1990年 アメリカ映画
そうか、1990年かぁ。もう18年も前なの、この映画!?まさにジュリア・ロバーツを頂点に押し上げた作品よね。先日テレビで放送していたので、なんとなく見てみました。
これを最初に見たのは中3か高校1年のときで、ビデオを借りてきたような気がする。この作品、日本でも大ヒットで、テレビCMもすごかった。観客の男性が「最高のラブストーリーですっ!」ってなんかやけに興奮して話してたCMの映像が今だに鮮明に思い出せるもの。あれが本当に観客だったのか仕込だったかは知らないけど。
さて、感想。映画としては、まぁ面白い。でも入り込めない。・・・これは最初に見たときも、今回見直したときも同じ。とても映画らしい映画なんだけど、なんだか腑に落ちない。このモヤモヤは何なのかしら。
そこでね、このモヤモヤの原因を自分なりに探ってみたのよ。誰にも頼まれちゃいないけど、探ってみたわけ。そしたら、いくつか原因らしきものが見つかったの。
日本の映画サイト(Yahoo!映画とかgoo映画とか)でこの映画を調べてみると、ジュリア・ロバーツ演じるヴィヴィアンを「コールガール」と紹介してるの。決して「売春婦」とは書いていないのね。でも日本で「コールガール」っていう言葉ってあまり使わないじゃない?いや、使うんだけどどちらかというと「売春婦」のほうが一般的なわけで、「コールガール」と「売春婦」いう言葉からイメージされるものってなんか違わない?「コールガール」ってなんかものすごく西洋な香りで、やや高級っぽくて「売春」よりもきれいな感じしない?なんか言葉のマジックっていうの?そこでさ、ウィキペディアで「コールガール」を調べてみたの(2008年9月3日付)。するとね、『電話等の手段で呼び出しや交渉を行い、売春に応ずる者』と書いてあるわけ。結局は売春なのよ。でもさ、『プリティー・ウーマン』のヴィヴィアンって、電話でエドワード(リチャード・ギア)と交渉を行ってであったわけではないよね?あの人、立ちんぼしてたわよね?コールガールじゃないじゃん!!!
それから、エドワードはなんでヴィヴィアンを買い、さらにはパートナーにしたのか?ホテルのペントハウスに住むビジネスマン・エドワード。ヴィヴィアンをホテルにつれて帰ればホテルの従業員はみなその事実を知るわけだし、いくら上客のエドワードだからといってヘソ出しボディコンで一目で売春婦とわかるヴィヴィアンとホテルを歩き回ってたら、ホテル的にも迷惑だし。あ、そこは何?エドワードとホテル側の信頼関係が成り立っているから・・・という風に理解すればいいのかしら?そうね、きっとそうなのね。そういうことにしておくわ。
ヴィヴィアンはエドワードに見初められ、ものの1週間で素敵なレディーに変身するのだけど、もうさ、服を着せれば何でもにあっちゃうわけよ。シンプルな白いシャツを着ただけでも、てヴィヴィアンは着こなしちゃうわけ。襟とか小粋に立たせたりなんかしちゃって。初めてこの映画を見たとき、確かに中学生だったし良くわかっていなかったというのはあると思うけど、「え?この人なんでこんなに棚ボタ式に成功していくの?あれ、もしかして売春婦ではなかったりするわけ?」と混乱するくらい、なんか描き方が美しすぎるのよ。そもそも、ヴィヴィアンが「売春婦」という設定である必要があったのかどうかさえ疑問です。
そして最大の謎が(まだあるわよ)、エドワードのビジネスパートナーのジェイソン(フィリップ・スタッキー)に売春婦呼ばわりされてせまられた時のヴィヴィアンの「あなた、なんて失礼なことをっ!」みたいな態度。エドワードのパートナーは性格悪そうだし、過去をちらつかせて弱点を責めるのは汚い。でも、短期間できれいさっぱりそういう過去を取っ払いきって、まったくなかったことにして、それが映画上での「正義」になっていることにもちょっともやもや。その後、同級生に久々に会って、「あなただって変われるわ!」とものすごく上から目線でアドバイスをくれてやるヴィヴィアン、根性座ってる。
でもさ、ここまで貶しておいていまさらだけど、やっぱりヴィヴィアンが変身していく姿を見るのは心躍るものがあるのよね。ロデオドライブに買い物に行って、試着の嵐。ポーズとったり踊っちゃったりなんかするヴィヴィアンは、只者じゃないオーラが出ていて、「磨けば光る」何かを持っているというのを、ジュリア・ロバーツは見事に演じきっていて、あの役を別の女優がやっていたらここまでこの映画は評価されなかっただろうし。
今回映画を見てて、ふと思ったこと。この映画の中でヴィヴィアンはへそ出しボディコンでロデオドライブの高級ブティック(グッチだっけ?)に行って冷たくあしらわれるのだけど、今もそうなの?LAにもロデオドライブにも行ったことが無いからわからないのだけど、今のLAの女性のファッションってものすごく露出じゃない?こういう高級店に行くときはそれなりの格好をしていくものなのか、それとも時代の違いで現在は大丈夫とか?
『マイ・フェア・レディー』(未見)の現代版…というふれこみだったらしいけど、設定的に『マイ…』と比べる(あるいは肩を並べる)というのは失礼なんじゃないか、と思ってしまいます。だって『マイ…』は花売りの女性なんだもの。体は売っていないもの。
そうそうリチャード・ギアのこと、一言も書いてないわね。ま、いっか。
おすすめ度:☆☆☆★ ・・・けなした割には高評価。見たことが無い人は見ておいて損はないかも。
そうか、1990年かぁ。もう18年も前なの、この映画!?まさにジュリア・ロバーツを頂点に押し上げた作品よね。先日テレビで放送していたので、なんとなく見てみました。
これを最初に見たのは中3か高校1年のときで、ビデオを借りてきたような気がする。この作品、日本でも大ヒットで、テレビCMもすごかった。観客の男性が「最高のラブストーリーですっ!」ってなんかやけに興奮して話してたCMの映像が今だに鮮明に思い出せるもの。あれが本当に観客だったのか仕込だったかは知らないけど。
さて、感想。映画としては、まぁ面白い。でも入り込めない。・・・これは最初に見たときも、今回見直したときも同じ。とても映画らしい映画なんだけど、なんだか腑に落ちない。このモヤモヤは何なのかしら。
そこでね、このモヤモヤの原因を自分なりに探ってみたのよ。誰にも頼まれちゃいないけど、探ってみたわけ。そしたら、いくつか原因らしきものが見つかったの。
日本の映画サイト(Yahoo!映画とかgoo映画とか)でこの映画を調べてみると、ジュリア・ロバーツ演じるヴィヴィアンを「コールガール」と紹介してるの。決して「売春婦」とは書いていないのね。でも日本で「コールガール」っていう言葉ってあまり使わないじゃない?いや、使うんだけどどちらかというと「売春婦」のほうが一般的なわけで、「コールガール」と「売春婦」いう言葉からイメージされるものってなんか違わない?「コールガール」ってなんかものすごく西洋な香りで、やや高級っぽくて「売春」よりもきれいな感じしない?なんか言葉のマジックっていうの?そこでさ、ウィキペディアで「コールガール」を調べてみたの(2008年9月3日付)。するとね、『電話等の手段で呼び出しや交渉を行い、売春に応ずる者』と書いてあるわけ。結局は売春なのよ。でもさ、『プリティー・ウーマン』のヴィヴィアンって、電話でエドワード(リチャード・ギア)と交渉を行ってであったわけではないよね?あの人、立ちんぼしてたわよね?コールガールじゃないじゃん!!!
それから、エドワードはなんでヴィヴィアンを買い、さらにはパートナーにしたのか?ホテルのペントハウスに住むビジネスマン・エドワード。ヴィヴィアンをホテルにつれて帰ればホテルの従業員はみなその事実を知るわけだし、いくら上客のエドワードだからといってヘソ出しボディコンで一目で売春婦とわかるヴィヴィアンとホテルを歩き回ってたら、ホテル的にも迷惑だし。あ、そこは何?エドワードとホテル側の信頼関係が成り立っているから・・・という風に理解すればいいのかしら?そうね、きっとそうなのね。そういうことにしておくわ。
ヴィヴィアンはエドワードに見初められ、ものの1週間で素敵なレディーに変身するのだけど、もうさ、服を着せれば何でもにあっちゃうわけよ。シンプルな白いシャツを着ただけでも、てヴィヴィアンは着こなしちゃうわけ。襟とか小粋に立たせたりなんかしちゃって。初めてこの映画を見たとき、確かに中学生だったし良くわかっていなかったというのはあると思うけど、「え?この人なんでこんなに棚ボタ式に成功していくの?あれ、もしかして売春婦ではなかったりするわけ?」と混乱するくらい、なんか描き方が美しすぎるのよ。そもそも、ヴィヴィアンが「売春婦」という設定である必要があったのかどうかさえ疑問です。
そして最大の謎が(まだあるわよ)、エドワードのビジネスパートナーのジェイソン(フィリップ・スタッキー)に売春婦呼ばわりされてせまられた時のヴィヴィアンの「あなた、なんて失礼なことをっ!」みたいな態度。エドワードのパートナーは性格悪そうだし、過去をちらつかせて弱点を責めるのは汚い。でも、短期間できれいさっぱりそういう過去を取っ払いきって、まったくなかったことにして、それが映画上での「正義」になっていることにもちょっともやもや。その後、同級生に久々に会って、「あなただって変われるわ!」とものすごく上から目線でアドバイスをくれてやるヴィヴィアン、根性座ってる。
でもさ、ここまで貶しておいていまさらだけど、やっぱりヴィヴィアンが変身していく姿を見るのは心躍るものがあるのよね。ロデオドライブに買い物に行って、試着の嵐。ポーズとったり踊っちゃったりなんかするヴィヴィアンは、只者じゃないオーラが出ていて、「磨けば光る」何かを持っているというのを、ジュリア・ロバーツは見事に演じきっていて、あの役を別の女優がやっていたらここまでこの映画は評価されなかっただろうし。
今回映画を見てて、ふと思ったこと。この映画の中でヴィヴィアンはへそ出しボディコンでロデオドライブの高級ブティック(グッチだっけ?)に行って冷たくあしらわれるのだけど、今もそうなの?LAにもロデオドライブにも行ったことが無いからわからないのだけど、今のLAの女性のファッションってものすごく露出じゃない?こういう高級店に行くときはそれなりの格好をしていくものなのか、それとも時代の違いで現在は大丈夫とか?
『マイ・フェア・レディー』(未見)の現代版…というふれこみだったらしいけど、設定的に『マイ…』と比べる(あるいは肩を並べる)というのは失礼なんじゃないか、と思ってしまいます。だって『マイ…』は花売りの女性なんだもの。体は売っていないもの。
そうそうリチャード・ギアのこと、一言も書いてないわね。ま、いっか。
おすすめ度:☆☆☆★ ・・・けなした割には高評価。見たことが無い人は見ておいて損はないかも。
テレビから録画して見ました。
主題歌は随分前から知っていたのですが。
ストーリーは大した事はなかったです。ラストもありきたり。他の会社を乗っ取る予定も協力して事業をする結果になってしまったし。
エドワードがヴィヴィアンに何であれだけ惚れるのもよくわかりません。
この映画が大ヒットした理由は何でしょうか?
ファッションでしょうか?
この映画の事をウィキペディアで調べたら、ジュリア・ロバーツはこの映画でボディダブル(代役)を多用したとの事。
危険なスタントがある訳ではないし、腕や脚がアップになる場面で代役を使ったのでしょうか?
ジェイソンを演じるフィリップ・スタッキーはアクが強くて好演でした。見かけと違ってまだ若いんですね。