Pixysのポジティブライフ

困難に立ち向かうアラフィフの日常
働いて働いて働いて働いて、たまに旅に出る

母の日

2008-05-12 22:39:39 | 泣ける話
若い時は母と話をすることがなかった。理由は特にない。別段話しはなかったし、家を出てずっと一人暮らしだったので話す機会もあまりなかった。会う理由もなく5~6年の時がすぎた。お互い居場所を知っていながら訪ねたことはなく、連絡しあう事もなくすぎていった。家族のいないその間も寂しいと感じたことは一度もない。20代は自分のことで精一杯だし生きていくのに必死だったから、そんな余裕はなかった。
当時、母は私のことをよく知らず、私も母のことをよく知らなかった。結婚相手を連れて行った時に数年ぶりに両親にあった。何年も会っていなかったので当たり前なのだが、「ずいぶん老けたな。」というのが最初の感想だった。いつの間にか歳をとっていたのだから。たぶん、向こうもそう思ったに違いない。
しかし、その日、父に結婚を反対されたのでその後、またしばらく会うこともなかった。その数日後、私は他の姓を名乗ることになる。母とは数回話したが、用事をすませるだけで、またあっという間の4年がすぎた。
頻繁に行き来するようになったのは‘孫’が産まれてからである。行かなければならない用事ができてしまったのだ。保育園は赤ちゃんを土日預ってくれない。ベビーシッターも頼んでいたが、母に頼むときもあった。そのくせ母に面倒を見てもらうのは気が進まなかった。母はうれしそうに子供の面倒を見ていた。今考えるとずいぶん勝手な娘だったな。

母の日に花を贈った。たぶん母の日を意識したのは初めての事だったのではないかと思う。母の日には「ありがとう」の意味合いが込められている。お誕生日とはまた違う。照れくささも倍増なのであえてふれることもなかったのだ。

生きていてくれてありがとう―

抗がん剤に耐えた母に今年はそう伝えたかった。