすごく悲しい。北野武以外にこの役ができるのか?それとも北野武が役ごと食ってしまっているのか。北野武の今までの歴史(フライデー襲撃事件とか)や、多彩な才能を持った人という観客の認識が、さらに北野武をこの役を演じるという事実を確固たる物とし、映画を見るうえで北野武をさらに「適役」であるという意識にも訴えかけていたんじゃないかと思う。にもうこの人以外に考えられません。

毎朝4時半から「風雲!たけし城」の再放送をやっているのだけど、無邪気に遊ぶビートたけし(とそのまんま東)を見ていると、この人の才能の幅広さにあらためて驚きます。たけし城、懐かしいわぁ。


おすすめ度:☆☆☆★ (誰にでも…とは言いません。好き嫌いが分かれる作品です)

「P.S.アイラブユー ~P.S. I Love You~」

2008年01月14日 | 映画~は~
ヒラリー・スワンク主演のコメディー、『P.S.I Love You』観てきました。コメディーであることは知っていたのだけど、詳しい内容はぜんぜん知らないまま観てきました。中身のない恋愛ドタバタコメディーだろうと、期待せずに行ったらこれがなんともすばらしい!!!見事なエンターテイメント映画でした。

ヒラリー・スワンクというと、オスカーを獲った『ボーイズドントクライ』や『ミリオンダラーベイビー』のように、ずっしりと重く暗いイメージが強くて、彼女にコメディーができるのか?と正直思ってました。もうこれは、「さすがオスカー女優!」と拍手を送りたくなるくらい抜群でした。

主人役のジェラルド・バトラーって、『300』の人だったのか!もう、この人のアイルランド訛りの英語がセクシーったらない。アメリカ女性がメロメロになるのもうなづける。洗練されたかっこよさではないのだけど、純朴で暖かくてかわいらしさのあるこの役に、彼は本当にぴったりでした。

脇を固める役者たちも豪華。キャシー・ベイツ、リサ・クドロー(「フレンズ」)、ジーナ・ガ-ション、ハリー・コニックJr。リサの演技で映画のコメディー度もテンポも格段に底上げされていて、見事な縁の下の力持ち。ジーナ・ガーションって、セクシー映画にしか出ない気がしていたので、彼女の配役は新鮮でした。ただ、ハリーがこの映画の中ではいまいち垢抜けていなくて、私には終始「板尾創路」にしか見えませんでした。


日本での公開は今年の秋。昨年12月にアメリカで公開されて、イギリスでは1月4日から。マスコミの票はぜんぜん高くないのだけど、私はかなり気に入りました。DVDでたらほしいくらい。いや、もう一度映画館に行きたいくらい。



おすすめ度:☆☆☆☆☆




****** 追記 *******
『P.S.アイラブユー』の日本での公開が決まったようですね。
2008年の10月18日から公開らしいわよ。ほんとにお薦め!!!
(2008年8月10日)