1997年 アメリカ映画
偏屈親父が、全うな人間としてなんとか「普通に」暮らせるようになるまでを描いたお話。この映画を見るのは約8年ぶり。こんなに年月が経っているのに、今回見てもあまり感想が変わらなかったという、ある意味稀な映画でした。
偏屈親父は恋愛小説家なのですが、そんなロマンチックな話をこのおっさんが書いているとは到底信じられないほどの奇人変人ぶり。これがジャック・ニコルソン演じるメルヴィンです。もちろん映画なのでジャックは「演じて」いるはずなんですけど、私にはこれはジャックの素なのではないかという気がしてなりません。もちろん私、ジャック・ニコルソンの生い立ちや性格を知っているわけではありませんが、私の勝手なイメージの中のジャック・ニコルソンは、映画のメルヴィンのようにものすごくアクが強い偏屈親父なのです。顔からすでに「奇人オーラ」を出してるでしょ?あ、言っておきますけど、これ批判じゃないですよ。俳優としてのオリジナリティーとしてです。
演技がどうとか話の内容がどうのこうの以前に、この映画を見てジャック自体を嫌いになりそうでしたもの。私のイメージするジャックがそのままの姿で、いやそれ以上の偏屈ぶりで映画の中にいたからです。そしてこの映画の主人公メルヴィンが、まあどうしようもなくひどい男なんです。やさしさはあります。でも近くにいたら、日常生活がストレスにさいなまれそうな嫌な奴加減。わたし、絶対彼と同じアパートには住めませんし、同じレストランやカフェにも近寄れません。そのくらい苦手。
・人の飼い犬をゴミ箱に捨てる。
・行き着けのカフェでは必ず同じテーブルでないと気がすまない(先客がいるときは、彼らを追い出す)。
・お店のカトラリーの清潔性を信用していないのか、フォーク・ナイフは持参したプラスチック製。
・このお店で唯一彼と対等でいられるのはキャロル(ヘレン・ハント)だけ。
・公共の道路では人に触れないようにして歩く。
・道路の継ぎ目は踏まない。
もちろん、皆の鼻つまみ者。当然です。
そんな彼がふとしたことから隣人のゲイでアーティストのサイモン(グレッグ・キニア)の犬を預かることに。いつも潔癖症で他人には全く関心が無く、見事なまでに自分中心だった彼が、犬との生活を始めたことをきっかけに、少しずつ「普通の人の生活」や「ギリギリまかり通るかもしれない一般常識」が持てるようになっていく。
でも正直、犬との生活やカフェのキャロルとのかかわりを通しての彼の変化は、「強引」過ぎるし、稀に見せる「優しさ」は、もともとがマイナススタートなので通常以上に評価されすぎる。その優しさの形も、ものすごく危うくて、相手がキャロルやサイモンだから項を奏しているけど、私だったらそれが「優しさ」とは受け入れられない範囲のもの。とにかくメルヴィンの性格の設定が、常人の範囲を大幅に超えていて受け取りきれないんです。「映画だから」という免罪符が、この映画に関しては私にはあまり通用しない。どんな恋愛映画でも、人が結ばれるまでに「危うい」出来事が起こるけど、ドラマチックな展開で最終的には「地固まる」になるのが常。でもこの映画、「たくさんの危うい状況」(=メルヴィンの言動・行動)はちりばめられているんだけど、「危うい…」と言うよりはその時点で完全に「アウト」なんです。ま、個人の感想なので「いいじゃん。メルヴィン、かわいいじゃん」という人も大勢いるでしょうが。
それでも映画としては楽しめるんですけどね。
この映画の見所は、なんと行ってもヘレン・ハント。とにかく彼女の美しさや魅力が、この映画には凝縮されています。サイモンがキャロル(ヘレン)をスケッチしているシーンなんて、画面の明るさが2段階ほど強まったんじゃないかと思うくらい、本当に輝いていて、見ていてうっとりしてしまうほど。そういえば、この数年後に『ペイ・フォワード』に出ていましたが、それ以降あまり彼女を見ないですね。
そしてメルヴィンの隣人サイモンはグレッグ・キニア。「この人の顔、どっかで見たことあるけど…」と思っていたら、なんと『リトル・ミス・サンシャイン』の9段階成功法を唱えるあのパパでした。 『恋愛小説家』の中では、見事にゲイちっくな雰囲気をかもし出す美青年でしたが、12年後には恰幅のいいパパに。俳優ってすごいわ。どちらもはまり役だもの。
このサイモンの恋人役がキューバ・グッティングJr.だったんだけど、この人ただのマネージャーか何かだと思ってました(ごめんなさい、私の英語力この程度です)。まさか恋人だったとは。なんかちょっと物足りなかったなぁ。
映画全体としては、ヘレン・ハントに引っ張られるようにものすごく良いテンポで話が進むので、飽きずに楽しめる作品。好きな人はものすごく好きな作品よね、これ。
おすすめ度:☆☆★ …それでもやっぱりこの映画の中のメルヴィンがものすごく苦手。
偏屈親父が、全うな人間としてなんとか「普通に」暮らせるようになるまでを描いたお話。この映画を見るのは約8年ぶり。こんなに年月が経っているのに、今回見てもあまり感想が変わらなかったという、ある意味稀な映画でした。
偏屈親父は恋愛小説家なのですが、そんなロマンチックな話をこのおっさんが書いているとは到底信じられないほどの奇人変人ぶり。これがジャック・ニコルソン演じるメルヴィンです。もちろん映画なのでジャックは「演じて」いるはずなんですけど、私にはこれはジャックの素なのではないかという気がしてなりません。もちろん私、ジャック・ニコルソンの生い立ちや性格を知っているわけではありませんが、私の勝手なイメージの中のジャック・ニコルソンは、映画のメルヴィンのようにものすごくアクが強い偏屈親父なのです。顔からすでに「奇人オーラ」を出してるでしょ?あ、言っておきますけど、これ批判じゃないですよ。俳優としてのオリジナリティーとしてです。
演技がどうとか話の内容がどうのこうの以前に、この映画を見てジャック自体を嫌いになりそうでしたもの。私のイメージするジャックがそのままの姿で、いやそれ以上の偏屈ぶりで映画の中にいたからです。そしてこの映画の主人公メルヴィンが、まあどうしようもなくひどい男なんです。やさしさはあります。でも近くにいたら、日常生活がストレスにさいなまれそうな嫌な奴加減。わたし、絶対彼と同じアパートには住めませんし、同じレストランやカフェにも近寄れません。そのくらい苦手。
・人の飼い犬をゴミ箱に捨てる。
・行き着けのカフェでは必ず同じテーブルでないと気がすまない(先客がいるときは、彼らを追い出す)。
・お店のカトラリーの清潔性を信用していないのか、フォーク・ナイフは持参したプラスチック製。
・このお店で唯一彼と対等でいられるのはキャロル(ヘレン・ハント)だけ。
・公共の道路では人に触れないようにして歩く。
・道路の継ぎ目は踏まない。
もちろん、皆の鼻つまみ者。当然です。
そんな彼がふとしたことから隣人のゲイでアーティストのサイモン(グレッグ・キニア)の犬を預かることに。いつも潔癖症で他人には全く関心が無く、見事なまでに自分中心だった彼が、犬との生活を始めたことをきっかけに、少しずつ「普通の人の生活」や「ギリギリまかり通るかもしれない一般常識」が持てるようになっていく。
でも正直、犬との生活やカフェのキャロルとのかかわりを通しての彼の変化は、「強引」過ぎるし、稀に見せる「優しさ」は、もともとがマイナススタートなので通常以上に評価されすぎる。その優しさの形も、ものすごく危うくて、相手がキャロルやサイモンだから項を奏しているけど、私だったらそれが「優しさ」とは受け入れられない範囲のもの。とにかくメルヴィンの性格の設定が、常人の範囲を大幅に超えていて受け取りきれないんです。「映画だから」という免罪符が、この映画に関しては私にはあまり通用しない。どんな恋愛映画でも、人が結ばれるまでに「危うい」出来事が起こるけど、ドラマチックな展開で最終的には「地固まる」になるのが常。でもこの映画、「たくさんの危うい状況」(=メルヴィンの言動・行動)はちりばめられているんだけど、「危うい…」と言うよりはその時点で完全に「アウト」なんです。ま、個人の感想なので「いいじゃん。メルヴィン、かわいいじゃん」という人も大勢いるでしょうが。
それでも映画としては楽しめるんですけどね。
この映画の見所は、なんと行ってもヘレン・ハント。とにかく彼女の美しさや魅力が、この映画には凝縮されています。サイモンがキャロル(ヘレン)をスケッチしているシーンなんて、画面の明るさが2段階ほど強まったんじゃないかと思うくらい、本当に輝いていて、見ていてうっとりしてしまうほど。そういえば、この数年後に『ペイ・フォワード』に出ていましたが、それ以降あまり彼女を見ないですね。
そしてメルヴィンの隣人サイモンはグレッグ・キニア。「この人の顔、どっかで見たことあるけど…」と思っていたら、なんと『リトル・ミス・サンシャイン』の9段階成功法を唱えるあのパパでした。 『恋愛小説家』の中では、見事にゲイちっくな雰囲気をかもし出す美青年でしたが、12年後には恰幅のいいパパに。俳優ってすごいわ。どちらもはまり役だもの。
このサイモンの恋人役がキューバ・グッティングJr.だったんだけど、この人ただのマネージャーか何かだと思ってました(ごめんなさい、私の英語力この程度です)。まさか恋人だったとは。なんかちょっと物足りなかったなぁ。
映画全体としては、ヘレン・ハントに引っ張られるようにものすごく良いテンポで話が進むので、飽きずに楽しめる作品。好きな人はものすごく好きな作品よね、これ。
おすすめ度:☆☆★ …それでもやっぱりこの映画の中のメルヴィンがものすごく苦手。